ピティナ調査・研究

第14回 カルクブレンナーのピアノ・メソッド 6―生徒に勧めた作曲家と作品の分類 (1)

ショパン時代のピアノ教育

カルクブレンナーは、前回挙げたクレメンティクラーマードゥセックのほかに、ピアニスト演奏をマスターするためには以下の7つのカテゴリーに含まれる作曲家の作品を練習すべきであると述べている。

1.手動器 [連載第10回参照] を用いる当メソッド
2. クレメンティ、クラーマー、ドゥセクの作品
3. クラーマーの練習作品exercices、クレメンティの《グラドゥス・アド・パルナッスム》に含まれる
  練習作品、カルクブレンナー、モシェレス、ベルティーニ、シュミット、ケスラー、モンジェルー等々の練習作品
4. J.S. バッハ、ヘンデル、C. P. E. バッハ、アルブレヒツベルガーのフーガ
5. フンメル、モシェレス、フィールド、アダン、カルクブレンナー、チェルニー、ピクシス、
  ベルティーニ、ヴェーバー、H.エルツ、リースの作品、それからピアノのために書かれたすべての古典的な作品
6. ベートーヴェン

以上が7つの分類のうち6つである。分類の1にかんしては連載の第10回から第12回、2については前回すでにとりあげた。3にあがっている作曲家は18世紀待つから19世紀始めに生まれたピアニスト・作曲家たちである。シュミットについては兄か弟かはっきりしない。エルツも兄弟だが、教師としての名声が高かったのは弟のアンリである。

クレメンティ Muzio Clementi (1752-1832) シュミット (兄、1798-1866)Aloys Schmitt
クラーマー Johann Baptist Cramer (1771-1858) ケスラー Kessler,Joseph Christoph
ヴェーバー Carl Maria von Weber (1786-1826) シュミット (弟、1803-1853)Jakob Schmitt
ベルティーニ Henri Bertini (1798-1876) エルツ Henri Herz (1803-1888)

こうして並べてみると、クレメンティとクラーマー以外はカルクブレンナー(1785-1849)よりも年下の作曲家であり、19世紀の始めの20年に青年時代をすごしたピアニストたちであることが分かる。それはつまり、彼らが産業革命の波に乗って劇的に進展するピアノ産業とともに成長し、手探りでピアノのメカニスムを追求した世代だということでもある。クレメンティに続く近代的なピアノ演奏技法のはしりとなる彼らの練習曲や練習法は、それゆえ、1830年当時、最先端の演奏技法を反映していたのである。

新技法の習得を目指す一方で、分類の4では、後期バロックから初期古典時代の「古い」音楽、しかも、伝統的でアカデミックなフーガというジャンルの演奏が目標とされている。作曲家も皆、カルクブレンナーよりふた世代以上は前の名匠たちである。とくにアルブレヒツベルガーは著名な理論家で、カルクブレンナーは1803年、ハイドンの紹介でこの対位法の大家の門を叩いた。

ヘンデル Georg Friedrich Händel(1685-1759)
バッハ(父) Johann Sebastian Bach(1685-1750)
バッハ(次男) Carl Philipp Emanuel Bach(1714-1788)
アルブレヒツベルガー Johann Georg Albrechtsberger(1736-1809)

カルクブレンナーが、フーガをピアノ練習の独立したカテゴリーに含めたのは、それが特殊な指使いを要求するからであった。フーガやカノンといった多声楽曲は、ピアノが発明されるずっと以前から存在していた書法であり、そもそもピアノのために書かれる音楽ではなかった。したがって、指を音符に無理に従わせる必要が生じてくるのである。彼は、フーガの演奏の指使いに関する項目で、実例をあげながら次のように述べている。

同じ手で2、3声部を演奏するとき、あらゆる指使いの規則は無効となる。保続される音の効果を出すには、2回、3回、4回も、[同じ鍵で上で] 同じ指を用いなければならない。また、しばしば第2指は第3指の上を通過し、第4指が第1指の上を通過する。こうした場合、保続される音を押さえる指はその上で手が行き来する軸のようでなければならない。[・・・] この種のあらゆるパッセージに適用すべき唯一の規則は、他のすべての指が自由に使用できるよう、保続音上に親指ないしは小指を充てることである。こうした曲中では、指の置き換えが非常に多く用いられる。

