ピティナ調査・研究

音楽こそが最高の「教養」である ―ドラッカーに学ぶ「自分経営」の極意(2)

音楽こそが最高の「教養」である
―ドラッカーに学ぶ「自分経営」の極意

文:井坂康志

誰しも「自分自身」を経営している

ところで、マネジメントっていったい何なのですか。よく聞く言葉ではありますが、なんか今一つ定義がはっきりしない気がします。

そうですね。確かにあまりにもたくさんの領域で使われていますね。本来は、「マネジ(manage)」です。この意味はわかりますか。

わかりません。ごめんなさい。

いえいえ、いいんです。これは「何とかする」という意味の動詞ですね。「I manage」というと、「僕が何とかするよ」という感じになります。これがもともとの意味。問題はそこからです。

ふむふむ。

ManageのManaは元来Manuというラテン語からきている。これは「手」という意味です。

なるほど。「手」という意味なんですね。

はい。「手」を使って、馬を操るから来ているという説もある。要は「手綱を握る」と考えればいいでしょう。

少し見えてきました。マネジメントとは、手綱を握って、自分の望む方向に何かを用いるという意味なのでしょうかね。

すばらしい。まったくその通りなんです。今は馬は日常に用いませんから、自動車でも、電車でも、船でも、飛行機でもいい。ハンドルとか、操縦桿とか、全体の方向性を操る急所にあたる部分がありますね。

そうか。ハンドルですね。わかりました。僕がなんとなく自分の行く末が見えずに日々悶々としている理由が。僕は自分のハンドルのありかがわからなかったんだ。ハンドルを持たないで乗り物に乗っていれば誰だって不安ですからね。

いやいや、すごい進歩です。それがわかっただけで、今日話をしに来たかいがあった。世の中――こう言ってはいけませんが――ハンドルのありかも知らずに乗り物を乗り回している人が多いんです。危ないですね。

それがわかっただけですっきりしました。ということは、そのハンドルを握ることがマネジメントなら、ハンドルを握る人は何というのでしょう。

いい質問だ。ハンドルを握る人のことを「マネジャー」というのです。

マネジャー? それは野球部で練習や試合のサポートをしてくれる人とか、あるいは芸能人の付き人みたいな人のことですか?

確かに、マネジャーというとそのようなイメージがありますよね。もちろんその通りです。要はハンドルを握っている人なら、部活だろうと、タレント事務所だろうと、会社だろうと誰でもマネジャーです。別に社長とか専務ばかりではない。きちんと未来への方向に責任をもって手綱を握っている人なら、誰だってマネジャーなんです。

今僕に一つの考えがひらめきました。

それは何?

僕は自分という乗り物のハンドルのありかがわからなかった。ハンドルがどこにあるかわからないわけだから、当然ハンドルを握ることもできないし、責任を持つこともできなかったんです。

なるほど。

僕が僕になるために必要なのはたった一つのことだった。

おもしろい。それは何?

僕が僕のマネジャーになることだったんだと。

ブラヴォー!!! きっとドラッカーも天国で喜んでいることでしょう。彼は万人がマネジャーになるべきと考えていたのです。

ピアノが全存在を活性化させてくれる

では、僕のハンドルはどこにあるのだろう。それが問題です。

それです。一つはっきりしていることがあります。

それは何ですか。

すでに君の中にそれはあるということです。それは作り出されるものではない。

うーん。わからなくなりました。僕の中にハンドルがないから困っているのに。

本当にないのですか。

ちょっと思い浮かびません。僕は特別な才能があるわけではないですし、クラスでも今一つぱっとしないし。

才能があるかどうかなどわからないではないですか。それよりももっと手になじむ何か、ずっとやってきたことに目を向けるべきです。君が目を向けるべきは、まず過去に何をしてきたかにあるのです。

僕がやってきたこと。何だろう。

さっき言ってましたよね。子供のころから・・・

もしかして、ピアノですか?

その通り。私はそう信じて疑いません。

でも、どうしてですか?

自分にしか出せない音

それは一言では言えません。本当に大切なことは、簡潔には言えない。それに、本当に大事なものの価値は君がこれから長い人生を生きる中で徐々にわかるようになってくるものだ。とにかく、今私が言えるのは、ピアノが君を支えているということです。とても静かに。

なるほど。でも今のところ何かの役に立っているという実感はありませんよ。

それが間違いです。

役に立っているのですか。

いや、その質問が間違いです。いや、見当違いとさえ言っていい。役に立つか立たないかはその時々の状況で変わってきます。よく言われるように、「すぐに役に立つものは、すぐに役に立たなくなる」。大切なのは、変わらないものを自分の中に持っておくことです。ハンドルが定位置になかったら、どのようにして運転するのですか。

なるほど。確かにそうですね。

「これをすると何かいいことがあるのですか」という問いほど自分を小さくしてしまうものはない。そのことを知ってほしい。そんな小さなものさしで自分を測らないでほしいのです。あなたが小さいのではない。ものさしが小さいのだ。

わかりました。

それでも、結果として見ればピアノは後々役に立つのです。これは保証します。しかも、生涯にわたってあなた自身の伴奏をしてくれます。

伴奏ですね。つまり舞台を作ってくれると。

そのとおり。前にも言った通り、音楽がギリシャ時代から教養七科にしっかりと食い込んでいるのは伊達ではありません。古代の人たちの叡智を甘く見てはいけないよ。ちゃんと理由があるのです。

その理由をぜひ教えてください。

では、次にそのお話をすることにしましょう。

以下続く

井坂康志
1972年埼玉県加須市生まれ。早稲田大学政治経済学部卒業、東京大学大学院人文社会系研究科博士課程単位取得退学。博士(商学)。現在、ものつくり大学教養教育センター教授、ドラッカー学会共同代表。ギタリスト、詩人でもある。