第1章(2)聴覚はどう進化したのか?
今、聴覚はどのくらい活かされているのか?
本来、人間は視覚優位である。五感による知覚の割合は、視覚情報が8割以上に対して、聴覚情報は1割程度である。(※以下は文献をもとにグラフ化したもの。聴覚7.0%という統計もある)
聴覚情報は大量かつ多彩であるのに、意外なほど知覚されていないのである。我々を取り巻く社会環境も、聴覚より、視覚に多くのしかけがあるように思う。街中は広告、看板、ビジュアル映像などの視覚情報にあふれ、我々消費者に瞬時に好意的な印象を持ってもらえるよう工夫が凝らされている。刺激的に、心地よく視覚に訴えかけることで、消費者との心理的距離を縮めるのである。視覚+聴覚が同時に刺激されると、さらに判断は早くなる。
しかし、視覚情報と聴覚情報にズレが生じると、聴覚情報が優位になる。つまり時間の経過という要素が加わると、視覚情報よりも聴覚情報に耳を傾けるようになる。ということは聴覚を活かせば、より長期的・立体的・複層的に、物事を認識する助けになるだろう。
サルから進化した人類は、視覚優位の動物である。しかし人類の進化は、視覚の発達ではなく、聴覚の発達こそが寄与したようだ。それはネアンデルタール人と、人類の祖先である現生人類との比較で説明される。両者の違いは「社会脳」といわれる前頭前野の発達であり、現生人類はここが大きく発達したために進化した。(参考:『人類進化の謎を解き明かす』ロビン・ダンバー著、鍛原多惠子訳、インターシフト、2016年)
約35万年前に出現したネアンデルタール人は、高緯度地帯に分布し、その日照時間の関係から異常に視覚が発達していた(後頭野)。しかし前頭前野は発達しておらず、発話能力はあったものの言語としては未発達だとされる。共同体の結束を強めるため、音楽(歌詞のないハミング、踊り、リズムに合わせて手を叩くなど)をする習慣があったが、音声情報は文脈として意味づけられることがなかった。集団規模が110人と比較的小さく、高度な社会活動をする必要がなかったことも一因である。それが後に絶滅を招いたとも言われる。
一方、約20万年前にアフリカ大陸に出現したホモ・サピエンス(解剖学的現生人類)は、日照時間が長いため視覚能力を肥大化させる必要がなかった。その一方で、150人規模かそれ以上の大きな集団で生活しており、集団内の社会的秩序を保つため、言語を駆使するようになった(ヒトや鳥なども、集団規模が大きくなるにつれて声や身振りによるコミュニケーションが複雑化していく)。そのため前頭前野が大きく発達し、社会的認知能力が大きく増加した。次第に言語は高度化し、物語や宗教を語り、文化や芸術を創りだすようになった。その志向意識水準は、ネアンデルタール人より高次である。
さらに人間が文字を扱うまでに、何万年もの時を待たねばならない。文字がなければ、音を聴いて相手を理解しなければ成り立たない。言葉が話せるということは、聴き手がいるということだ。したがって言語の発達は、聴覚の発達とも密接に結びついていると考えられる。