第70話『名もなきシェフの肖像(Ⅳ)♪』
より多くの芸術家と交流し、『夢の浮橋』の楽譜を集めるためには、19世紀で通用するコンポーザー・ピアニスト(作曲家兼ピアニスト)に成らねばならない。作曲に打ち込むべく、鍵一は現代に一時帰国した。京都貴船※1の叔父のアトリエにて、『夢の浮橋変奏曲』※2の制作が着々と進む。
雪深き1月下旬、裏庭に煉瓦のかまどを見つけた鍵一はクロワッサンを焼く事にした。パン生地をこねながら、19世紀パリのレストラン『外国人クラブ』でのひとときが思い出される。
――回想 シェフの肖像(1838年4月)
「やっと船が到着したのが、鼻水も凍りそうな朝だった。図書館をさがして、パリの街を必死に歩き回ったよ」
「レストラン……ではなく?」
「カレーム先生が古代建築の版画を模写してた、あの図書館だ。会えるとしたら其処だろうと検討をつけた」
鍵一は1803年の冬を想像した。身寄りもない、蓄えもない、名もなき14歳が、唯一の希望をめざして前のめりにゆく。同年に書かれた交響曲の印象を伴って、その姿はAllegro con brio※3に鍵一の脳裏を踏みしめて行った。
「図書館は在った」とシェフは話を続けた。「子供のころの記憶と同じく、パレ・ロワイヤル※5の近くだ。でも、大革命※6のせいで建物の見た目は随分変わってたな。『王室文庫 (Bibliothèque du Roi) 』のレリーフが、『国立図書館(Bibliothèque Nationale)』になっててさ。ああ、王様の時代は本当に終わったんだと、なんだか呆然としたよ。
門番のじいさんが声をかけてくれた。カレーム先生の名前を出すと、喜んで中に入れてくれた。珈琲を出してもらって……カレーム先生について教えてくれた。
……いやはや。あの人は有名に成ってた。この国の古い政治家でタレーラン※7という男が居るんだが、そいつに気に入られて国賓の晩餐会や、ナポレオンの戦勝記念パーティのためのピエスモンテ(大型装飾菓子)を作るまでに出世してた。
どこに行けばカレーム先生に会えるかと俺は尋ねた。じいさんは気の毒そうに笑って、気軽に会える人じゃないと言った。ヴァレンヌ通りの外相官邸の厨房か、ラ・ペ通りの自分のパティスリーに居るだろうが、今やパリ中の有力貴族に引っ張りだこのパティシエだ。昔の知り合いだといっても、会ってくれるかどうか分からんよ、と。
じいさんの言う事には一理あった。考えてみりゃア、カレーム先生が俺を覚えているかどうかもあやしい。その日は門番の宿舎に泊めてもらって」と、珈琲をすすった。うなづいて、鍵一は耳を傾けた。
「……明くる日、カレーム先生のパティスリーを見に行ってみた。ラ・ペ通りを歩いて行くと、まだ店の看板も見えないうちから甘い、香ばしい、いい匂いがするんだ。
ショー・ウインドウに人だかりがしていて、つま先で伸び上がって見た。仰天したよ。パルテノン神殿だ。チョコレートや飴細工で出来た、ちょっとした馬車の荷台ほどもあるパルテノン神殿が、ガラスケースの向こうにお目見えしていた。
それでようやく分かった。あのとき見せてくれた版画の写し※8は、ピエスモンテの下絵だったんだ」
「そうだったんですね……!」
甘い香りを放つ古代ギリシャの神殿を思い浮かべて、鍵一は製作者の謎めいた言を思い起こした。
「その大きなお菓子は、例のお言葉と関係があるのでしょうか。『僕は一流の料理人に成って、料理のちからで国を立て直す』という」
「俺もそう思ったよ。只事じゃないな、と。でも本人に聞いてみなけりゃ、胸の内はやっぱり分からない。会いに行こうにも、はたと立ち止まった。パルテノン神殿のピエスモンテを見るまでは、俺はカレーム先生に弟子入りしようと思ってたんだ。あの人のそばで料理人に成る道を探るつもりでいた。でも、俺は菓子作りは門外漢だからね。今の俺では役に立てない。そう思って、ひとまず、『フレール・プロヴァンソー』※9の門を叩いた」
「えッ、パリの名店ですよね。鱈のブランダード※10が絶品だという……いきなり雇ってもらえたのですか」
「ハハハ。当時のレストランの厨房はどこでも人手不足だ。ペティ・ナイフが使えて魚の目利きができりゃア、どこでも雇ってもらえる。寝床はかまどの横だけどな」
シェフは笑って、明るい窓を見遣った。いつのまにか青空が濃くなっていた。
