ピティナ調査・研究

第14回 ともにひらく、日本人作品の未来

執筆:杉浦菜々子

ともにひらく、日本人作品の未来
― ピティナ公開録音コンサート「日本人作品の夕べ」Vol.17 公演レポート ―

日本人作品の世界には、まだ「聴ける音」が足りません。
楽譜はあるのに、演奏に出会う機会が少ない。音源がなくて、入り口が見つからない——そんな曲が、たくさんあります。

2026年2月6日、公開録音コンサート「日本人作品の夕べ」Vol.17では、新しい試みがありました。それは、オーディションを通して、さまざまな立場のピアニストが選ばれ、一つの舞台を作ったことです。

プロとして活動する演奏家。指導の現場で日々音楽を伝えている先生。そして、真摯に作品を掘り下げてきたアマチュアのピアニスト。多様な背景を持つ人たちが関わることで、お客様もさまざまな方が集まりました。そこに共感が生まれます。

さまざまな人が一堂に会し、刺激を受け、共感が広がり、音楽がひらかれていった——そんな一夜のレポートをお届けします。

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2026年2月6日 公開録音コンサート「日本人作品の夕べ」Vol.17
この舞台ができるまで

本公演は、杉浦菜々子主催、ピティナ・ピアノ曲事典編集部共催によるオーディションを経て実現しました。2025年4月に動画審査、5月に実地審査を行い、出演者を選出しました。

選考では、音楽を専門とする方とそうでない方を分けて審査し、履歴書の提出も求めました。演奏技術だけでなく、これまでの活動や取り組みも評価の対象としました。特筆すべき活動は、日本人作品の普及を支える大きな力になると考えたからです。

また、選曲については、ピティナ・ピアノ曲事典に掲載のない作品を積極的に重視しました。まだ十分に紹介されていない作品に光を当てることも、この企画の大切な目的の一つです。

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募集は決して長い期間ではありませんでしたが、予想を超える応募が全国から寄せられました。それぞれが思いを込めた選曲と演奏で、日本人作品への熱意を示してくださいました。

日本人作品は、音源が少ない。楽譜はあっても、聴けない。だからこそ、この公開録音は「記録」であり、「資料」であり、次に弾く人のための灯りでもあります。一つの演奏が、新たな出会いの入口になることを願って、この舞台は生まれました。

作品紹介
山田耕筰《聖福 1・2》

山田耕筰(1886–1965)は、日本近代音楽の出発点に立つ作曲家です。東京音楽学校卒業後、ベルリンに留学し、西洋の作曲技法を本格的に学びました。帰国後は交響曲、歌曲、オペラなど幅広い分野で創作を行い、日本における西洋音楽の基盤を築いた存在として知られています。

1917年は、山田がピアノ小品を集中的に書いた年です。《聖福 1》《聖福 2》は、ともに「Petit Poème(小さな詩)」と題された作品で、この名称は当時山田が好んで用いていた形式です。特定の物語を描くというよりも、ある感情や印象を凝縮した"音のスケッチ"といえるでしょう。

第一子誕生の時期に書かれたことから、祝福の気持ちが込められていると考えられています。《聖福 1》は強弱の振幅が大きく、和声の変化も大胆で、内側から湧き上がるような高揚感が印象的です。一方《聖福 2》は「舟歌風」と記され、ゆるやかな揺れの中に旋律が歌われます。西洋的な形式を持ちながらも、どこか素朴で親密な響きが残るところに、山田の個性が感じられます。

演奏:清水知子

大学で留学生に日本語を教えていらっしゃる清水さん。子どもの頃は、師の影響で自然と日本人作品を弾く経験もあったとおっしゃいます。コンサートの幕開けに相応しい堂々とした演奏でした。そして、この舞台を心から楽しんでいらっしゃるのが印象的でした。

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ピアノ曲事典《聖福 1》 ピアノ曲事典
ピアノ曲事典《聖福 2》 ピアノ曲事典
山田耕筰《スクリャービンに捧ぐる曲》より〈夜の詩曲〉

