ピティナ調査・研究

第1章(1)どれだけ"聴いている"?

何を聴いている?~グローバル時代のための聴力

「もっと音をよく聴いて」と言われることはありませんか?では、どのように音楽を聴けばいいのでしょうか?人はもともと「全て聞こえている」のかもしれません。しかし「気づかなければ、聴こえていない」ことと同じになります。聴覚は、五感による知覚の約1割。我々が気づいていないポテンシャルはまだまだあるでしょう。あらためて「聴き方」を再考することで、そのポテンシャルを広げ、グローバル時代の音楽の学びや生き方のヒントになれば幸いです。即応力・共感力(第2章)、空間認知力・論理力(第3章)、推察力・統合力(第4章)、発想力・創造力(第5章)と、段階的に考察していく予定です。

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今、聴覚はどのくらい活かされているのか?
①本当は"すべて聞こえている"。では、"どのくらい聴いている"?
「音を聴く」の意味は?国際コンクールから見えたこと

人は、「もともと全て聞こえている」のかもしれない。つまり身体は、外部から入ってきた音の刺激をすべて受け取っている。音楽や言葉など相当量の音情報を、身体はこれまでに受けとめてきたはずである。しかし、それが顕在意識で認知されなければ、つまり「気づいていなければ、聴こえていない」のと同じになる。したがって同じものを聞いても、何が、どれだけ聴こえるのかは、個人によって大きく異なる。聴くというのは、聞こえてきた音声や波動をチューニングし、音を意味あるものとして認知することである。そのチューニングこそ、教育と言えるだろう。

そうしたチューニングを度重ねていくと、次第に自分なりの聴覚が創られていく。"美しい音"、"快や不快を感じる音"だけでなく、"意味づけされた音"の幅が広がるのだ。そして、それに応じて指が連動する。すると楽器でどんな音を出すかというのは、「その音にどんな意味があるのか」を考え、音の選択肢の中から選ぶ、ということになる。

では演奏者は、何を、どのくらい、聴いているのだろうか?国際コンクールの事例を挙げてみたい。2013年度ヴァン・クライバーン国際コンクールでは、ピアニストによって特徴が現れていた部分を、「音」「曲全体」「プログラム全体」に分けて考えてみた。
また2015年度ショパン国際コンクールでは、「1音」「1フレーズ」「1モチーフ」「1曲全体」に分けて考えてみた。
(それしか聴こえていないという意味ではなく、それぞれ素晴らしい演奏の中に、その部分が際立った特徴としてこちらに聴こえたという意味である。演奏を創り上げるプロセスがそれぞれ違うため)

両国際コンクールの結果を見ると、やはり1曲全体の流れをとらえた上で、細かい音の層をもって表現している演奏者が、高く評価されているように感じた。曲の構造的特徴を理解している、曲をより複層的に理解している、それらを表現できる音を持っている、ということになる。またヴァン・クライバーン国際コンクールにおいては、ほぼすべてフリープログラムであったため、曲と曲の相関性にも着目している、あるいは選曲によって1つの世界観を創る、といったことも加味されるだろう。さらにエリザベート王妃国際コンクールでは、1週間で1曲を仕上げるというファイナル課題がある。全く新しい課題に向き合うというチャレンジは、これまでの学びを統合・応用する力が問われる。

参考
音の聴き方は、成長するにつれて長い時間軸に

音は、瞬間瞬間の産物である。しかし音楽には、それらが連なった文脈がある。どんな流れにある1音なのか―それを分かっているかどうかで、その1音に込める意味、1音の説得力は変わる。

上記の「1音、1フレーズ、1モチーフ、1曲、1プログラム・・」というのは、時間軸で区分したものである。成長に伴い、人はより長い時間軸で物事を捉えるようになる。そう考えると、学び方も必然的に変わっていく。たとえば幼少期において、一音一音の美しさ、正確な譜読み、無理のない打鍵等を中心とした学びから、年が長じれば、文脈を読み解く学び、自分で考察する学び、といった中長期的な学び方へ切り替える時が来るだろう。つまり、音楽をより長い時間軸でとらえることによって、より大規模で、より複雑な曲に向き合う力がつく。さらに今まで自分が学んだことをもとに、新しい課題にチャレンジしたり(一人で取り組む、音源のない新曲を弾く等)、新しい価値観や考え方を提案したり(新しい解釈、新しいプログラムを組む等)、ということも増えてくる。

音楽だけではなく、一般科目においても同じである。たとえば単語やイディオムを覚えたり、暗記量が問われる学習方法から、自ら考察を促す学習方法への切り替えが必要となり、評価方法も変わっていくことになるだろう。

2020年度大学入試にも同じような課題か

実は同じような課題が、2020年度大学入試改革にあると考えている。それは、「問いの質が変わる」ということだ。

"学力の三要素(学習意欲、思考力・判断力・表現力等、知識・技能)を、社会で自立して活動していくために必要な力という観点から捉え直し、高等学校教育を通じて(i)これからの時代に社会で生きていくために必要な、「主体性を持って多様な人々と協働して学ぶ態度」を養うこと、(ii)その基盤となる「知識・技能を活用して、自ら課題を発見しその解決に向けて探究し、成果等を表現するために必要な思考力・判断力・表現力等の能力」を育むこと、(iii)さらにその基礎となる「知識・技能」を習得させること。大学においては、それを更に発展・向上させるとともに、これらを総合した学力を鍛錬すること。"(文部科学省、2014年)

今までは与えられた知識や技能の再現力・実践力(Lower Order Thinking)が問われることが多く、処理能力の速さや忍耐力はついたかもしれないが、安易に正解を求める習慣に繋がってしまったことが見えてきた。そこでこれからは自ら問題の本質を見極め、あらゆる知識を統合して思考・判断・表現する力(Higher Order Thinking)が問われることになる(『2020年の大学入試問題』石川一郎著、講談社現代新書、2016年)。より長く普遍的な視点から、課題の本質を見極め、自分で切り口を探し、その根拠を示す。この入試改革が最終的にどのような形に落ち着くのかはまだ分からないが、目指している方向性としては欧米型教育に近いだろう。

新しい大学入試が求める力は、音楽の学びからも身につくだろうと考えられる。これについては、追って述べたい。

第1章(2)聴覚はどう進化したのか?

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