彼のメソッドでは、原則、親指以外の交差は認められていない。前回クラーマーとショパンの作品に同様の例を見たが、当時多くのピアニストたちは、これを避けるべきであると考えていた。また、同じ鍵上で異なる指を用いること(指の置き換え)も、必然性がない限りは避けるべきであった。しかし、フーガは複数の声部が対等に旋律を担うので、この原則に従うと演奏不可能となる。したがって、以下のような場合は「特殊な」指使いが必要とされた。

譜例1a 右手の3と4の指、左手の2と3の指が交差する
譜例1b 左手の5の指が連続して用いられる。
譜例1c

フーガは、数度にわたる主題の提示部分(主題提示部)、主題の断片を用いる展開部(嬉遊部)などからなるが、主題が提示されるたびに、主題を担う声部を際立たせなければならない。これも、フーガの要請する独特の表現として、彼が挙げている点である。

第5のカテゴリーに分類される作曲家は、世代的には第3の作曲家たちと同じく、みなカルクブレンナーの同時代人である。

アダン Louis Adam (1758-1848) ピクシス Johann Peter Pixis(1788-1874
フンメル Johann Nepomuk Hummel(1778-1837) チェルニー Carl Czerny (1791-1857)
フィールド John Field (1782-1837) モシェレス Ignaz Moscheles (1794-1870)
リース Ferdnand Ries (1784-1838) ベルティーニ Henri Bertini (1798-1876)
ヴェーバー Carl Maria von Weber (1786-1826) エルツ Henri Herz (1803-1888)

しかし、彼がここで練習を進めるのは彼らの「古典的」な作品である。この「古典的」という言葉が具体的にさすものは明らかにされてないが、彼は「古典的」という言葉を、流行のオペラ主題に基づく「軽い」パラフレーズやファンタジーではない音楽を指すときに用いている。前回も引用した箇所を再びここに引用する。

もし、ピアノのために書かれた古典音楽を演奏せず、今流行の音楽しか演奏しなければ、傑出した才能を得ることはまったく不可能である。すばらしいメカニスム、荘厳かつ滑らかな演奏、フレージングや音のアタックの美しい手法を見出されるのは、エール・ヴァリエやピアノのためのオペラ編曲ではない。これらすべての美点をもたらすよう計算された大家の作品を学ばねばならないのである。

おそらく、彼がここで念頭においているのは、主としてピアノ・ソナタであろう。2で挙がったクレメンティやクラーマー、ドゥセクのソナタを「モデル」として学んだ上で同時代の様々な作曲家のソナタなどを勉強し、確固たる作品構成、フレージングといった、先の引用に上がった諸要素を完全に身に着けることが目的なのであろう。

さて、5まででかなり紙面を割いてしまったので、6以降は次回に持ち越すことにしよう。次回はベートーヴェンの独特な位置づけから始めることにする。今回は人名が多く挙げられたので、頭を整理するために、カルクブレンナーが言及した作曲家を生年順に列挙しておく。

ヘンデル Georg Friedrich Händel(1685-1759) リース Ferdnand Ries(1784-1838)
バッハ Johann Sebastian Bach(1685-1750) カルクブレンナー Frédéric Kalkbrenner (1785-1849)
アルブレヒツベルガー J. G. Albrechtsberger(1736-1809) ヴェーバー Carl Maria von Weber(1786-1826)
バッハ(次男) Carl Philipp Emanuel Bach(1714-1788) ピクシス Johann Peter Pixis(1788-1874)
クレメンティ Muzio Clementi(1752-1832) チェルニー Carl Czerny(1791-1857)
アダン Louis Adam(1758-1848) モシェレス Ignaz Moscheles(1794-1870)
ドゥセク Jan- Ladislav Dussek(1760-1812) ベルティーニ Henri Bertini(1798-1876)
ベートーヴェン Ludwig van Beethoven(1770-1827) シュミット Aloys Schmitt(兄、1798-1866)
クラーマー Johann Baptist Cramer(1771-1858) ケスラー Kessler,Joseph Christoph(1800-1872?)
フンメル Johann Nepomuk Hummel(1778-1837) シュミット Jakob Schmitt(弟、1803-1853)
フィールド John Field(1782-1837) エルツ Henri Herz(1803-1888)
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