第29回 1830年代の音楽院ピアノ教材―アダンのピアノ・メソッド 第2版
1795年のパリ音楽院創設には、二つの大きな目的があった。ひとつは、国営のオペラ座に必要な音楽家を教育し、フランスの優れた歌手・楽器奏者を供給すること、もう一つはやはり国営の軍楽隊に必要な楽団員を供給することである。鍵盤楽器はそれゆえ、音楽院創設以来、しばらくの間は歌の伴奏楽器としての地位に甘んじていた。19世紀初頭、当時の院長のサレットはピアノ科を含む各科の教授に、システマティックな音楽教育の礎を据えるべく、メソッドの執筆・編纂を命じた。ピアノ科教授ルイ・アダンがこの機会にピアノの近代的なメソッドを書いたということは、すでに本連載の第2回~第4回で扱ったとおりである。しかし、アダンによる初期のピアノ・メソッドは、ピアノが「成長期」を迎え性能と演奏技法が複雑化するにつれ、その内容と現状の間に齟齬が生じるようになった。こうした状況下で、音楽院公式メ ソッドの改訂が余儀なくされたのは必然的なことだった。
ピアノの著しい進化を考慮して、アダンは1830年代の前半、音楽院メソッドを改訂・出版した。正確な出版年代は特定されていないが、資料の状況から、1831年から35年の間に出版されたと考えられている。この第2版の序文で、アダンは改訂の理由を次のように述べている。
彼がここで行った「改良」とは、練習課題の音域を拡大し、譜例を同時代の作品に差し替えることだった。彼は序文で次のように述べている。
それでは、アダンは具体的に、どのような変更を加えたのだろうか。ここは、とくに大きな「改良」がなされた練習課題について例をあげながら見ていこう。そこには、彼のいかなる考えが反映されているのだろうか。
(1) 第4項「音階の運指」と第5項「一般的な運指の原則」に見られる変更
第4項「音階の運指」、第5項「一般的な運指の原則」は、いずれもピアノ演奏に求められる基礎的な運指といくつかの例外的な運指をまとめた項目であり、これらの項目における主な変更点は以下の5点にまとめることができる。これらは、いずれもピアノの演奏技術向上に直接関わる変更である。以下にそれらの変更点とその意義を記す。
a. 音域の拡大
初版では4オクターヴまでしかなかった音階の音域は、6オクターヴ半の音域に拡大されている。序文でアダンが述べているように、彼は「6オクターヴ」のピアノを想定してこの第2版の執筆に臨んだ。この態度は、同時代のピアノの音域を最大限に生かそうという意志の現れであり、広い音域を用いる新しい作品に対応することを目的としている。
b. 各調の音階を連結 c. 演奏速度を速目に指定
上の譜例2には説明書きが付いている。ここには、
と書かれている。初版では、各調の音階は複重線で区切られ、「ハノン」のようにそれぞれの音階は分けて演奏されるように書かれていたが、第2版ではこれらを連続して演奏するために、経過的な音型がそれぞれの音階の末尾に追加されている(譜例2、茶色枠の部分)。さらに、初版では音階の演奏速度について特別な指示はなかったが、第2版では速度をプレスト/プレスティッシモに指定している。各調のスケールをこのように連結して、「プレスティッシモ」で演奏することには、徹底的に指を鍛え、演奏における持久力、即座に異なる音階の運指に対応する能力を養う狙いがあると考えられる。
d. 両手の均等性
両手が均等に機能するように、という方針はすでに初版にも見られる。たとえば、譜例1にアダンは次のような説明を付けている。
だが、例えば様々な音型の練習課題に関して、初版では右手と左手の項目が別々になっている。
譜例3‐2は、譜例3‐1の数頁あとに出てくるので、初版においてこれらを両手で同時に演奏することは意図されていないことがわかる。
一方、第2版では、一連の音型は譜例4に示すように大譜表にまとめられ、両手で同時に演奏できるようになっている。
上の譜例4にある説明には、次のように書かれている。
