ピティナ調査・研究

【特別寄稿】逆境の中でのピアノ学習(脳科学者・瀧靖之先生)

脳科学者・瀧靖之先生が答える 「ピアノって本当に脳にいいの?」

「逆境の中でのピアノ学習」脳科学者・瀧靖之先生、特別寄稿!

大好評の本連載執筆者、脳科学者の瀧靖之先生から、この「逆境」の時、ピアノ学習にどのようなスタンスで向き合うとよいか、ピアノ指導者・学習者の皆様へのヒントとエールが詰まった特別寄稿をいただきました。

新型コロナウィルス感染症の影響により、ピアノレッスンやコンサート、セミナーなどがお休みにならざるを得ない状況が続いています。コンクールの練習にも、例年と同じ状況での取り組みができずに、不安を抱えている方も多いと思います。そのような「逆境」の時、ピアノ学習にはどのようなスタンスで向き合うとよいでしょうか?

逆境の「外的要因」「内的要因」

ピアノ学習における「逆境」、つまり、ピアノ学習がしづらくなる場面には、様々な要因が考えられます。「外的要因」としては、今回のコロナでの外出自粛に限らず、学業や仕事が忙しくなった、家庭の事情、転居などで物理的に普段のピアノレッスンが続けられなくなった時、のようなことが考えられます。一方で「内的要因」として、伸び悩みやモチベーションの低下、コンクールなど高いハードルや壁にぶつかった時などの、自身の精神的な面が影響して学習がしづらくなることもあります。

それぞれ全く違う要因ですが、「困難に立ち向かう」「辛い体験を乗り越える」という意味で、共通点も多くあります。

「今できること」に注目し、「快」の感情に結び付ける工夫をする

「不快」「嫌」「辛い」といったマイナスの感情は、脳の海馬や様々な領域にストレスを与え、脳の働きを悪化させます。そのため、ストレスを感じたままの練習、学習は、記憶の定着や練習の効果に悪影響を与えてしまいます。(第8回参照

ですから、同じことをするのでも、いかにそれを「快」「楽しい」「おもしろい」という感情と結びつけ、ストレスレベルを少しでも下げる工夫ができるかで、学習の成果には大きな違いが出てきます。それには、様々な観点からの発想の転換が必要になります。

一番大切なのは、「高いハードル」や「できないこと」に目を向けるのではなく、「今できること」に注目し、「小さな目標」を作って1つ1つ達成していくことで、その状況の中でもできる小さな成功体験を積み重ねることです。
例えば、

  • いつものやり方での練習、学習ができない時には、他のアプローチの仕方を考える
  • 現在の状況下では達成するのが難しいことの場合は、現在の状況下でも比較的達成しやすい目標を据えてみる
  • 今だからこそできること」という、プラスの面を探してみる
  • この状況でも、あきらめずに試行錯誤している自分の姿勢を評価する
  • 「この困難を乗り越えた後の自分」を想像する
  • 1人で解決しにくい時には、他の人のアイディアに耳を傾けてみる

など、まだまだ様々な方法があると思います。

「乗り越える力」(レジリエンス)とポジティブな心理的変化(PTG)

こうして試行錯誤したことは、1つ1つ成果が出るかもしれませんし、すぐには出ないかもしれません。しかし実はこの体験こそが、新しい力をつけることになっているのです。

近年注目されているのが、「レジリエンス」つまり「乗り越える力」です。(第10回参照)困難な状況でのストレス状態を経験し、それを乗り越えて適応していくことで、次に似たような体験をした時にも、過去の体験と照らしてよりポジティブな精神で立ち向かうことができる「乗り越える力」を獲得していると考えられています。それは新たな困難が訪れた時のストレスへの抵抗力となります。

またそれだけでなく、辛い体験は、必ずしも自分にとってマイナスになるだけでなく、時として自分にとってプラスになることもあり、それをPTSD(post -traumatic stress disorder心的外傷後ストレス障害)の逆で、PTG(post-traumatic growth 心的外傷後成長)とも呼ばれます。PTGは困難な経験に伴う精神的な奮闘の結果生じる、ポジティブな心理的変化のことを言います。ネガティブな体験や状況の中でも練習を止めない、あるいは自分で色々と試行錯誤しながら練習を続け、そしてその結果、この逆境が落ち着いた際に、腕を落とさなかった、あるいは少しでも上げられた、と言う事はまさにPTGになります。

困難というのは、それを乗り越える力を付けることが出来る、ある意味幸せな経験でもある、とも考えられるということです。こうして「乗り越えた」という経験は、今後の大きな自信につながり、主観的幸福度も上がるので、海馬の働きへもプラスの影響を与えると考えられます。

再開しやすい条件づくり

事情によりレッスン練習が困難になってしまった場合、少しでも再開しやすい状態をキープしておくことも大切です。「レッスンや練習の頻度や質」の違いも大事ですが、「全くやめてしまう」のと、少しずつでも、形を変えてでも「やり続けている」ことでは、もっと大きな差があります。ですから、いつもと同じ状況でレッスンや練習ができないからと言ってストップしてしまうのではなく、例えば、頻度を下げたレッスンに通う、オンラインでレッスンを受ける、時々電話やメッセージなどで先生とコンタクトを取る、レベルを下げても自分で練習できる教材に取り組むなど、何等かの形で継続してアイドリング状態を作っておくことは、再開する時のハードルを下げてくれます。

また、ファミリアリティ(親しみを感じること。特別対談参照を高めておくことも有意義です。練習している曲の演奏をCDや映像で聴く、曲に関する本を読む、同じ作曲家の他の曲を聴いてみる、同じ時代の作品に触れてみる、など様々な方法でファミリアリティを高める工夫ができるかと思います。

コロナの影響で直接のコミュニケーションが取りづらい時期ですが、コミュニケーションは、人の発する情報を読み取り、判断し、言語化し、アウトプットするという、脳をフル回転させることですから、普段とは違う形でも、電話やビデオ通話なども含め、コミュニケーションを取る工夫をするとよいでしょう。脳をフル回転させるという意味では、今回のコロナの状況に限らず、内的な要因で困難を抱えている時も、先生や家族、友人などと話すことで頭が働き、助けになることもあるでしょう。

最後になりましたが、音楽を聴くこと自体が、ストレスを軽減させ、リラックスさせる効果がありますし、自分で楽器を演奏することは、さらに脳のあらゆる領域を活性化させてくれます。自宅でできることが限られてストレスを感じる時こそ、多くのピアノ愛好家の方々にこうした効果を再認識していただき、音楽とよい関係で向き合っていただけたらと、強く切望します。そして、困難な中でも工夫次第で必ず活路はあると信じ、再び思い切り音楽活動ができる日のために、この逆境を乗り越え、レジリエンスを高め、さらなる成長をする機会としていただけたらと願っています。

(取材:2020年4月3日 二子千草)

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