ピティナ調査・研究

『日本人作品あれこれ』第6回 作曲家インタビュー~子供のためのピアノ作品のエキスパート、安倍美穂先生

日本人作品あれこれ(執筆:杉浦菜々子)
第6回 作曲家インタビュー~子供のためのピアノ作品のエキスパート、安倍美穂先生

安倍美穂先生とは、筆者とピティナでは同じ船橋支部に所属、そして安倍先生の連弾作品を中心に連弾の共演を度々ご一緒してきました。

ピアニスト、ピアノ教育者としての豊かなご経験に加えて、作曲家としても多数の作品を生み出され、ピティナ・ピアノコンペティション課題曲の作品に数多く選出されてきました。子供たちが生き生きと目を輝かせて演奏する楽しい作品の数々。子どものためのピアノ作品のエキスパートです。

今回は、作曲との出会いから創作の現場、2025年度課題曲《トロルったらトロル》の制作背景、教育者が作曲することの意義まで、たっぷりとお話をうかがいました。

1. 作曲との出会い──「ドソドソ」からはじまった音楽づくり
──安倍先生が作曲を始められたきっかけを教えてください。
作曲なんて自分には無縁だと思っていました。大学で和声などは学んだけれど、当時は興味がわきませんでした。でも、子供が小さい時、ママ友たちから「子どもたちにリトミックをさせたいから、先生になってよ」と言われて。

それで思い切って朝日カルチャーのリトミック講座に通い始めたんです。そこで教わった馬淵明彦先生との出会いが大きな転機となりました。そこで触れたリトミックのための即興演奏。和声理論のような"型"ではなく、表現から入る音楽。「私にも作れる!」の大きな喜びと共に馬淵先生の即興演奏サークルに通い始めました。その間子供を預かってくれたママ友たちの協力に感謝です。
──その延長で作曲にも自然と入っていったんですね。
そうなんです。レッスンでは最初子供が歩ける音楽、ということで、左手は「ドソドソ」だけを使う、けれど右手はなんでもあり、で曲を作る、ということをさんざんやっていました。その延長で生まれたのが《よなかのとけい》でした。
動画《よなかのとけい》安倍美穂
──その《よなかのとけい》は、ピティナの新曲課題にも選ばれましたよね?
はい。ピティナの課題曲募集を偶然見かけて、「これ、出してみようかな」と思ったんです。何しろ初めてのことだったので、自分の作品が通るなんて思っていませんでした。でも応募したら一次審査を通って、そのあと実音審査へ。

他の応募者の方々の曲が現代曲みたいな本格的な作品でびっくりして、「場違いだった。」と思って緊張でガタガタ震えて演奏したんです。でも、そこで弾いた《よなかのとけい》が選ばれて、「ほんまに、いいんかな・・・」って思いました。(笑)

でも、それが新曲課題曲応募のハードルを下げたのでは、と思ってるんです。その後次々とピアノの先生で作曲をされる方の作品が選ばれるようになっていきましたよね。
2. 生徒と共に育つ作品──アイデアとひらめきの現場
──安倍先生の作品は、生徒さんとの日々の中で生まれているんですよね。
そうですね。日々のレッスンの中で「こういう曲があればいいのに」と感じたら、それを作る、というのが私のスタイルです。

たとえば、ある男の子、私の教室に移ってきた子だったんですけど、「僕、発表会で指の速く動く曲を弾かせてもらえなかった‥。」って言ってきたことがあって。それで彼のために作ったのが、《聖者の行進》のアレンジ。発表会用にちょっと長くて、指がパラパラっと動く部分がある曲に仕上げました。本人も大満足して、それがきっかけでピアノに前向きになれたようでした。そうそう、彼は、Jリーガーになったんですよ!

安倍美穂 発表会に長くてかっこいい曲を弾こう1<初級>
ピティナ・ピアノ曲事典

──とても贅沢な体験ですね!他にも生徒さんとのエピソードを聞かせていただけますか?
うちの教室の発表会では、世間で言うアラベスク!くらいの定番曲があって、《インドのとらがり》っていうんです。もともとは、宮沢賢治の『セロ弾きのゴーシュ』に出てくる場面を朗読とチェロで演奏するために作った曲なんです。そのときの演奏を聞いていた生徒が「どうしても弾きたい!」と言ってくれて、ピアノ版を作りました。それが発表会で大人気になって、いまでも毎年誰かが弾いています。

ピアノをもう辞めるって言っていた子が、「そういえば、僕はまだ《インドのとらがり》を弾いていなかった。まだピアノをやめられない。」って言ったり。(笑)
動画《インドのとらがり》安倍美穂
そうそう、こんなこともありました。ある子が、《インドのとらがり》の楽譜を見て、「ここに安倍美穂って書いてある!」と。私の曲と知らず弾いていたみたいで。その後、俄然やる気になってくれましたね。(笑)