ここからわかるように、第2版では右手の左手の個別練習に加え、両手の統合と両手の均等性が重視されるようになっている。「最も現代的な12名の作曲者の作品から引用した運指番号つきのパッセージ」と題された第2版の譜例集には、同時代の作曲家の協奏曲からそのパッセージが抜粋されているが、その中には、以下の譜例に示すように、両手が同じ動きの急速な音階や分散和音を演奏するように書かれた走句が多く見られる。
アダンが両手の同時的な動きを第2版に盛り込んだのは、同時代の作品に見られるこうした技巧的なピアノ書法を克服するためだったと考えられる。実際、「両手を均等に」というスローガンを達成することは、高度な演奏技巧の達成の証とみなされ、同時代の多くのヴィルトゥオーゾたちの作品にも反映された。たとえば、アダンのメソッド第2版と同時期に出版されたヅィメルマンの《24の練習曲》作品21(1832)の第15番は、ユニゾンの練習曲である。
右手の練習→左手の練習→両手の統合という発想を最も明確に、かつ極端な形で提示したのはヅィメルマン門下のアルカン(長男、1813-1888)であろう。彼が1839年頃に出版した《右手、左手、両手のための3つの大練習曲》は3曲から成る。一曲目は〈左手のための幻想曲〉、二曲目は〈右手のための序奏、変奏曲とフィナーレ〉、三曲目は〈両手のための類似した絶え間ない動きを持つ練習曲[無窮動]〉と題されている。
アルカンはほかにも《ピアノ三重奏曲》作品30のフィナーレのピアノ・パートをすべてユニゾンで書いている。もっと有名な例では、アルカンの練習曲とほぼ同時期に書かれたショパンの《ピアノ・ソナタ 第2番》作品35(1839作曲)のフィナーレが挙げられる。
他にもショパンは同じ時期に《24の練習曲》作品28の第14番、変ホ短調をやはりユニゾンで書いている。アダンの第2版などをみると、一見独特に見えるこうしたショパンやアルカンのピアノ書法も、同時代の「ユニゾンの美学」の反映であることがわかる。彼らの個性やオリジナリティはその内容に求められるべきであろう。
e. 新たに追加された練習課題
このほか、第2版には初版にはなかった新しい様々なテクニックが付け加えられている。例えば、初版では、音階練習の音程はオクターヴのみだったが、第2版では三度、六度による全長調音階、十度、六度による全短調音階の練習が付け加えられている。これらもやはり、経過的な音型によって連結され、立て続けに演奏するように指示されている。
こうした様々な音程で音階を急速に演奏するパッセージも、第2版に収められた協奏曲のパッセージ集に見られる同時代的なテクニックを克服するために付加された実践的なテクニックである。アダンはリースFerdinand Ries (1784-1838)のピアノ協奏曲から、六度の音階パッセージを引用している。
左右の手がそれぞれオクターヴで動く半音階練習が新しい技法として追加されている。テンポは「プレストであり、当時としてはかなり野心的な作品にしか用いられないテクニックである。
以上のように、初版ではピアノ演奏技法の基礎を扱っていた第4、5項は、第2版では同時代のピアノ音楽に順応するよう、大幅に変更されている。 パリ音楽院のようなアカデミックな機関は、新しいものを取り入れない保守的な姿勢をとるものと見られがちだが、このようなメソッドの改訂をみると、実際には、ソヴィンスキやオズボーン、ショパン、リストなどといった外国からやってくる名手たちになんとか追いつこうとする音楽院の前向きな姿勢を見て取ることができる。そのような機運のなかで、やがて音楽院はヨーロッパ中で名声を博すピアニスト兼作曲家の温床となってゆくのである。その基礎を完成へと導いたのは、アダンの第2版に続いて音楽院のために書かれたヅィメルマンの《ピアニスト兼作曲家の百科事典》だった。次回はヅィメルマンの音楽院メソッドについて書く予定である。
平成21年10月31日 上田泰史
- Louis Adam, "Avis de l'Auteur" in Méthode de piano du Conservatoire Royal de musique, (Paris: Imprimerie du Conservatoire), 1838.