ピティナ調査・研究

第65話『やまと歌は、人の心を種として♪』

SF音楽小説『旅するピアニストとフェルマータの大冒険』
前回までのあらすじ
悩める18歳のピアニスト・鍵一は恩師より音楽史研究のミッションを授けられ、1838年のパリへとワープする。フランツ・リストの勧めでサロン・デビューをめざす最中、カール・チェルニーから贈られたのは、秘曲『夢の浮橋』の楽譜の一部であった。興味を惹かれた鍵一は、楽器製作者ピエール・エラールとともに『夢の浮橋』の復活上演を志す。19世紀で通用するコンポーザー・ピアニスト(作曲家兼ピアニスト)になるべく、鍵一は『夢の浮橋変奏曲』※1の作曲に取り組む事とした。現代日本に一時帰国した鍵一は、京都貴船※2の叔父のアトリエに身を寄せる。古都の風景に19世紀パリの思い出を重ねつつ、創作の日々が始まる。

やまと歌は、人の心を種として♪

やまと歌は、人の心を種として、よろづの言の葉とぞなれりける。
……このフレーズを古今和歌集※3の序文※4に読んで、鍵一は『千枚の葉(mille-feuille)』なるフランス銘菓を思い起こした。※5

(よろづの言の葉……)
千年余前に書かれた言葉を噛んでみれば、サクサクと香ばしい。鍵一は叔父の書斎から八代集※6や歌論集の類を抜き出して、日課※7の合間に読み耽った。
「どうした、どうした」と驚く叔父には、「突然にワープがしたくなりまして」と五七五で答えておいた。
それでなくとも近頃は、猛烈に日本語を食べたかった。19世紀パリに滞在中、8ヶ月も日本語にふれていなかったことへの反動らしかった。まもなく古語の響きに耳が慣れ、掛詞※8を見つけるのが楽しくなった。心に留まる歌には、作者不詳の「よみびとしらず」が多かった。

色よりも 香こそあはれと 思ほゆれ 誰が袖ふれし 宿の梅ぞも
──古今和歌集・よみびとしらず

足柄の 箱根飛び越え 行く の ともしき見れば し思ほゆ
──万葉集※9・よみびとしらず

長き夜の 遠のねむりの 皆めざめ 波乗り船の 音の良きかな
──出典不詳※10・よみびとしらず

(そういえば昔、B先生が仰っていた。ストラヴィンスキーの歌曲で、和歌を基にした作品がある……と)※11
懐かしいレッスンルームの記憶から、鍵一は遊びをひとつ思いついた。

♪夢の浮橋モチーフ

「よみびとしらず」の和歌たちに、『夢の浮橋』のメロディを載せてみる。歌の景色に応じて『夢の浮橋』はさまざまに架かり、あるときは Moderato ※12で春の予感に満ちた。あるときは Tranquillo ※13に旅情を湛えた。またあるときは Vivo ※14に宝船を渡した。

Cantabile ※15に弾きおさめて、鍵一は手ごたえを感じていた。気に入ったメロディを五線紙に書き留めることもできた。
(そうだ、『夢の浮橋変奏曲』に、歌曲として独立するような変奏を入れてみよう)
歌詞をさがして、さらに歌集へ分け入った。旅の歌※16がある。恋の歌がある。神々に捧ぐ歌※17がある。よろづの言の葉を仰ぎ見るうちに、はっと目を奪われた。

春の夜の 夢の浮橋 とだえして 峰に別るる 横雲の空
──新古今和歌集※18・藤原定家

つづく

◆ おまけ
  • 音楽小説『旅するピアニストとフェルマータの大冒険』がオーディオドラマになりました
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    第1話のみ、無料でお聴きいただけます。
  • 劇中曲『夢の浮橋変奏曲』
    幻の名曲『夢の浮橋』のモチーフを活かし、鍵一が作曲するピアノ独奏曲。19世紀の旅で出会った芸術家たちの肖像画を、変奏曲の形式で表した作品です。
    実際には、作曲家の神山奈々さんが制作くださり、ピアニストの片山柊さんが初演をつとめて下さいました。
    ♪『夢の浮橋変奏曲』制作プロジェクトのご紹介
    ♪神山 奈々さん(作曲家)
    ♪片山 柊さん(ピアニスト)
  • 貴船(京都市左京区)
  • 古今和歌集
    平安時代の中期に編纂された、日本で最初の勅撰和歌集。全20巻。略称は『古今集』。
  • 平安時代の歌人、紀貫之の手による序文
    古今和歌集の序文として書かれた仮名散文。仮名序(かなじょ)。
  • フランツ・リストがミルフィーユになぞらえて鍵一を励ましたエピソード
    第5話『Twinkle Twinkle Little Start(きらきら光る小さなスタート)♪』をご参照ください。
  • 八代集
    勅撰和歌集(二十一代集)のうち、最初の8集を指します。『古今和歌集』『後撰和歌集』『拾遺和歌集』『後拾遺和歌集』『金葉和歌集』『詞花和歌集』『千載和歌集』『新古今和歌集』。成立年代は平安時代~鎌倉時代。八代集の「代」とは「勅撰集が編まれた天皇の御代」の意。
  • 鍵一の日課
    第62話『雪色の日課 ―チェルニー、魯山人、あるいはタヌキ♪』をご参照ください。
  • 掛詞
    和歌などにおける修辞法。ひとつの言葉に複数の意味を持たせる技法です。
  • 万葉集
    奈良時代の末期ごろに編纂された和歌集。現存する歌集としては日本最古。全20巻。
  • 出典不詳の和歌「長き夜の……」
    出典は『運歩色葉集』(1548年)など諸説あり。正月の夜、この歌の書かれた宝船の絵を枕の下に敷き、歌を3回読み上げてから眠ると、吉夢を見られるといいます(諸説あり)。なお、この歌は初めから読んでも逆から読んでも同じ音になる「回文歌」。
  • 和歌を基にしたストラヴィンスキーの歌曲
    ストラヴィンスキーが1912年~1913年に作曲したロシア語歌曲集、『3つの日本の抒情詩』のこと。
    1. Moderato
    「我が背子に 見せむと思ひし 梅の花 それとも見えず 雪の降れれば」(万葉集・山部赤人)に基づく。モーリス・ドラージュに献呈。
    2. Vivo
    「谷風に 解くる氷の ひまごとに 打ち出づる波や 春の初花」(古今和歌集・源当純)に基づく。フローラン・シュミットに献呈。
    3. Tranquillo
    「桜花 さきにけらしな あしひきの 山のかひより 見ゆる白雲」(古今和歌集・紀貫之)に基づく。モーリス・ラヴェルに献呈。
  • Moderato(モデラート)
    音楽用語で『中くらいの速さで、穏やかに』の意。
  • Tranquillo(トランクイロ)
    音楽用語で『静かに』の意。
  • Vivo(ヴィーヴォ)
    音楽用語で『いきいきと、活発に速く』の意。
  • Cantabile(カンタービレ)
    音楽用語で『歌うように、表情豊かに』の意。
  • 旅の歌
    旅情や旅の景色をテーマとした歌を『羇旅歌・羈旅歌(きりょか)』といいます。
  • 神々に捧ぐ歌
    神事や祭礼、神社参拝の際に詠まれた和歌を『神祇歌(じんぎか)』といいます。
  • 新古今和歌集
    鎌倉時代の初期に編纂された勅撰和歌集。全20巻。略称は『新古今集』。
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