第4章:推察力&発想力(4)音空間の深層を見抜く(表現リテラシー)
推察力&発想力
1音を弾くとき、1曲を弾くとき、1プログラムを弾くとき、音楽のどのレヴェルまで表現しているだろうか?また、どこまで聴こえているだろうか?
ここで本連載冒頭の問い、「音はすべて聞こえている、ではどこまで聴いているだろうか」(第1章①)に戻りたい。音楽という時空間には、多層的な文脈が織り込まれていたり、暗示や隠喩が隠れていたりする。そうした音がもつ性質・意図・方向性などを見抜き、ちょっとした差異を聞き分けることが、「耳をひらく」ということになる。
ここで2013年ヴァン・クライバーン国際コンクール審査員を務めた、指揮者シャン・ジャン氏の言葉を再引用し、これについて次項で補足したいと思う。
聴くということは、音楽のどのレヴェルまで聴いているのかということである。音、フレーズ、音楽の構造、音楽の文脈、音楽の概念、音楽の背景にある思想や世界観・・・それによって、音楽の受けとり方も、音楽を味わう深みも変わってくる。
「表現リテラシー」という言葉がある。たとえば次のように定義されている。
言葉の指示対象が正確にわかるだけではなく、それがどんな文脈で、どのように表現されているか、言葉にどのような価値を乗せているのか。それを聴き手が読み取るのである。言葉⇒音と言い換えても同じことがいえるだろう。その音は、どのような文脈の中で、どのように表現され、どのような価値が含まれているのか。あるいは音と音の間、休符にはどのような含みがあるのか。どこまで表現できるか、どこまで聴き取れるかは、個人の認識レヴェルによって異なる。だから同じ楽譜を見ても、同じ演奏を聴いても、受け手によって異なるのである。
これは2020年度大学入試改革でも焦点となる、クリティカルシンキングにもつながる。『2020年の大学入試改革』で英国の高等教育を参考事例として挙げた石川一郎氏は、次のように述べている。
特に前半部分は、楽譜の読み方にも似ている。背景に横たわっている考え方を見出すというのは、いわゆる作曲の背景や作曲家の意図を探ることである。そこにどんな理論や原理が横たわっているのかが分かれば、なぜ作曲家がそれを選び取ったのか、という思想なり世界観が見えてくる。音には、思想や世界観まで投影されている。そこまで認識できると、「1音」のもつ価値をより深く捉えられるようになるだろう。(第3章③「音空間を俯瞰・要約する」、第3章④「音空間を概念化する」)
表現リテラシーは、「あれ?何かが違う?」という疑問も察知する。「?」と思うのは右脳、それを観察して筋道を理解するのが左脳である。
音楽に限らず、表面上の言葉は同じように見えても、そこに持たせている文脈(価値)が違っていることがある。つまり、本来ではない論理が結びつけられていることがある。言葉のレトリック、あるいはトリックだ。そのズレからユーモアも生まれるし、あるいは意図を隠すこともできる。それに気づくには「?」という感覚が大事になる。耳は、音や言葉の美しさや強さといった表面的な要素だけではなく、その背景にある論理や文脈、さらには思想・世界観といった深層まで、聴き取っている場合もあるから。
とはいえ、ある理論や論理を完璧だと思い込んでしまうと、右脳から左脳への問いはなくなる。そして「?」とかすかに感じたものが重要情報だったとしても、スルーしてしまう。重要なことを聞き逃さないためにも、表現リテラシーは重要なのである。聴力がもつ本来の力を呼び覚ますことで、高めることができるだろう。
ちょっとした音質、陰影、色彩の変化で、われわれは音楽に何が起こっているのかを察知する。レヴェルは全く異なるが、歴史をひっくり返すほどの発想の転換も、ほんの小さなきっかけから生まれているようだ。2人のノーベル賞受賞者、山中伸弥教授('12ノーベル生理学賞)と益川敏英教授('08ノーベル物理学賞)の対談をまとめた『大発見の思考法』という本がある。二人に共通しているのは、意外なほどシンプルな発想の転換が、世紀の大発見に繋がったこと。山中氏はある実験で出た予想外の結果に驚いて感動した体験が、研究に打ち込むきっかけになったそうである。
音楽にも、この感性と観察眼がとても大事である。