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音楽こそが最高の「教養」である ―ドラッカーに学ぶ「自分経営」の極意(4)

音楽こそが最高の「教養」である
―ドラッカーに学ぶ「自分経営」の極意

文:井坂康志

音楽の都

さて、ドラッカーが何から学んできたか。これはとても大切な問題ですから、少し丁寧にお話ししたいと思います。まず、彼の生まれた場所、時代が重要になってきます。

生まれた場所と言うと、アメリカではないのですか?

アメリカではない。昨今の経営学者やコンサルというとアメリカのイメージがあまりにも強い。けれども、アメリカではなく、オーストリアのウィーンなのです。

ウィーン。知らなかった。

ウィーンと言うと何を思い浮かべますか?

ヨーロッパ・・・ですよね。

ヨーロッパです。ほかには。

ええと、よくわかりません。

ウィーンと言うと、音楽の都です。

そうそう。何でそれが出てこなかったのだろう。

シューベルト、ベートーヴェン、マーラー、ブルックナー・・・、実にたくさんの音楽家を輩出している。もちろん音楽だけではありませんよ。ありとあらゆる文化と教養の都だったんです。

ドラッカーは音楽の都に生を受けたと。

その通り。このことは彼の世界観の基礎になっていると言っていいんです。もう一つ、いつ頃生まれた人だと思いますか?

大昔と言うことしかわかりません。

1909年です。このあたりの時代についてのイメージは湧きます?

すみません。ちょっと湧きません。まだ高校の授業でそこまで行ってないんです。

音楽とマネジメント

結構。1909年というと、和暦で言うと明治43年だ。明治時代の人だったということです。

ドラッカーって明治の人だったんだ。やっぱり昔の人ですね。

そう。彼が生まれた頃は、まだオーストリア・ハンガリー帝国時代のウィーンでしたから、皇帝がいた頃なんです。ずいぶん昔の感じがするでしょう。ちなみに、ドイツにも、ロシアその他にも皇帝とか王様がいたんです。そんな帝政や王政を打ち砕いたのが、彼が5歳の頃に起こった第一次世界大戦ですが、これは1914年から1918年まで戦われたんです。これについては家に帰ってから世界史の教科書で調べてみてくださいね。

わかりました。

ドラッカーのお父さんはウィーンの政府高官で、お母さんは医師資格を持つ人でした。おばあさんはピアニストで、叔父さんは有名な法学者でした。家ではサロンが開かれて、朗読会や今でいうディスカッションが頻繁に行われていたそうです。

なるほど。教養豊かな家だったのですね。

そう。その教養が、彼の経営学の中にも生きている。たとえば、彼が組織というものを説明するときに、最も頻繁に例として出すのが、音楽だった。

組織と言うとマネジメントの軸にあるもののはずですよね。そこで音楽が出てくるとは。なんだか意外ですね。

ええ。現在、専門家として活躍している人でも、完全に独立して行動している人など一人もいません。何らかの形で組織と関係しています。かりにフリーランスであったとしても、山の中で庵を結んで生きているわけではない。外部の専門家とともに活動しなければ、せっかくの専門知識が生きないからです。

確かにそうですね。

むしろ、自分の知識を生かそうと思ったら、進んで組織と関わりを持たなければなりません。どんなに世界的な業績を持つ医者だとしても、一人では何もできない。専門分野というものは全体からしてみたらごくごく一部だからです。そのことをドラッカーはパイプオルガンの巨匠からオーケストラへの進化として語っています。

まさに。

芸術はマネジメントの原型

この構図は音楽のソリストに似ていますよね。ピアノをとても上手に弾けるとしても、一人でできることなどたかが知れています。リサイタルを開くのなら、会場の手配、チケットの販売、関係者のアレンジなどなどたくさんの仕事がある。舞台裏ではたくさんの人たちが汗を流しているんです。

それは考えたことがありませんでした。でも、演奏家が演奏に専念するためには、目に見えないところでいろんな人が働いてくれなければ困りますものね。

そうなんです。これがオーケストラになるともっともっと複雑になりますね。大きいものだと100人くらいいて、しかもそれぞれ違うパートを受け持っているわけですから。ヴァイオリン、チェロ、ホルン、クラリネット・・・、それぞれがその演奏の専門家です。それぞれがプロなのです。彼らに最高の演奏をしてもらわなければならない。そのためには、オーケストラの人数と同じくらいの人たちが見えないところで働いてくれている。

そう考えると、音楽というのがマネジメントを考えるうえで、ふさわしい例なのがわかってきますね。

そういってくれてうれしいです。あえて言えば、芸術はアートという人間の技であるわけですが、経営もまたアートととらえていたということになります。マネジメントを「リベラルアーツ」と彼が述べたのもそのためでしょう。

また合奏ともなると、アートの力は増幅されますものね。

まさにそうなんです。ドラッカーはかねがねマネジメントを行う者はオーケストラの指揮者と同じだと言っている。それぞれの専門家から最高のものを引き出して一つの作品に仕上げる役割です。

演奏されなかったら楽譜は楽譜のままにとどまってしまいますね。

ええ。指揮者のシャルル・ミュンシュは、「指揮者とは音楽に生命を吹き込む存在」と述べていますが、まさにマネジメントは事業に生命を吹き込む存在なんですね。

僕もピアノをやってきましたからわかる気がします。同じピアノなのに弾く人によって不思議と音が違う気がしますものね。

以下続く

井坂康志
1972年埼玉県加須市生まれ。早稲田大学政治経済学部卒業、東京大学大学院人文社会系研究科博士課程単位取得退学。博士(商学)。現在、ものつくり大学教養教育センター教授、ドラッカー学会共同代表。ギタリスト、詩人でもある。

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