NHK「ピアノのおけいこ」大調査 アンケート集計結果(2)地方のピアノ教育拡大を目指して
深水悠子(東京藝術大学講師)
コンペティションのはじまり
以前、『our music-わたくしたちの音楽-』のとある記事を読んだ。福田靖子先生が、アメリカのピアニストでバルトーク研究家、ヨルダ・ノヴィック女史来日の際に、「日本のピアノ教育の地域差を埋めるにはどうしたらいいか」と尋ねたところ「コンクールをしなさい」と答えたという。ピティナのコンペティションの始まりを示唆する内容だった。コンペティションの趣旨にも、確かにこうある。
1977年第1回PTNAヤングピアニスト・コンペテションから45年経った今。年々進化し続けるコンペティションをみたら、きっと福田先生も今の状況を見てピアノ教育の地域差は縮まったと感じてくれるだろう。
「ピアノのおけいこ」が目指したもの
コンペティションより15年ほど前に、「ピアノのおけいこ」もまた地方にピアノ教育を広める目的で制作された。アンケート回答に、当時のピアノ教育の地域差に言及している内容がいくつかあったので下記に挙げる。
- 田舎の子供にとっては中央の偉い先生のレッスンという緊張感が印象に残っています。(熊本県の先生)
- 当時、東京と地方では教育の格差があったので、東京で本物の教育を受けたいと思ったきっかけになった。(福岡県の先生)
- こんな曲があるのかという所から始まり、音符の羅列で止まらず間違わないで弾けたら良しというレベルで満足していた田舎(当時富山県在住)の子供が衝撃を受けた番組でした。(大阪府の先生)
- あの時代、地方では今ほどいろんな演奏家や有名指導者がいらっしゃる事は無く、YouTubeなどの媒体も無かったため、この番組でハイレベルなレッスンを見る(聴く)事によって刺激を受けていた。(愛媛県の先生)
- 私の住んでいたところは田舎で楽器店が少なくて、唯一の楽器店にはピアノの楽譜は春秋社しかおいてなくて、それもモーツアルトやベートーベンのソナタ集のようなものでしたので、楽器店でなく本屋さんで買えるピアノのおけいこは手に入りやすくて、いろんな時代のいろんなスタイルの曲、さらに知らない作曲家の作品、邦人作品が入っていて毎回楽しみに見ていました。(香川県の先生)
- 地方でしたので東京で一流の講師指導を受けられる受講生が羨ましかったです。(愛媛県の先生)
- 地方にいながら著名な先生方のご指導を視聴でき、ワクワクする時間でした。(岡山県の先生)
番組を地方で視聴していた先生方からのものであるが、実はこれは一部であり他にも寄せられたことを鑑みると、その当時、あるいは後にピアノ教育の地域差を感じた方が多くいることがわかる。
大雑把に理解すれば、「ピアノのおけいこ」のハイレベルなレッスンに刺激を受けたり、羨ましく感じたりしたということである。「地方にピアノ教育を広める」という番組の目的に立ち返ると、"広める"までたどり着いていないかもしれないが、一流のレッスンを地方に伝えることができていたということになる。その点で、番組が果たした役割は大きい。
「ピアノのおけいこ」が明らかにした上達のための秘訣
これまで門外不出だったレッスンが、視覚と聴覚に訴える形で初めて公になり、多くのピアノ指導者と学習者がその恩恵にあずかった。決められた台詞はほとんどなく、講師が話す内容は講師の考えによるものであり、テキストも講師が編纂したもので、講師の意図が100%反映されていた。講師の人選も絶妙で、既に一流の演奏家として実力も備えた人物が選ばれ、それぞれ魅力溢れる人柄やレッスンを披露した。半年間続けて同じ講師と生徒が出演し、生徒の成長を見守る形を取ったことも功を奏したのだろう。講師の個性や生徒のレベルを理解しながら、視聴者が腰を据えて指導法や上達のヒントを学ぶことに繋がった。また半期で講師が入れ替わることで、様々な考え方や表現、音楽性、解釈があることを理解し、視聴者は選択肢を持てるようになったのである。
