ピティナ調査・研究

NHK「ピアノのおけいこ」―テキストが果たした役割―

NHK「ピアノのおけいこ」
―テキストが果たした役割―

深水悠子(東京藝術大学講師)

NHK「ピアノのおけいこ」のテキストを収集し始めて半年が経ち、多くの先生方のご厚意にあずかり全43冊中28冊のテキストを集めることができた。ご多用の中にも関わらず大切なテキストを送付いただいただことに心から感謝申し上げたい。

テキスト

初期から中期にかけてのテキストは時間が経っていることもあり収集の見通しが立っていないが、2/3のテキストが集まったこのタイミングで、一度テキストについてまとめておきたい。

テキスト
黒字は収集済みで、オレンジが現在募集中のテキストです。

テキストで全国の学習者とつながる

「ピアノのおけいこ」のテキストは、講師が一期半年で扱う課題曲を一冊(もしくは2冊)にまとめたもので、少なくとも2年目の1963年から制作されていた※脚注1。当初はNHKが制作しており、B3サイズが巻三つ折り両面印刷された、コピー用紙を折ったような簡単な形で、視聴者がNHKに「テキスト希望」と書いて返信用切手を同封して送ると、テキストが送られてくるというシステムだった。

これは、NHKがスタート当初から、「ピアノの演奏技術の習得とともに、ひろく音楽一般の知識や豊かな音楽性を身に付けていただくことを念願※脚注2」としていたことから、番組で使用するものと同じ楽譜を手軽に入手できるようすることで、視聴者が学び手となりレッスンを擬似参加できるよう工夫したものと考えられる。

66年(後期)安川加壽子先生回のテキスト表紙

講師がテキストに込めた思い

その後、68年までにテキストの制作がNHK出版に移り、中綴じはステープラー留めに製本された小冊子に変更され、一般に楽器店や本屋で購入が可能となった。71年になると、巻頭に講師とNHKの制作責任者の挨拶文が加わり、講師の選曲の意図、講師としての意気込み、ピアノ教育への想いや、制作陣の番組制作の方向性などが言語化され、番組がその期で目指すゴールや、対象となる層が明示されるようになった※脚注3。71年前期に講師として出演した三浦浩先生を例に挨拶文を簡単にまとめた。

60番前後から終わるまでの間のバイエルと、なるべく並行して使えるような形にした。読譜をはじめ、基礎的な勉強が中心になります。そしてバイエルの70番から80番のラインをこえることを課題とする。

70年代の日本でバイエルが広く使用されている状況を踏まえた上で、三浦先生がバイエルの併用曲として選曲しており、ツェルニーやケーラーのエチュードに加えて、チャイコフスキーやシューマンとそして邦人作曲家の小品などで構成され、子供が無理なく取り組めるよう寄り添ったプログラムという印象である。音域や臨時記号に配慮が感じられ、丁寧に三浦氏が選曲したことが伺える。
一方、73年の井内澄子先生の回では、全体が難易度ことに4つに分けられている。レオポルト・モーツァルト《メヌエット》などの第一部、第二部でブルグミュラー《おしゃべり》等、第三部ではシューマン《トロイメライ》等、そして連弾という第四部構成となり、初心者からある程度弾ける方まで幅広い層に対象が広げられた格好である。

(曲の難易度をきめるわけにはいきませんが)このテキストでは、練習の課程として、一応四つに分けてあります。1部はピアノ練習への導入に始まり、2部では音の動きが複雑になります。2部は、さらに二つの段階にも分けられます。3部は、1オクターブとペダルが、らくにとどく人を考えての選曲です。だいたい、作曲家の年代順に配列してあります。

