ピティナ調査・研究

第13回:学び続ける脳

脳科学者・瀧靖之先生が答える 「ピアノって本当に脳にいいの?」

瀧靖之先生連載 第13回「学び続ける脳 」

コロナ禍でより顕在化してきたのは、ピアノ指導者たちの「学ぶ意欲」の高さです。「できない・知らない」ことに留まっていることをよしとせず、現状の打開のため、さらにはこの状況を自らの「学びの時機」と捉えて、貪欲に情報を集め、オンラインのセミナーや交流会を活用し、楽譜や書物を掘り起こし、「おうち時間」を「学びの時間」に変える指導者の姿が、お互いを刺激し合った一年でした。

「まだまだ学ぶことがたくさん!」と言って精力的に学び続けるベテランの先生方は、いつまでも若く溌剌としている印象がありますが、「何歳になっても、生涯学び続ける」という姿勢は、実際、人間の脳にとってどのような影響を与えているのでしょうか。今回は、「学び続ける脳」について、脳科学者・瀧靖之先生にお話を伺いました。

「知的好奇心」が、脳の健康寿命を延ばす
「生涯学び続ける」ことは、脳の老化にどのように影響するのでしょうか。

結論から申しますと、生涯に亘って勉強を続けられている方は、そうでない方と比べると、脳の老化は各段にスピードダウンすると考えられます。私たちのチームは、人間のどのような生活習慣が脳の発達や認知症の予防に影響するのか、ということを研究していますが、その大きな要素として、「知的好奇心」の高さが影響していることが分かっています。

8年間の調査により、「知的好奇心の高い人」、つまり、「知りたい」「学びたい」「達成したい」という意識を常に持っている人は、本来であれば加齢とともに萎縮(老化)が進むはずの脳の「側頭頭頂部」第2回参照の萎縮が少ないことが明らかになりました。「側頭頭頂部」はいわゆるワーキングメモリ―を司る部分で、そこの萎縮が少ないということは、歳を取っても、思考や判断、計画やコミュニケーションといった高次認知機能が高い状態で保たれやすい、つまり認知症になりにくい、ということになります。

現在の日本の要介護5の人たちの約6割の原因は脳にあり、高齢者の16%もが、記憶力・思考力・判断力といった認知機能が低下する認知症と診断されています。認知症の予備軍は400万人いると言われているので、寿命の延びた現代、少しでも長く「脳の健康寿命」を保つための「予防医学」は、まさに急務なのです。この認知症のリスクを下げ、健康寿命を延ばすことに効果を期待されていることの一つが、まさに生涯に亘って「知的好奇心」を持ち続けることなのです。

どうして「知的好奇心」が高いと、健康寿命が延びるのでしょうか。

人間の脳には実は、何歳になっても発達し続ける、可塑性という性質があります。(第12回参照)しかし、その新しく脳の中のネットワークを作り出す力も、歳を重ねるとともにだんだん少なくなっていきます。さらに、大人になるにつれて興味の対象が定まってくると、他への興味が失われ、脳の成長も部分的、限定的になりやすくなっていきます。動かさなくなった脳のネットワークは錆びついてしまい、再度動かすのには、動かし続けた時の何倍ものエネルギーを必要とします。また、「興味」や「楽しい」ことが少ないとストレスレベルが高くなり、動脈硬化や血圧上昇、糖尿病などの病気を引き起こす原因となります。

それに対して、「知的好奇心」が高く、大人になっても新しいことに興味を持ち続けられる人は、常に脳のネットワークを動かし続け、動かしやすい状態に保っています。何かに真剣に取り組んで来た人は、さらに知識を広げるためのストラテジーを身に着けているので、新しいことも受け入れやすく、さらに興味を広げる機会も得るという好循環をもたらしているのです。

学びのもとにある「知的好奇心」により「快」「好き」「熱中する」という感情が起こると、ドーパミンという脳内物質が分泌され、記憶力の向上を助けることは、科学的に証明されています。(第8回参照

また、目標を持って学ぶことで適切なストレスを持ち、それを上手に乗り切る方法を知っているので、ストレスに強く、自己をコントロールする能力も高くなります。そのためストレスレベルが過度になるのを防ぎ、病気のリスクを下げ、健康寿命を延ばすことにつながるのです。

音楽を学ぶということ

ここで、ピアノ指導者たちが音楽体験をしながら学ぶ、いうことについても考えてみたいと思います。巧緻運動、ワーキングメモリー、空間認知などを含んだ演奏行為が脳のあらゆる領域を刺激するだけでなく、音楽はそれ自体がストレスレベルを下げ、精神的リラックスを与えて脳を活性化させます。

それに「頭を使うこと」をプラスしてデュアルタスクにすると、考えずに単純作業で何かをするよりも、脳内をさらに活性化することになり、同時に2つの作業が難しくなる認知症への予防効果が高いと考えられます。「音楽を学び、実践すること」は、まさにそのような脳の老化抑制、健康脳の維持に重要な要素が詰まった生涯学習の一つだと言えます。

コロナ禍での仲間との学びの大きさ

また、このコロナ禍でも、オンラインなどを活用してセミナーや交流会などに参加して、人とコミュニケーションを取りながら学ぶ機会が保たれたことも、大きな意味を持っていたと考えます。コミュニケーションは、脳をフル回転させる行為です。一日中誰とも関わらずに過ごした時と、たくさんの人と交流した時とを比較すると、脳の活性度合いは大きく異なります。(第11回参照)ましてやこの一年、不満足な状態を拒否して閉じこもってしまった場合と、それを打開しようと仲間とコミュニケーションを取りながら知恵を絞り合って学び続けた場合とは、それこそ雲泥の差があります。一人で悩むのではなく、興味を共有し、コミュニケーションを取り、共感性を高め合える仲間がいることは、この時期に脳の機能を低下させるのではなく、逆に高める助けをしたであろうことが想像できます。

この一年の間のピアノ指導者たちの「学び続ける姿勢」によって、一年前には想像もできなかったような成果が多々現れているということは、コロナ禍が始まった頃に「逆境の中でのピアノ学習」(特別寄稿参照)の回にご紹介したPTG(心的外傷後ストレス障害)、つまり、困難に打ち克ち、逆境を乗り越えた時に得る心理的な成長を、まさに多くの方が獲得している、ということを示していると思います。このことは、コロナ禍の学びを通して脳を若々しく保っただけでなく、今後さらに待ち受けている未知なる状況に対峙する時に再び乗り越える力として、さらに大きな自信を与えてくれることと信じています。

(取材:2021年3月22日 二子千草)