第75話『名もなきシェフの肖像(Ⅸ)♪』
まずは、『夢の浮橋』のモチーフを活かしてピアノ曲を制作する事とした。静寂と集中を求めて現代へ戻ると、叔父のすむ京都貴船※1に身を寄せた。恩師の著書を紐解きつつ、『夢の浮橋変奏曲』※2の作曲は徐々に進む。
雪深き1月下旬、裏庭に煉瓦のかまどを見つけた鍵一は、クロワッサンを焼く事にした。パン生地をこねながら、19世紀パリのレストラン『外国人クラブ』でのひとときが思い出される。
――回想 シェフの肖像(1838年4月)
「祝宴は大成功だった。皇帝ナポレオンとマリー・ルイーズ様を祝う行事は6月まで続いて、パリはお祭り騒ぎだった。俺はカレーム先生にくっついて、めまぐるしく仕事をした。楽しかったよ。毎日が勉強だ。王宮の夜会や、タレーラン公※3の舞踏会の厨房で鍛えられた。学んだのは料理だけじゃなかった。やんごとなき方々への料理の説明の仕方、ポタージュの輝きを無限に反射させるための鏡の置き方※4、王室御用達の豪華な食器※5の扱い方。1年も経つと、例の粋なコック帽の被り方※6もなかなかサマになってきた。
ようやく一息ついたのは1811年の夏だ。そこでようやく、カレーム先生とゆっくり話せた」
「1811年……」
「巨大な彗星が来た年だ」
彗星年の生まれ※7、というフレーズとともに、その年号がbrillante※8にひらめいた。ヴィルトゥオーゾの食卓に置かれた、彗星の絵柄のボトルが記憶に新しかった。
「8月に大きな宴会を終えて、俺たちは短い休暇を取った。カレーム先生が俺を自宅へ招いてくれた。
当時あの人は、ラ・ペ通りにアパルトマンを一棟持っていた。いい部屋でさ。テラスに出ると、パリの夕焼けが見渡せるんだ。目の前はヴァンドーム広場。ナポレオンの建てた戦勝記念の柱※9が赤く染まってた。ノートルダム大聖堂のあたりはもう薄暗かった。オレンジ色と灰色の雲が混ざる空に、スライスしたラディッシュみたいな月があった。俺たちはテラスで上等のスパークリングワインを開けた。ひとしきり世間話をして……亡命貴族のワイン・コレクションがまたひとつ、ロスチャイルド家に買い取られた※10とか、そんな話だ……のあとに、カレーム先生が言い出した。
『今夜は巨大な彗星が現れるらしい』※11
先生いわく、そいつは何千年も生きる星で、天上をぐるぐる回っているんだそうだ。長い時間をかけて宇宙を一周するんだが、1811年はたまたま、地球に近いところを飛んでる。だから望遠鏡がなくても見えるだろう、と。
『タレーラン公に天文観測のご趣味は無いんですね?』と俺は尋ねた。もしそうなら、俺たちは『彗星に捧ぐ晩餐会』に駆り出されているはずだからだ。
『あいにく、地上の事にしか関心がないと仰っていた』とカレーム先生は笑った。
『ただ、ナポレオン閣下の将来を案じていらした。古来より彗星は変革の予兆という。彗星の飛来についてはナポレオン閣下の御耳に入れないようにと、御用学者に指示なさっていた』
『御耳に入れなくたって、そんなでかいものが空を横切ったら気づかれますよ』呆れて俺は言った。ついでに本音を言いたくなった。
『タレーラン公のご心配は当然かもしれません。王様を倒したはずのナポレオンが今や王様だ。きっとまた革命が起きますぜ。俺たち人間は何も進歩していない』
『しかし、この国は以前ほど飢えてはいない』と、あの人は静かに言った。
『大革命は宮廷料理を市民に解放した。素晴らしいレストランやカフェ、パティスリーのメニューを誰でも味わう事ができる。食料品店の品揃えは豊富だ。文芸では美食批評なるものさえ現れた。さて、この状況を進歩と言わずして何だろう』
……俺は曖昧にうなづいた。あの人は俺のグラスに酒を充たすと、『料理には人を励ますちからがある』と言った。
『私はそう信じている。空腹で今にも死にそうな私を救ってくれたのは、安食堂の主人だった。恵んでもらったスープの味に、子供ながらに感動した。塩をひとつまみ入れただけのじゃがいもスープだった。プロイセンから渡ってきた極めて単純な料理だが※12、その時の私には最上のごちそうだった。……このような滋味あふれる一皿が人々に行き渡れば、なにか大きなちからになるだろう。啓示のようにそう思った』
分かります、と俺は言った。
『親父の働く姿を見て、俺も同じように思っていました。料理は人を励ますものだッて。だから料理人は格好いい。俺は本当の意味で飢えた事はないし、先生ほどハッキリした信念はもってませんが……』