75年の神西敦子先生の回は、「昔から人びとに愛され、引き継がれてきたものばかり」で構成されており、その理由を"人に好まれて、よく弾かれる曲ほど、わりにそまつにあつかわれていることが多いので、こういう曲こそ、しっかり、きちんと勉強したいとおもってこのテキストの曲を集めてみました"としている。エリーゼのために、モーツァルトのK.545やブルグミュラー《アラベスク》等を中心に、ディアベリやギロック、フランク《人形のなげき》も含まれ、有名なよく弾かれる作品に加えて、神西先生の目線で子供向けに選んだと思われる作品も組み込まれている。遊びの部分で神西先生の選曲の妙がひかる。
83年の中村紘子先生の回は、「デビューリサイタル」のプログラムという設定で、候補となる作品とアンコール用の小品も加えて課題曲が構成されている。ロマン派の作品を中心に選曲されており、番組開始から22年経ち、子どもだった学習者が大人になった設定とのことである。
上記に挙げた回以外も、それぞれに対象や設定がそれぞれ異なり、テキストを通じてそれらを大まかに汲み取ることができる。テキストの選曲には、番組の制作の意図を汲みながら、講師が半年の間に生徒に伝えたいことへの思いが込められており、講師それぞれの考えや個性が反映され興味深い。

一点、後世への影響という点で特筆すべきは、四期の学び方が番組で紹介されていたことである。71年の井内澄子先生の回で、時代ごとに作品を学ぶ形がとられており、「バロックから古典派まで」「ロマン派」「現代」「合奏」という四部構成がとられている。さらに続く72年の小林仁先生の回は、「バロック」「ウィーン古典派とその時代」「ロマン派」「現代」と明確に四期に分類されている。時代に分けてそれぞれの作品を学ぶ方法は、ピティナのコンペティション(77年~)が四期で課題曲が出されることで、全国に浸透し現在に続いているが、それよりも前に四期で学ぶことが提案されていたということになる。
番組を通じて、この時代に全国にさまざまな作曲家と作品が紹介されたという功績も見逃すことができない。ロシア音楽に精通している寺西昭子先生の担当回(81年)では、マイカパル、コレネフスカヤ、リュバルスキーといったまだ馴染みのないロシア人作品が選曲されており、さらに舘野泉先生(83年)の回ではシベリウス、パルムグレン、メラルティン等、フィンランドを代表する作曲家の作品が多数組み込まれ、日本に広く北欧の音楽が紹介された。アンケートでも舘野先生の回を見て、初めて北欧の作品を聴くことができたという回答が複数見受けられた。

上記の通り、講師陣はそれぞれピアノを教えることに明確な意図を持って半年間の番組を担当していた。少なくとも講師が受け身ではなく、半年間責任を持って生徒を育てるという能動的な気持ちで取り組んでいたことになる。ことテキストに関しては、テキストを全国の視聴者が手軽に手に入れられる仕組みを作ったことはNHKが大きな功績を残した。視聴者は番組を通じて課題曲を学ぶことが可能になりその恩恵に預かった。

邦人作品

さて全体を鳥瞰すると、テキストの曲目に邦人作品が含まれていることに気が付く。入手できている28名の講師の中、15名が邦人作品を取り上げており、多くの講師が邦人作品を意図して組み込んでいたことがうかがえる。この年代に邦人作品がこれだけ紹介されていたことに驚きを覚えるが、扱っている作曲家の幅が広く、子供向けの作品を主としている作曲家もいる一方で、現代音楽作曲家や、黎明期の名ピアニスト、軍楽隊(自衛隊)で吹奏楽を得意とする作曲家、邦楽家などさまざまな分野で活躍している音楽家が、色とりどりの作品を残しているということも新鮮な驚きを覚える。我々日本人は既に自分たちの子供向けの作品を手にしており、それらは早い段階で優秀な講師により紹介されていた。
しかも幸運なことに、番組の放映時期にまだ作曲家が存命であり、かつ第一線で活躍していたことから、番組をきっかけにして委嘱作品が複数生まれた。実は湯山昭の《お菓子のベルト・コンベヤー》は、番組のテーマ曲として作られた作品である。

「お菓子の世界」の発想の芽ばえは、1971年に遡ります。その梅雨の頃私は、NHKのテレビ番組「ピアノのおけいこ」のために、新しい小品を書いていました。~(タイトルが浮かばず)苦しまぎれに、音楽が軽快なテンポで左から右へ流れていくので、ベルト・コンベヤーというタイトルを思いつくところまで行ったのですが、それでは余りに無味乾燥でつまりません。~「そうだ『お菓子の』という形容詞をつけよう。綺麗なお菓子の隊列が、コンベヤーにのって子どもたちの前を通りすぎていく。※脚注4