《聖者の行進》《インドのとらがり》はこちらの楽譜(動画もあり)に入っています。
ピティナミュッセ「発表会に長くてかっこいい曲を弾こう1」
https://www.musse.jp/scores/16998

3. 2025年度ピティナ・ピアノコンペティション課題曲《トロルったらトロル》について
──今年度のコンペ課題曲《トロルったらトロル》について教えてください。
これは絵本『三びきのやぎのがらがらどん』から着想を得ています。ヤギたちは「やーい」とトロルをからかっています。タイトルの《トロルったらトロル》は、ことばのリズムが楽しいとふと思い浮かんだタイトルです。そのリズムがあちこちに出てきますよ。最後は「カタカタコトコト」と橋を渡る音が出てきます。全体には、イマジネーション豊かに、遊び心を演奏するみなさんが引き出してみてくださいね。

コンクールでは、最初はいろんな演奏があるのに、期間中時間を経ていく中で徐々に画一的になってくるのが残念です。それぞれのイメージや演奏表現を大切にして欲しいです。
──演奏のヒントを少しだけ伺ってもいいですか?
「音を出す準備」を意識してほしいです。私はよく、「リコーダーを吹くつもりで弾いてごらん」と言います。ピアノは鍵盤を押せばすぐ音が出るけど、息を吹き込むイメージで支えを作ると、音がずっと豊かになります。この曲は、木管合奏が合いますし、管楽器を参考にしてみると良いですね。
《トロルったらトロル》
杉浦菜々子・安倍美穂
ピアノデュオ・デュオール
(藤井隆史・白水芳枝)
4. 「歌と共に育った」安倍先生の原点と舞台作品の創作
──安倍先生ご自身は、どんな音楽体験から育ってこられたのですか?
歌好きの両親の下で歌と共に育ったように思います。中学高校時代はNHK子供の歌、の歌の弾き歌いが趣味でした(笑)中田喜直、團伊玖磨、大中恩、佐藤眞、芥川也寸志‥錚々たる作曲家たちのシンプルだけれど香りの高い作品をうっとりしながら味わっていました。それが高じて、中田喜直さんの歌曲集にも手を伸ばしたり。もっと近現代の響きにも触れたかったんですね。当時はピアノのレッスンで扱われるのは、せいぜいカバレフスキーぐらいでしたから。

そんな自分の経験から、私がこどもだったらこんなのが弾きたかった!というのを目一杯盛り込んだのが、カワイ出版からの委嘱で作った《なにしてあそぶ?》です。

《なにしてあそぶ?》
https://www.editionkawai.jp/item/detail/90553/

歌と言えばオペラの稽古伴奏もたくさん経験しました。そのことで自然な歌、楽器の音色感、が自然身についたのではないかと思います。
──ミュージカルの楽曲も手がけられていますね。
はい。お隣の町、鎌ヶ谷市の依頼を受け、ミュージカルの制作にどっぷり関わっています。まずメンバー募集、その後にそれぞれの方に合うように脚本家の相澤美智子さんが脚本を書いてくれるんです。そこに私が曲をつけていくスタイル。さらにそれを岡﨑有美子さんがエレクトーンでのアレンジをしてくださって。楽譜が読めない子もいるので、私がデモテープを作って、歌唱指導もしています。

本番は私と岡﨑さんの生演奏。セリフに合わせてほぼ即興でBGMもつけます。
第8回鎌ケ谷市民創作ミュージカル《かまがやキャッツ》ダイジェスト動画
──作品に人が合わせるのではなく、人に合わせて作品が出来上がるのですね!
5. ピアノの先生方へ──作曲のススメ
──最後に、全国のピアノの先生方に向けて、メッセージをお願いします。
はい、私がぜひお伝えしたいのは、「ぜひ、作ってみて下さい!」ということです。作曲って、そんなに構えなくていいんです。最初から立派な楽譜を目指す必要はありません。私自身、作曲を学び始めた頃、最初に受けたレッスンのひとつが本当に衝撃的で。「音をひとつだけ使って、何かを表現しなさい」という課題だったんです。たとえば「レ」の音しか使えない。その条件の中で「火」を表現してみる。そこにリズムを加えることで、私は線香花火のパチパチとした揺らぎや、はかなさを表現しました。
──それは、まさに"表現の本質"ですね。
そうなんです。限られた素材の中で、自分の中にある感情やイメージと真剣に向き合う。それが、作曲において一番大切なことだと思っています。音を「作る」こと以上に、「何を伝えたいのか」「どう聴かせたいのか」を考える。その思考が、指導にも演奏にもつながっていきます。
──でも、作曲ってハードルが高いと感じます・・・。
とてもよくわかります。でもね、「自分には無理」と思う必要は全然ないんです。最初は、生徒のためにちょっとアレンジするところからで十分です。作曲も、例えば私が《よなかのとけい》でやったように、左手は「ド」と「ソ」しか使わないとか、決まったリズムパターンだけを当ててみるとか。例えば、「ドリア旋法で作る」という馬淵先生からの課題から生まれたのが、《たいまつの踊り》です。左手は「レ」と「ラ」の音しか使わないのが条件でした。制約があることで、逆に自由になるというか。たった一音からでも始められますし、簡単な制限を加えるだけで、想像力はどんどん広がっていきます。