ベルリンからの帰途に立ち寄ったモスクワで、山田はモスクワ音楽院の学生によるスクリャービンの音楽に触れ、大きな衝撃を受けました。それまでドイツで学んできた音楽とは異なる、神秘的で内面的な響きに強く心を動かされたといわれています。本作は、その体験を背景に書かれました。

〈夜の詩曲〉は、半音階的な和声進行と浮遊感のある旋律が特徴です。特に印象的なのは、音の余韻の扱いです。和音が解決しきらずに漂う瞬間、響きそのものが夜の空気を描いているように感じられます。山田が西洋近代和声を自らの感性に引き寄せようとした、その模索の一端が垣間見える作品といえるでしょう。

演奏:川村早苗

ピティナの舞台参加は500回を超え、日本一です。「80歳くらいまではピアノを弾いていたいわ」と朗らかにおっしゃいます。毎週舞台に立ち、音楽を人生の友とされる川村さんの演奏には、深い味わいがあります。

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ピアノ曲事典 ピアノ曲事典
箕作秋吉《花に因んだピアノ曲 Op.16》より 1.〈夜の狂想曲〉 3.〈春のやよい〉

箕作秋吉(1895–1971)は、東京帝国大学工学部応用化学科を卒業し、のちに理学博士となった、きわめて異色の作曲家です。ドイツ留学中には和声法を学び、帰国後は、日本の旋法に適した独自の和声理論、いわゆる「日本的和声」の探究を進めました。その業績によって、箕作は日本の近代作曲史において重要な位置を占めています。

《花に因んだピアノ曲 Op.16》は、〈夜の狂想曲〉(1935年)、〈さくらさくら〉(1940年)、〈春のやよい〉(1957年)の3曲から成る作品です。これらは最初から一組として作曲されたのではなく、もとはそれぞれ独立した作品でしたが、のちに作曲者自身によってまとめられました。

第1曲〈夜の狂想曲〉は、神田明神の夜祭に咲き乱れる牡丹の花の記憶から着想を得た作品とされており、幻想的で色彩感に富んだ音の世界が印象的です。また、第3曲〈春のやよい〉には、箕作が追究した日本的な旋法感覚がより円熟したかたちであらわれています。

演奏:寺見可奈子

偶然箕作作品に出会い、絶版楽譜を大学図書館で入手。発表会などで弾き込んでこられた稀有なアマチュアピアニストです。時間をかけて弾き込んできた渾身の箕作秋吉。圧巻でした。

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早坂文雄《室内のためのピアノ小品集》より〈第5曲〉〈第15曲〉

早坂文雄(1914–1955)は、黒澤明監督作品の映画音楽で広く知られていますが、室内楽やピアノ作品にも独自の世界を築いています。

《室内のためのピアノ小品集》(1941年)は、17曲から成る短い小品集です。タイトルが示すとおり、演奏会場ではなく"室内"で弾かれることを想定して書かれました。日常生活の中で、好きなときに弾き、好きなところでやめる——そうした自由さが作品の性格として意識されています。和声は簡潔でありながら、配置や音域の扱いが非常に繊細です。大きなドラマを描くのではなく、静かな時間の中に芸術性を見いだそうとする姿勢が感じられます。

演奏:山平昌子

お茶や和歌の世界にも精通され、この日も美しい着物姿での演奏。日本文化への深い理解が、早坂の"私室の音楽"と静かに重なりました。

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石桁真礼生《組曲》

石桁真礼生(1916–1996)は、理論書『楽典―理論と実習』の著者として広く知られる作曲家・音楽教育者です。作曲家としては、オペラや声楽作品など、幅広い分野で活動しました。

《組曲》は、『こどものための現代ピアノ曲集1』に収められた5曲からなる作品で、〈前奏曲〉、〈ガボット〉、〈カンティレーナ〉、〈間奏曲〉、〈マヅルカ〉から構成されています。古典的な題名を持ちながらも、声楽作品を多く残した石桁らしい美しい歌が聞こえてきます。簡潔で引き締まった書法のうちに、それぞれが異なる表情で歌われています。教育的な曲集の中に置かれた作品でありながら、端正な構成感と繊細な表現が求められる作品です。