指導法を模索し、よい教材を探していた指導者も、もっとピアノが上手になりたい学習者も、"専門家を目指している訳ではない"、あるいは"楽しければよい"と、何らレッスンに問題を感じていなかった指導者や生徒も、「ピアノが上手になりたい」→「○○○○○」→「ピアノを上手に弾ける」という方程式で、ブラックボックスのようになっていた○○○○○の中身を知ることができた。つまり、上達するための秘訣、音楽的な表現と、それを実現するための技術や方法を、番組を通じて学ぶことができたのである。井内澄子先生は、番組の中で「小さいお子さんにはこのように指導すると良いですね」と話しかけることが何度かあり、上達のための指導法を伝授する目的をもって出演していたところがあったと見受けられる。
一つわかりやすい回答がある。
- 田村宏先生だったと思いますが最終回でブルグミュラーの「貴婦人の乗馬」を演奏されました。当時小学生だった私も習った曲でしたが、先生の演奏の乗馬のようなリズム感が衝撃的でした。同じ楽譜でも こんな風に全く違う生き生きとした演奏になるんだ! おそらくそれが私をピアノの道に進ませた原動力だと思います。そして今、生徒にそのような演奏を聴かせられるようにしてレッスンしています。(神奈川県の先生)
つまり、ご自身に足りないもの=乗馬のようなリズム感を、田村先生の演奏を通じて感じたということである。番組が教材の役割を果たし、質の高いピアノ教育を広める一助になったのである。
さて上記のように番組が地方にピアノ教育を広めることに貢献したとはいえ、「ピアノのおけいこ」を通じて地域差がなくなったのかというと、それにはまだ時間が必要であった。田村宏先生は晩年に以下のように語っている。
厳しい表現であるが、都会と地方の見えないピアノ教育の線を感じさせるものである。
都会と地方のピアノ教育格差の実際
しかしここで考えなければならないのは、都会と地方の格差は線を引けるほどきれいなものだったのかということである。答えは否である。アンケートの回答に"講師と生徒に対する憧れ"を挙げたのは、地方のみではなく東京の視聴者も同様だった。つまり音楽学校が多く、指導者の数も多く、大きな楽器店もあった東京でも、一流の指導が求められていたということである。ここからわかることは、トップレベルの指導者が東京にはいたが、指導法が広がっていなかったということだろう。おそらく専門的に学びたいという明確な目的をもって、運良くいい先生につくことができればその技術などを享受することができたが、それ以外の場合においてはレッスンにも差があったと推測される。
視聴者の憧れを引き受けた番組
- こんな風に教えていただけたら、きっと「上手に」なっていただろうな・・・と子ども心に思っていました。(愛知県の先生)
この回答は、その当時生徒だった頃の切実な気持ちであり、番組を視聴した多くの人が共通して抱いた思いだっただろう。
井上直幸先生は番組で人気を博し、アンケートでも指導を受けたかった、という声がいくつか寄せられた先生である。先生の卓越した音楽性や演奏技術はもちろん、柔らかい物腰、穏やかな口調など、当時のピアノの先生像と大きく異なり、憧れとともに多少の衝撃を持って受け止められたことは確かである。そういう意味で、井上先生が番組に出られたことは、厳しい指導から生徒の個性を引き出す指導に切り替わっていく、つまり新しい考え方が広まっていく一つのターニングポイントになったと言えるだろう。
さらにもう一つ、番組の再放送を希望する声や、現代版「ピアノのおけいこ」を希望する回答が多かったことは、指導の疑問に対する答えや、上達へのヒントを今も求めているからなのだろうと感じたことも補足しておく。
最後に、この記事ではピアノ教育の地域差の問題自体はテーマから逸れるため触れていないが、これについて考えを深めていくと「何をもってピアノ教育を図るか」という本質的な問いにぶつかる。その答えを導き出すには、それぞれの地域経済、長年培ってきた音楽文化、そして地域ごとの社会構造などの要因が関係し相乗的に向上するものであり、地域の特性を理解する必要がある。そこにピアノの発展、音楽教室・楽器店の役割、教材の充実、ホールの設置、コンクールの実施なども絡んでくるため、簡単にはレベルが高い、低いとは言い切れないである。これは今後の課題とし、また別の機会に明らかにしたい。
- 田村宏(執筆協力 萩谷由喜子)(2009)「ある長老ピアニストのひとりごと」株式会社ショパンp.164