その後全音楽譜出版社から雑誌で新曲連載の依頼がきた際に、湯山氏は「お菓子のベルト・コンベアー」を序曲にしてお菓子ばかりのピアノ組曲にすることを思いつき、「お菓子の世界」出版へとつながった。
そして武満徹の《微風》《雲》は、井上直幸氏の担当回で委嘱され生まれた作品であり、さらに宍戸睦郎《きまぐれこうま》と甲斐直彦《スタッカートとレガート》※脚注5は、桐朋学園音楽大学で教鞭を執った三浦浩先生の回の委嘱作品である。井内澄子先生担当回には、生田流の 唯是震一 による新曲《おどり~ピアノと箏のために~》が制作され、タイトルから察するにピアノと箏のため作品で番組で合奏したものと考えられる。また、高木東六先生は課題曲のうち半数にあたる7曲を自ら作曲し、72年に小林仁先生が講師を担当した際は《ちこくしたら大変だ!》を番組のために書いている。
これだけ作曲家が番組をきっかけに子供向けの作品に参加した、ということは意義深い。当時、作曲家も演奏家も有機的な人間関係の中で、同時代的に体系的な教育を広め、日本のピアノ教育を発展させるという大きな目標を共有していたという背景があり、NHKという全国区のメディア加わることで、広く見渡しながら音楽界全体がまとまり、ピアノ教育に貢献するという考えが芽生えていた。

桐朋の教材を作る文化

そして、リストを見て気づくことがあるだろうか。桐朋の先生が多いのである。今回のために「こどものための現代ピアノ曲集I、II」(桐朋学園こどものための音楽教室編)を確認したところ、リストにある作品のうち小山清茂《かごめ変奏曲》、入野義朗《十二の音で》の2曲が含まれていた※脚注6。子供のための音楽教室の室長である別宮貞雄は、この楽譜の編纂のため教室で教材となるピアノ新曲を作曲家に依頼しており、挨拶文で記されている通り、自由に作曲してもらったため曲のレベルや表記などが統一されていない一方で、作曲家の個性が存分に発揮され、ピアノ学習者が一級の作曲家の作品に触れることができる曲集として大変優れた内容になっている。別宮は学内外に依頼したとしているが、やはり戦後の音楽専門教育の旗手だった子供のための音楽教室に多くの作曲家が携わっており、自分たちで子供向けの教材を作る文化があったことは、このリストに桐朋の先生が多いことと深く関係していると言えるだろう。別宮は邦人作品をピアノ教育で扱う意義を以下のように説く。

こどものための現代ピアノ曲集
日本の音楽の世界がほんとうに発展するためには、演奏家が日本人の作品をもっとひくようにならなければならないと思います。そのためには修業時代は、もっぱら古典派、ロマン派の作品にだけしたしみ、一人前になってはじめて、現代の作品にぶつかるということではだめで、子供のころから、現代の作品、日本人の作品になじむようにならなければならないと思います。

日本で豊かな音楽文化を育むためには、日本人作品を演奏することが重要であるが、そのための作品が少ないためこのような曲集を出版することになったという。そのようにして残された作品を今日の我々が演奏できるのは幸運なことである。曲集に収められた曲に幅があるため、実際の指導に落とし込んで使用するとなると容易ではない場面もあるかもしれないが、やはり日本人の作品からは得るものが大きいだろう。

そう考えると、一流講師によってこれだけの邦人作品の指導を全国放送で見ることができたというのは贅沢である。今となれば、どのように指導したのか興味が湧くばかりである。

  • 第一期(1963)でテキストが出版されていたか否かは不明
  • 飯沼一之「ピアノのおけいこ 1971年 三浦浩」(1971)NHK出版。テキストの冒頭の挨拶文より
  • 68年後期から70年後期までのテキストが未入手のため、正確にいつから巻頭の挨拶文が加わったのかは不明
  • 湯山昭 ピアノ曲集「お菓子の世界」(1974)全音楽譜出版社。前書きより
  • 76年井上直幸氏の回でも課題曲に採用されている
  • 番組に生徒で出演された矢冨圭子先生(講師:三浦浩氏)が、小学校高学年の生徒が湯山昭氏の《キツツキのうた》を演奏していたのを記憶されている。《キツツキのうた》も「こどものための現代ピアノ曲集」に入っている。ただ、入手したテキストの中にはなかったため、おそらく出演時のテキストを未入手という状況である
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