第12回:大人のピアノ学習のコツは?
瀧靖之先生連載 第12回「大人のピアノ学習のコツは?」
これまで11回に亘り、ピアノ学習と脳の発達の関係についてお話いただきました。「発達・成長」と言うと、子どもの脳についてのイメージが強いと思いますが、これまでのお話は、大人にとっても同様に通じるものです。今回は特に「大人のピアノ学習」に注目してお話を伺いたいと思います。
子どもの脳も大人の脳も、基本的な仕組み、働きは同じです。そして最新の研究で明らかにされたように、脳には、外部からの刺激やトレーニングによって自身を変化・成長させる「可塑性」という働きがあり、そのため、何歳になっても脳は成長し続けることができることが分かってきました。(第9回参照)
ただ、20代後半ごろからその「可塑性」が低くなり、古い神経細胞が新しい神経細胞に入れ替わるスピードが落ちてきます。つまり、運動野が最も発達する3歳から5歳のような幼少期には、脳の可塑性が高いため、あるレベルに達するまでの時間も短く、同じ能力でも省エネで獲得することができます。しかし大人の学びでは、脳の可塑性が低くなるために、同じレベルに達するのに、より多くの労力や時間を要することになり、能力を獲得するための負荷が大きくなると考えられます。
重ねて、大人になると仕事や家事などで練習時間が限られることも多く、発達の臨界期(第7回)にある子どもと同じように、一から指の練習をして、練習曲を1つ1つクリアして…という練習方法では、同じレベルに達するまでにすごく時間がかかり、いつまで経っても子どもには追い付かない…ということになりかねません。
大人には大人の脳に合った効果的な学習法が必要になります。大人のピアノ学習のヒントも実は、大人と子どもの脳の違いに着目するとともに、共通する脳と記憶の特徴に目を向けることで、得ることができます。そのいくつかをご紹介したいと思います。
子どもの記憶の特徴は、丸暗記のような機械的暗記の能力がとても高く、ただ繰り返し練習し、聞くことで、音や響き、身体の動きで覚えてしまうのが得意なことです。
逆に大人の記憶法は、「連合記憶」と言って、何かと関連づけて覚えることが得意です。脳内にすでにある情報と別の情報を、意味を持たせて結び付けることで、より強固な記憶にすることができます。
簡単に言えば語呂合わせのように、一つの事柄に対して2つの異なるアプローチ法を持つようなものです。ピアノ学習で言えば、ある音を出すという行為に対して、色々な側面からの意味を付与することなどでしょうか。聴覚的、視覚的、身体的、力学的な側面や、感情や過去の経験や記憶との結びつき、楽曲分析や歴史的背景などから意味付けをするなど、それまでの経験とつながった様々なアプローチ法が、ピアノ学習における記憶を助けるツールとなってくれると考えられます。
また、答えを見て暗記するような形の記憶は、海馬のみを刺激しますが、そこに「考えるプロセス」を加えることで、脳の複数の領域を刺激することになり、より記憶の効果を高めることができます。
大人になってからのピアノ学習には、「真似」をうまく取り入れることも効果的です。模倣を助ける神経細胞であるミラーニューロンの働きを利用するのです。楽譜からの情報だけでなく、先生やプロの弾く様子をよく見て真似ることで、音だけでなく曲の作り方や体の使い方に至るまで、より多くの情報を取り入れて記憶することができます。鍵盤の位置などの空間認知も、運動の模倣というアプローチを取り入れると把握しやすくなります。(参照:特別対談)
さらに、予習も非常に効果的です。人間が持つ「ファミリアリティ」という、見知ったものを受け入れやすいという性質を利用することで、レッスンで言われたことが、よりスムーズに頭の中に入ってきます。自分がこれから弾くものがどのような曲か、どのような演奏を目指したいのかの全体像をイメージしてから細部の練習に入る、そういう順番の方が、頭にすっと入ってきやすいという点もありますので、多くの演奏事例を見聴きするということも、効果的な学習法の一つと考えられます。(参照:特別対談)
そして何よりも大切なのが、「知的好奇心」を刺激する学習法を、自ら選ぶということです。
第8回でお話したように、人の脳は「知的好奇心」や「楽しい」といった「快」の感情が伴うと、記憶が海馬に定着しやすい、つまり記憶や能力が身につきやすいという特色があります。逆に、興味がないことや、不快な感情をもたらすものからはストレスを感じ、記憶を阻害します。大人になると、子どもの頃と比べて個々の興味の対象が定まってくるので、自分自身の「知的好奇心が刺激される」「興味をそそる」「ストレスを感じにくい」「意欲を感じる」という分野や手法をよく顧みて、そうした方法を意識的に選び、学びが定着しやすい環境を自ら作ることが大切になってきます。
「快」の感情を生み出すには、好きな曲、好きな作曲家、好きな先生、好きな仲間、得意な学習法、好きな場所、好きなジャンルとの結びつき、好きなアーティストの演奏…など、様々な観点で見つけることができると思いますが、ピアノ学習の場合、「好きな曲から入る」ということは、特に大きなモチベーションとなると思われます。
小さいお子さんの場合も、もちろん「好きな曲」というのは重要ですが、そもそも判断するだけの材料が少ないので、そればかりに頼るわけにはいきません。しかし、人生の経験を重ねた大人にとっては、飽きずに楽しんで学習を進めるには、「これが弾きたい!」という好きな曲に取り組むのが一番かな、と思っています。大人でピアノを再開した私は、好きな曲を選曲して練習して、その中で重要なテクニックを必要に応じて繰り返し練習する、というような流れで実践しています。
また、大人のピアノ学習の秘訣のもう一つは、練習が難しい時でも、アイドリング状態を保っておくことです。
頻度を下げても少しずつ弾いておくのと、ゼロにしてしまうのとは大違いなのです。せっかく学んで脳に取り入れた情報も、そのためのネットワークも、動かさないと錆びついてしまい、再び動かすのには、動かし続けていた時の何倍ものエネルギーを必要とします。ですから、少しずつでも使い続けることが、ストレス少なく能力を獲得するために大切なのです。それだけでなく、繰り返し使ったネットワークは強くなり、より効率的に省エネで情報を伝える、つまり能力を発揮することができるようになります。
つまり、大人になってからのピアノ学習を効率的に行う秘訣は、意識的に記憶や能力が定着しやすい環境を自ら選んで実践することにあるのです。そのためのヒントが、脳科学的な観点から考えることで得られると考えていますので、私もピアノを弾く大人として、同好の皆様にはぜひともこうした情報を活用して、満足度の高いピアノ学習を続けていただきたいと願っています。
(取材:2020年7月5日 二子千草)
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