私の場合は「その子が使えるテクニック」という制限(笑)をいつも生徒たちがくれるので日々鍛えられています。少ない音数の中でイメージや響きがスポッとはまるものを見つけたとき、うれしいんですよね。

《たいまつの踊り》
https://enc.piano.or.jp/musics/17800

動画《たいまつの踊り》佐野隆哉
──モチーフやリズム、使う音など決めた制約の中で自由に作曲するのですね!
はい。作るときは、あまり和声のことなど難しく考えず、作ればいいのですが、そのあとで、自分が使ってるこのコードはどういうコードだろう、と分析してみる作業はやはり必要だと思います。それによって次へのステップへの深まりが生まれてきます。私はその順番でした。自分のおもしろい、美しい、という響きを書き留めていって、あとで分析する。まずはやってみて後で理論付け、ですかね。
──以前安倍先生、ご自分の曲の分析を佐々木邦雄先生にお習いになったとおっしゃっていましたが、本当?(笑)
そうそう!(笑)とても勉強になりましたよ!
インタビューを終えて(ピアノ指導者として)
安倍先生写真01

「ないから作る・必要だから作る」

安倍先生の言葉は、とてもシンプルです。

現場のピアノの先生として、生徒一人ひとりの顔を見ながら、その子に必要なものを考え、作り、届けていく。そうして生まれた作品が、また生徒たちの反応によって育っていく。お話を聞きながら、音楽と笑顔があふれる幸せなお教室の風景が目に浮かびました。

また、安倍先生は「音を選び、記号を考え、悩みながら決めていくという経験があると、楽譜の見え方が変わる」とおっしゃっていました。まさにその通りだと思います。

作曲は、特別なことではなく、私たち指導者にとっても、とても身近で大切な学びのひとつなのですね。

安倍美穂先生、本当にありがとうございました。

安倍先生
中学生の時から愛用しているNHKこどものうたを見せてくださる安倍先生。

【その他インタビューの中で登場した安倍美穂作品】
◉「気球は風に乗って」より《ドクターイエロー》

https://youtu.be/kD0Td064NdE?si=aJlXL7TtQkfcY3Lg
電車好きのお孫さんに教わったドクターイエロー。こちらの動画で共演しているRくんをイメージして作曲された。

◉連弾曲《かえるはうたう》

https://youtu.be/_04-jdbpTqw?si=b7SoCi1tb0PYqIQE
私の大好きな1曲。モチーフは「かえるのうた」なのに、どこ(どこの調)に連れて行かれるかわからない。エキサイティング!

◉「夢のおはなし」より《放課後のソナチネ、終わりのチャイム》

コンクールの自由曲としてよく選ばれる曲。「夢のおはなし」には1楽章しか載っていませんが、こちらでは全3楽章収録されています。
ピティナミュッセ「発表会に長くてかっこいい曲を弾こう2」
https://www.musse.jp/scores/16999

◉《二つの月》(2010年コンペE級課題曲)

大人向けの作品。複調で作曲されている。

佐藤展子 https://youtu.be/xNw4tSlDKHQ?si=OTY4kK5j-eSTBwLg
杉浦菜々子 https://youtu.be/b-UpRiEncIw?si=GiIxNQL6j1tgSYVf

★おまけ

安倍美穂&杉浦菜々子レコーディング風景(NG集)
https://youtu.be/R0sHZcM2I6U?si=uRt3U0iauEF2OtQH


武蔵野音楽大学大学院博士前期課程修了。日本人作品の演奏をライフワークとする。委嘱や新作の初演にも積極的に取り組んでいる。2016年よりピティナ公開録音 コンサートで「日本人作品の夕べ」シリーズとし、数多くの日本人作品を演奏、録音している。ピティナピアノ曲辞典には演奏動画と曲解説が多数登録されている。ナクソス・ミュージック・ライブラリーの代表的アーティストに選出されている。レパートリーはバッハから現代曲まで幅広い。
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