音楽こそが最高の「教養」である―ドラッカーに学ぶ「自分経営」の極意(1)
文:井坂康志
いろいろ悩んでいます。
いいですね。悩みは人間のみならず宇宙の本質とショーペンハウエルも言っています。
意味がよくわかりません。ともかく悩んでいます。
どんなことに?
自分の将来が見えないんです。高校生なのですが、未来のために今何をすればいいのかわからない。先生は大学でキャリア教育も担当していると聞いたので、相談してみたいと思ったんです。
そうなんですね。確かにキャリア教育も担当していますが、私の専門は経営学です。大学では教養教育の一環として経営学を教えています。
できたら、僕の将来について専門的な観点からお話を伺えないかと思っています。僕は社会のことなんて何も知らないし、親は公務員なので会社とかそういうことに疎いんです。でも、僕もいつかは世の中に出て働かなければならないわけですし、そのために今からできることを少しでもしていきたいと思っています。
なるほど。まあお役に立てるかわかりませんが。
そのこともあって、将来のことで先生から知恵を借りられないかと思って。
よくわかりました。結論から言えば、経営について今から知っておくことはあなたの将来にとってとても役に立つと思いますよ。別に自分で会社を起こして経営する必要はない。私はよく言うのですが、結局人は誰しも「自分自身」を経営しているからです。自分とは経営の最小単位なのです。この最小単位をうまく経営できなければ、規模にかかわらず適切に組織を経営することなどできるはずがないからです。
その発想は初めて知りました。「自分を経営する」わけですね。
その通りです。「自分を経営する」のです。
実は僕が悩んでいるのはそのことなんです。僕はいろいろやることがありすぎて、かえって何をすればいいのかわからないのです。勉強も部活も趣味もそれなりにやってはいますが、いずれもが将来にどうつながるかイメージができないんです。
確かにコロナもあってあなたの世代は学校にも行けなくて大変な時期が続きましたからね。
ええ、それに将来専門職についても、AIに取って替わられるとかそんな風な話もよく聞きますよね。なんだか何をすればいいかわからないんです。
なるほど。たとえば、今はどんなことをしているのですか?
そうですね。一応テニス部に入っていて、ちょっといい大学に行きたくて勉強もしています。塾にも行っていますね。それとピアノを少々・・・。
えっ? 今何と言いましたか?
だから、テニス部と・・
いや、最後に何と言った?
ピアノを少々。
ピアノを弾くのですね!
でも、趣味ですよ。そんなに上手ではないし、ただ小学生の頃から習っていて、今でもたまたまやめずにいるだけです。最近勉強が忙しくて、そろそろやめて塾に通おうかと思っています。
待ちたまえ。
なんです。
ピアノをやめてはいけない。そこに君の将来がかかっているからだ。
え? まさか。さっきも言った通りただの趣味ですよ。
やめてはいけません。これは心からの忠告です。
少しだけ理由を聴かせていただいてもよろしいでしょうか。
それはですね、ピアノがあなたの全存在を活性化させてくれるからです。あなたの将来を開いてくれるからです。簡単に言えば、ピアノを続けることで、あなたは教養ある人になれる。教養ある人ほどこれからの時代に必要とされる人間像はありません。
教養? そんなおおげさな。それにピアノと教養はどう関係があるのですか。
ピアノに限らず、音楽は教養そのものです。あなたはピアノを介して教養人になれるという限りない可能性の扉の前に立っているのです。
でも教養というのは、なんかいろんなことを知っていなければならないのでしょう?
違います。教養にはきちんとした定義があるんです。リベラルアーツとも言いますが、ギリシア・ローマ以来、連綿として教養は七科目から成り立っている。これは自由に至る道として重視されてきました。
教養っていうと雑学のことかと思っていました。広く浅く知っているみたいな。
いえ、文法、修辞学、弁証法の三学、および算術、幾何、天文学、そして音楽の四科。
音楽も教養の中に入っているのですね。
その通り。音楽ができることは教養人の条件なのです。
それは知りませんでした。意外ですね。
そして、音楽の教養こそが、現代のプロに求められているものです。音楽には論理、美意識、誠実などあらゆる精神的な価値が豊富に含まれています。また後で話をしたいと思いますが、音楽ができれば、なんだってできる。私はそう思っています。
AIにも取って代わられない?
ありえません。音楽とは何より「あなた自身」だからです。同時に、この全世界、ひいては全宇宙の比喩的表現なのです。それを自らの手で奏でることは世界を創造するに等しい一生ものの技能です。あなた自身をもって、世の中と結び合わせていく大切な依り代になるからです。
音楽が僕と社会を結び合わせてくれる――。音楽が僕に外の世界を見させてくれると言うことですか。
結論から言えば、「イエス」です。音楽があなたを世の中に関係づけてくれるのです。あなたは世の中という音楽のかけがえのない音符になることができる。あるいは休符になることができる。それがあなたにしか出せない音を奏でさせるのです。
だからピアノをやめてはいけないのですね。
そうです。正確に言えば、自分にしか出せない音を出すのをやめてはいけないのです。それが現代何よりも大切な真の教養なのですから。
けれども、僕の周りにも結構子供の頃からの習い事をやめてしまっている人がいます。やはり勉強のための時間が少なくなってしまうというのが理由だと思いますが。
いえ、だからこそやめるべきではないのです。もちろんピアノでなくてもいいですよ。とにかく音楽に触れる機会を減らすべきではないのです。それこそが長い目で見たときに、本当に必要な知の全体を示してくれる宝物なのです。
それは先生の研究活動でも実証されていることなのでしょうか。
そうですね。私が研究している経営学の中心にいる理論家は知っていますか?
いえ知りません。
ピーター・ドラッカーという人です。20世紀を代表するウィーン出身の経営学者です。この名前は初めて聞きましたね?
ええ、初めて聞きました。どんな話をした人なのですか?
「マネジメント」という言葉は知っている?
ええ、お金の管理とかそんな意味ですかね。
そのような意味もあるけれど、もっともっと広くて深い意味のある言葉です。要は、与えられた資源を最大限に生かすための方法です。人とともに何かを行うときには本当に役に立つ考え方がそこにはたくさんあります。
それは僕にも役に立つでしょうか?
もちろん役に立ちます。あなたくらいの年齢の方が知るととても役に立つと思います。ぜひ役立てていただきたいと思います。
僕の悩みにも役立ちますか。
役立ちます。
よかったら、僕にもドラッカーのマネジメントを教えていただいてもよいでしょうか。
もちろん。どの程度かはわかりませんが、私の知っていることはすべてお伝えしたいと思います。
ぜひお願いします。ところで、経営のお話と音楽とどう関係があるのでしょうか。
大いに関係があります。先ほどもお話したように、経営の究極の姿は「自分経営」だからです。誰もが自分の進むべき道を探し、意思決定を行い、時に自己を大胆に刷新して新しい自分に出会います。私の考えでは、経営とは人が誰しも無意識に行っている最も基本的な活動であり、最も壮大な物語なのです。
なるほど。わくわくしてきました。
そうです。あなたは今、自分自身のイノベーションを行おうとしている。よく言われるように、経営者は誰もが孤独です。自分で決めて自分で責任をとらなければならない。私の研究するドラッカーはそんな孤独な経営者の相談相手になった人です。このような立ち位置の人をコンサルタントとも言いますが、彼は現場の経営者のコンサルティングを行うことで、自分の経営学を形成していった人なのです。
以下続く