音楽が俺たちを遮った。ふたりしてテラスから見下ろすと、向かいのアパルトマンでちょっとした音楽会が始まっていた。フンメル※13のピアノ五重奏曲だと先生が教えてくれた。……俺は音楽の事はよく分からない。でも、きれいな曲だと思った。俺たちはしばらく黙って音楽を聴いていた」
「西の空に一番星が見えると、すぐに夜になった。俺たちはテラスに大きなテーブルを持ってきて、ごちそうを並べて彗星を待った。パテ・アンクルートを切りながら、カレーム先生はこんな事を言った。
『きみの言うとおりだ、名無しのシェフ君。彗星の飛来は不吉な予兆かもしれない。ナポレオン閣下の失脚もあり得るだろう。時世とは、大河のよどみに浮かぶ泡沫のようなものだ。……けれどもそうして、人類は進歩する。何百年、何千年を経て、失敗を繰り返しながら前進するだろう。我々料理人にできることは、人々の歩みを励ますことだ』
『人々……のうちには、皇帝ナポレオンも含まれるんですね?』
『むろんだ。我が国のトリコロールの旗を見たまえ』
『自由、平等、博愛』と俺は答えた。
料理のちからで国を建て直す、というカレーム先生の企みは、どうやらまだまだ続くようだった。その結末を見届けてやろうと俺は思った。またこうも思った、俺の死んだ親父も、もしかするとカレーム先生のような志をもっていたかもしれないな、と……そのときだ。
彗星が現れた」
つづく
日本最大級のオーディオブック配信サイト『audiobook.jp』にて好評配信中♪
第1話のみ、無料でお聴きいただけます。
鍵一が作曲するピアノ独奏曲。幻の名曲『夢の浮橋』のモチーフを活かし、12の変奏から構成されます。変奏曲はそれぞれ、19世紀の旅で出会った人々(と猫)の肖像を表しています。実際には作曲家の神山奈々さんが制作くださり、ピアニストの片山柊さんが初演をつとめて下さいました。2022年、本作の音楽劇とともに改訂初演されます。
♪『夢の浮橋変奏曲』&音楽劇が聴けるピアノリサイタル(2022年)
京都・パリ 2つの古都のための片山柊ピアノリサイタル ―音楽劇『旅するピアニストとフェルマータの大冒険』他―
フランス出身の貴族、政治家。ルイ16世の治世に於いてブルゴーニュの聖務職に就任。フランス革命を生き延びたのちは、ナポレオン・ボナパルトの政権下で外務大臣として活躍しました。画家のドラクロワの父親がタレーランである、という説がありますが、真偽は定かではありません。
王侯貴族に料理を提供する、いわゆる「宮廷料理人」の役割は、料理を作ることだけではなく、「食事の空間すべてをプロデュースする」という事であったようです。食事空間を彩る小道具として、陶磁器や花のほか、鏡もよく使われました。
フランス王室御用達の名窯として、セーヴルがあります。セーヴル磁器の前身は、1738年に設立されたバンセンヌ城内(パリ近郊)の窯。18世紀半ばに、ルイ15世の寵妃であったポンパドゥール夫人の命により、セーヴルに移設されました。以後、セーヴル窯はルイ15世の庇護を受け、フランス王立磁器製作所として宮廷用の磁器を製造しました。マイセン窯(ドイツ)の硬質磁器の模倣をめざして改良が重ねられ、1796年には硬質磁器の製造に成功。王立窯であったため、フランス革命時に破壊され、閉窯を余儀なくされましたが、のちにナポレオン1世が再興。1824年には国立セーヴル陶磁器製作所として再開し、現在に至ります。
第73話『名もなきシェフの肖像(Ⅶ)♪』をご参照ください。
第4話 『音楽とは、創造を醸し出す葡萄酒である♪』をご参照ください。
音楽記号で『輝くように』の意。
ナポレオン1世がアウステルリッツの戦勝を祝して建てた記念柱。
18世紀末のフランス革命により、多くの貴族が財産を手放しました。新興富裕層(ブルジョワ)がそれを買い取る事も珍しくありませんでした。
1811年3月に発見された彗星。非常に明るく巨大な彗星であり、約8ヵ月にわたり肉眼で見る事ができたようです。
ドイツで初めてじゃがいもが栽培されたのは17世紀半ば頃。その後、プロイセンのフリードリヒ大王により栽培が推奨され、ドイツ各地に普及しました。伝統的なじゃがいもスープ、カートッフェルズッペ(Kartoffelsuppe)は今も人々に愛されています。