ピティナ調査・研究

第99話『西陣探訪―秘曲の面影(Ⅴ)♪』

SF音楽小説『旅するピアニストとフェルマータの大冒険』
前回までのあらすじ
悩める18歳のピアニスト・鍵一は、恩師より音楽史研究のミッションを授けられ、1838年のパリへとワープする。フランツ・リストの勧めでサロン・デビューを目指すさなか、カール・チェルニーから贈られたのは、秘曲『夢の浮橋』の楽譜の一部であった。興味を惹かれた鍵一は、楽器製作者ピエール・エラールとともに『夢の浮橋』の復活上演を志す。
膨大な資料を携えて現代に戻ると、鍵一は叔父のすむ京都貴船※1で作曲に打ち込んだ。ピアノ曲『夢の浮橋変奏曲』※2の初稿が完成すると、京都は春を迎えていた。3月、友人の陶芸家・登与子とともに西陣※3を訪れ、鍵一は重要な事実を知る。

西陣探訪―秘曲の面影(Ⅴ)♪

恩師の来歴は Brillante ※4に継ぎ合わされて今、一個の巨大な壺として鍵一の頭上に在った。その煌めきを仰ぎ見るに、自分が初夏の日に19世紀へ旅立った事※5も、旅先で出会った『夢の浮橋』にまつわる出来事も、すべてが必然なのだった。
「……ですが、私が思いますには」と、織屋の主人はなごやかに言葉を継いだ。
「B先生は、家業とはべつの仕方で漆芸をやっておられるんやと思います。長い時間をかけて、楽譜を集めておられますので」
「楽譜を……?」
「『夢の浮橋』という曲の楽譜です。時を経て散り散りばらばらになった、幻の名曲やと仰っていました。金継ぎ※6して復活上演をなさるおつもりなんでしょう」

挿絵

事もなく差し出された真実に、登与子は目をみはった。
「そうなんですか?それって……鍵一君がパリで出会った、あの曲よね?」
鍵一は静かにうなづいた。思えばこの1年間、秘曲の面影はつねに自分の周りに漂っていた。すなわちそれは、謎めいた恩師の面影でもあるのだった。
「ねえ、すごい偶然じゃない?鍵一君もB先生も、それぞれに『夢の浮橋』の研究をしていたなんて」
「偶然ではないと思います、おそらく」
言いながら、幼いころに通ったレッスン・ルームの景色や、口外無用として贈られたベヒシュタイン・ピアノ※7の音色が薫って来る。恩師がいつから自分を後継者とみなしていたのか、鍵一には分からない。ただ、そのたくらみは、自身の成長とともに実りつつあった。
「……B先生は、ぼくにいろんな物をくださったんです。パリに送り出していただいたときは、羽織袴にカンカン帽、こちらで織られた手袋……それに、編纂中の音楽史も。きっと全部、『夢の浮橋』に関する品だと思います」
「うちにもありましたよ」
さらりと織屋の主人は微笑んだ。「『夢の浮橋』に関する品が。10年以上前ですが、B先生にお譲りしました」
「楽譜ですか?」と、前のめりの登与子。
紋紙 ※8です。1873年に、フランスから西陣に来たものですよ」
「明治の初めごろですね?」
「ええ。何十枚も重ねて、うちの蔵に仕舞ってありましたのを……」
「すみません、紋紙とは?」
ふたりの会話を聴きながら、鍵一はふとミルフィーユを想った。フランス語で『千枚の葉(mille-feuille)』。その名のとおり、薄いパイ生地を何十枚も重ねて焼き上げる。恩師の旅装束を纏ってワープしたあの日、初めて口にしたフランス銘菓であった。

挿絵

♪ショパン作曲・ワルツ第4番ヘ長調 Op.34-3 通称『猫のワルツ』

つづく

◆ おまけ
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    第1話のみ、無料でお聴きいただけます。
  • 貴船(京都市左京区)
  • ピアノ独奏曲『夢の浮橋変奏曲』
    鍵一が作曲するピアノ独奏曲。幻の名曲『夢の浮橋』のモチーフを活かし、12の変奏から構成されます。2023年5月27日(土)、本作の音楽朗読劇とともに抜粋版が演奏されました。
  • 西陣と西陣織
  • Brillante(ブリランテ)
    音楽用語で「輝かしく、華やかに」の意。
  • 鍵一が19世紀の旅に出たエピソード
    第1話 『運命は、かくのごとく扉をたたく♪』をご参照ください。
  • 金継ぎ
    欠けたり割れたりした陶磁器を漆で接着し、金粉などで装飾する技法。
  • ベヒシュタイン・ピアノ
    ベヒシュタインは、ピアノ製作者カール・ベヒシュタインが1853年に創業したピアノ・メーカー。ベヒシュタイン・ピアノは、リストやドビュッシーなど当世一流の音楽家から高い評価を得ました。
    プロフェッサーB氏が鍵一に贈ったピアノについては、第54話『眠れるベヒシュタイン・ピアノの謎♪』をご参照ください。
  • 紋紙(もんがみ)
    織物における「紋」とは、図柄の意。
    紋紙は、ジャカード式の織機(フランスの発明家、ジョゼフ・マリー・ジャカールが開発した織機)にセットして使用する、デザインの型紙です。
    かつては「ピアノマシーン(ピアノ式紋彫機)」と呼ばれる機械で制作されていました。名称の由来は、紋を彫る職人の姿がピアノの演奏者に似ていることから。諸説あり。