演奏:平野由美恵

日頃より歌曲やヴァイオリンの伴奏で活躍されている平野さん。豊かな歌心ある演奏でした。資料の少ない作品で、今回の録音はきっと道しるべになっていくでしょう。

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斎藤高順《3つの宝石》

斎藤高順(1924–2004)は、映画や放送音楽の分野でも活躍した作曲家で、親しみやすい旋律を生かした作品を多く残しました。《3つの宝石》は、〈エメラルド〉、〈トパーズ〉、〈サファイヤ〉の3曲から成る小品集で、独特の魅惑的な雰囲気を漂わせています。3曲の宝石を表現する音色や雰囲気の描き分けが楽しい作品です。

演奏:開坂望生

中学校教員として多忙な日々の中、研鑽を続けていらっしゃいます。この曲は高校時代、ピティナ・コンペティション全国大会出場時に演奏されたという作品。多くの舞台経験を経て、改めて向き合った好演です。

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林光《花の図鑑・前奏曲集》より〈ヒメエゾコザクラ〉〈イヌノフグリ〉

林光(1931–2012)は、戦後日本を代表する作曲家の一人であり、社会や歴史への深い関心を持ちながら、多彩な作品を残しました。演劇、映画、放送音楽の分野でも活躍し、幅広い表現世界を築いた作曲家です。

《花の図鑑・前奏曲集》は、左手のピアニスト舘野泉のために書かれた作品集です。花の名をもつ各曲には古今の詩がエピグラフとして添えられ、少ない音のなかに、詩のような余韻と繊細な響きが凝縮されています。簡素な筆致の中に、林光ならではの深い叙情が感じられる作品です。

演奏:近藤明菜

音楽博士。東京大学、アメリカで学び、中国や台湾のクラシック作品にも精通する博識なピアニストです。戦争に関係する曲、ということで選曲されました。広い視野から作品を捉えた演奏でした。

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林光《島こども歌2》より〈ぎつぎつさんぎつ〉〈あったくゎとぅわんなくゎとぅ〉〈雨雨ふぁふぁ〉〈アカナ〉〈いい正月や〉〈花ぬ風車〉

林光(1931–2012)《島こども歌2》は、沖縄のわらべうたや民謡に材をとった作品です。親しみやすい歌の素材をもとにしながら、単純な編曲にとどまらず、作曲家ならではの鋭いリズム感や響きの工夫によって、素朴さの中に鮮やかな現代感覚が息づいています。反復や打鍵の効果も印象的で、愛らしい表情のなかに、きわめて凝縮された音楽が形づくられています。

演奏:榎本玲奈

クラシック、ポップス、ジャズを横断するジャンルレスな活動を展開するピアニスト。沖縄県立芸術大学で学んだ沖縄での経験が今回の選曲につながりました。土地の空気を知る人として熱い演奏をしてくださいました。

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ピアノ曲事典 ピアノ曲事典
三善晃《スクリアビン風の詩曲Ⅰ・Ⅱ》、組曲《こんなときに》

三善晃(1933–2013)は、戦後日本を代表する作曲家の一人です。響きの美しさへの鋭い感覚と、音楽の時間の流れを丁寧に形づくる力によって、張りつめた緊張感と深い叙情性をあわせ持つ独自の音楽世界を築きました。

《スクリアビン風の詩曲Ⅰ・Ⅱ》は、その題名が示すとおり、スクリャービンを思わせる響きを感じさせる作品です。短い作品のなかに、凝縮された音のニュアンスと緊密な構成が息づいています。

一方、組曲《こんなときに》は5つの小品から成り、それぞれに子どもの世界を思わせる具体的で親しみやすい題名が付されています。簡潔な素材によって書かれながらも、三善らしい鋭い感覚と豊かな表情が織り込まれた、愛らしくも洗練された作品です。