「それから1年。働きながら毎週のようにラ・ペ通りのパティスリーに通って、カレーム先生の菓子を買った。文字どおり、飛ぶ鳥を落とす勢いとはあの事だね。いつ行っても長蛇の列。ショー・ウインドウは黒山の人だかり。菓子はどれもこれも絶品。かろやかなヴォロヴァン※11に、品の好いナポレオン・パイ※12……なるほど、外交官の御用達だなと納得した。食いながら、味を再現しようとして研究したよ。でもパイ生地作りからして難しいんだ。カレーム先生を追ってパリまで来たのに、逆に距離が遠くなったように思った。
疲れるとパリをひたすら歩いた。歩くといつも驚いた。こんなにきれいな街だっけなアと。カフェの客はみんな明るい顔をしてる。どこへ行っても陽気な音楽が聞こえる。……アコーディオン奏者の弾く曲なんてのは、どれも『ラ・マルセイエーズ』※13に似てるんだ。でも、この街で革命があったことなんて嘘みたいだった」
シェフは窓を見遣って、しばらく黙っていた。その心に流れる音楽を、鍵一は静かに聴いた。
白髪交じりの額を掻いて、シェフは話を続けた。
「ある日、例の図書館の前を通り掛かったんだ。そしたら、またレリーフが変わってた」
「何でしょう」
「帝国図書館 (Bibliothèque Impériale)。また時代が大きく変わるんだと、それを見てぴんと来た」
「帝国……」
鍵一は、いつか世界史の教科書で見た『戴冠式』※14の様子を思い起こした。数々の武功を立てたナポレオン・ボナパルトは異例の出世を遂げ、ついに皇帝と成った。捨て子から一流パティシエの座に上り詰めたカレームと、その表情は何処か重なるように思われた。
「その日のうちに風の噂で聞いた。カレーム先生がとうとう宮廷料理人に成るらしい、と」
つづく
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幻の名曲『夢の浮橋』のモチーフを活かし、鍵一が作曲するピアノ独奏曲。19世紀の旅で出会った芸術家たちの肖像画を、変奏曲の形式で表した作品です。
実際には、作曲家の神山奈々さんが制作くださり、ピアニストの片山柊さんが初演をつとめて下さいました。
♪『夢の浮橋変奏曲』制作プロジェクトのご紹介
♪神山 奈々さん(作曲家)
♪片山 柊さん(ピアニスト)
音楽用語で『活き活きと速く、輝きをもって』の意。
英雄ナポレオンに捧ぐ曲として、ベートーヴェンが1803年に完成させた交響曲。ナポレオンの皇帝即位の知らせを聞いて、ベートーヴェンは激怒し楽譜を破いたといわれています。
ピティナ曲事典>1.ベートーヴェンの生涯>1-3.ヴィーン時代中期(1803 - 1812)をご参照ください。
パレ・ロワイヤルは、パリ中心部に位置する元・王宮。ルイ13世の宰相・リシュリュー(1585年-1642年)の死後、この館でルイ14世が幼少期を過ごしたことから、パレ・ロワイヤル(王宮)と呼称されるようになりました。王がヴェルサイユ宮殿に移り住んでからは、ルイ14世の実弟、オルレアン公の館となります。1784年、オルレアン公5代目のフィリップ・ドルレアンが館を改装し、レストランなどが入る商業施設となりました。
フランスの市民革命(1789年から1799年頃まで)。
フランス出身の貴族、政治家。ルイ16世の治世に於いてブルゴーニュの聖務職に就任。フランス革命を生き延びたのちは、ナポレオン・ボナパルトの政権下で外務大臣として活躍しました。画家のドラクロワの父親がタレーランである、という説がありますが、真偽は定かではありません。
第69話『名もなきシェフの肖像(Ⅲ)♪』をご参照ください。
プロヴァンス地方の料理を出すレストラン。魚介をメインとした南仏料理は大変人気がありました。
干した鱈をじゃがいもやクリームと混ぜ合わせ、にんにくを効かせて濃厚な味に仕上げたもの。南フランスの郷土料理を代表する一品です。
フランス語で「風に吹かれて」の意味をもつパイ菓子。カレームの得意とした菓子のひとつです。
苺のミルフィーユ。カレームの得意とした菓子のひとつです。
フランス革命の際に、革命軍によって歌われた曲。フランスの国歌として現代にも親しまれています。リスト、ドビュッシーなど、多くの音楽家によって編曲・翻案されました。
1804年12月、パリ・ノートルダム大聖堂にて、ナポレオン一世の成聖式と皇妃ジョゼフィーヌの戴冠式が行われました。ルイ・ダヴィッドがその様子を描いた油彩画は、通称『ナポレオンの戴冠式』としてよく知られています。この絵画はヴェルサイユ宮殿の「戴冠の間」に飾られたのち、1889年からはルーヴル美術館の所蔵となりました。