演奏:吉田緑

ピアノ指導者。西大島アクセントステーション代表であり、ピティナステップアドバイザー・コンペティション審査員としてご活躍です。第1回Miyoshi Netピアノコンクールから継続して三善晃ピアノコンクールに出場され、直接三善晃先生からお言葉をいただいて以来、作品を弾き続けてこられました。作曲家と言葉を交わした経験を大切に、三善作品に特別な思い入れを持って演奏してくださいました。

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今回の演奏(組曲《こんなときに》) YouTubeで観る
参考演奏(大井浩明)《スクリアビン風の詩曲》 YouTubeで観る
参考演奏(杉浦菜々子)《こんなときに》 YouTubeで観る
ピアノ曲事典《スクリアビン風の詩曲Ⅰ・Ⅱ》 ピアノ曲事典
ピアノ曲事典《こんなときに》 ピアノ曲事典
山田耕筰《夜の歌Ⅰ・Ⅱ》/武満徹《リタニ ― マイケル・ヴァイナーの追憶に ―》

《夜の歌Ⅰ》(1914年)《夜の歌Ⅱ》(1916年)は、それぞれ独立した作品です。西洋のノクターン形式を踏まえながらも、日本的な間合いや歌心が随所に感じられます。旋律は簡潔で、和声の動きは穏やかですが、内側には確かな緊張が流れています。

武満徹(1930–1996)の《リタニ》は、1950年作曲の原曲《二つのレント》を、1990年に記憶を頼りに再構成した作品です。〈アダージョ〉と〈レント・ミステリオーソ〉の二曲から成り、音と沈黙の関係が精密に設計されています。静謐でありながら、深い精神性を湛えた作品です。

演奏:杉浦菜々子

この公開録音シリーズは、2016年第1回、武満作品の演奏から始まりました。そして、CD録音や楽譜の校訂、執筆を通して活動の中心にある山田耕筰。10年目のこの公演で、武満と山田の演奏で節目を刻みました。

今回の演奏(山田耕筰《夜の歌Ⅰ・Ⅱ》) YouTubeで観る
今回の演奏(武満徹《リタニ ― マイケル・ヴァイナーの追憶に ―》) YouTubeで観る
参考演奏(藤井一興)《リタニ ― マイケル・ヴァイナーの追憶に ―》 YouTubeで観る
ピアノ曲事典《夜の歌Ⅰ》 ピアノ曲事典
ピアノ曲事典《夜の歌Ⅱ》 ピアノ曲事典
ピアノ曲事典《リタニ ― マイケル・ヴァイナーの追憶に ―》 ピアノ曲事典
あとがき

「日本人作品の夕べ」は、日本人作品を愛する私の小さな活動をピティナが大きな心で受け止め、継続させてくださった企画です。そうして、2016年から10年続けることができました。

振り返れば、その時々の出演者の方々、足を運んでくださるお客様、そして公開録音という場をともに支えてくださる方々に支えられての歩みでした。

今回のVol.17も、その積み重ねの一つです。一夜の演奏会でありながら、それぞれの準備の時間や思いが重なって生まれた舞台でした。

この日の演奏が、どこかで誰かの大切な一曲につながっていけばこれほど嬉しいことはありません。

出演者集合写真

(後列左から)寺見可奈子さん、清水知子さん、榎本玲奈さん、川村早苗さん、開坂望生さん、近藤明菜さん。
(前列左から)平野由美恵さん、杉浦菜々子、吉田緑さん、山平昌子さん。


武蔵野音楽大学大学院博士前期課程修了。日本人作品の演奏をライフワークとする。委嘱や新作の初演にも積極的に取り組んでいる。2016年よりピティナ公開録音 コンサートで「日本人作品の夕べ」シリーズとし、数多くの日本人作品を演奏、録音している。ピティナピアノ曲辞典には演奏動画と曲解説が多数登録されている。ナクソス・ミュージック・ライブラリーの代表的アーティストに選出されている。レパートリーはバッハから現代曲まで幅広い。
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