ピティナ調査・研究

第5話『Twinkle Twinkle Little Start(きらきら光る小さなスタート)♪』

SF音楽小説『旅するピアニストとフェルマータの大冒険』
Twinkle Twinkle Little Start(きらきら光る小さなスタート)

「パリでサロン・デビューを目指す……!?ぼくが、ですか?」
「ええか、ケンイチ君。あんたがこのパリでやるべきことは、未来という無限の王国に向けて、できるだけ遠く槍を投げる事や♪」※1
(未来……!)
鍵一の心臓が subito forte ※2で躍り上がる。
リストは笑ってうなづいて、鍵一のほうへ身を乗り出した。
「ケンイチ君がパリへ来た目的は、音楽家の情報をぎょうさん集めることやろ?
せやったら、サロン・デビューするのが1番の近道やで。
サロンというのはな、パリの文化の担い手たちの社交場や。サロンに来れば、星の数ほどの一流の音楽家に会えるで。
それに、文豪、売れっ子の画家、やんごとなき王侯貴族の方々とも交流できて、ケンイチ君の成長につながること請け合いや♪」
「リスト君に賛成♪」
と、ヒラーが大きくうなづく。
「ケンイチ君は師匠のB先生から、音楽を理解するための高度なテクニックと、豊かな教養を授けられたよね。それはサロン・デビューを目指すにあたって、充分に強みだと思うよ♪」
「タイミングもちょうど良いかもね」
と、アルカンは鍵一の羽織袴姿をちょっと検めて微笑む。
「革命前後の時期に比べると、パリも随分平和になった。
世相にも人心にも、今なら珍しいものを楽しむゆとりがある。日本人のケンイチ君がデビューするには、情勢の安定している今がベストだよ」
(確かにサロン・デビューすれば、この時代のパリ文化の全貌を見ることができる……! それでこそ、遥か未来からワープしてきた甲斐があるというもの。
でも、ぼくに出来るかしら?)
嬉しさと不安が unison ※3で響いて、鍵一はおそるおそる尋ねてみる。
「魅力的なご提案をありがとうございます……!しかしサロン・デビューするには、どのような修行が必要なのでしょうか?」
「もちろん楽器の腕を磨くことも大事やけど」
と、リストは長い手指を組んでみせる。その脇からシェフがそっと夕餉の皿を下げてゆく。
「何より、ヴィルトゥオーゾ※4としてのスマートな振る舞い方を身につけることや。
つまり、場の空気を読んで、みんなが楽しめるように工夫して、かつ自分も楽しむこと♪
サロンにはいろんな人が出入りしはるし、主催者によって雰囲気も変わるしな。
たとえば伯爵夫人が主催しはるエレガントな貴族サロンと、アートの最先端を行くヅィメルマン先生のサロンとでは、ジョークの言い方から選曲まで、あらゆることが違うてくるやろ?」
「はい、なんとなくわかります……!」
「リスト君は真のヴィルトゥオーゾだから、どのサロンでも本当にスマートだよ。
でしゃばらずに場に溶け込むんだけど、きちんと存在感があるというか。人徳の為せる業だね」
(さすがリストさん! 相手を気遣う精神は、日本の『おもてなし』に似ているかも♪)
「ヒラー君はどや? サロン・デビューの心得♪」
「そうだねえ。サロンに限った事ではないけれど、ピアノメーカーの方々と仲良くなるのがオススメ。信頼関係を築ければ、彼らが演奏面でも人脈面でも助けてくれるから。
ショパンとプレイエル社、リスト君とエラール社みたいにね。
たとえば、さっきおれたちの弾いたその猫ピアノね、ショパン愛用のピアノメーカー・プレイエル社の新作♪」※5
うなづいて鍵一がふりむくと、琥珀色のピアノは静かに輝いていた。つまさきをそっとまるめて、うとうとと眠りかけているようにも見える。
「このピアノのさらなる成長を願って、ショパンがリスト君に預けたんだよ。
ピアノっていう楽器はまだまだ進化の途中だからね。
おれたち音楽家は積極的にアイディアを出して、ピアノメーカーといっしょにピアノの改良に取り組んでる。時には親友に預けて、新たな視点を求めることもあるんだ」
(なるほど……この時代のピアノ研究開発は、音楽家との二人三脚♪ 
現代のモダン・ピアノに至るまでには、長い道程があるんだな)
「アルカン君はどや? 音楽の名門一家に生まれると、サロン・デビューのために修行なぞはしてへんかな」
「ご冗談。音楽漬けの幼少期を過ごしたばかりに、他のジャンルの知見が浅かったから、デビュー後はよく勉強したよ。
いくら演奏技術があったところで、サロンの話題に付いてゆけなければ、ね」
「せやな、サロンの話題は変幻自在♪ ドイツに開通した鉄道なる文明の話、ヨーロッパ全土を騒がせた黒犬注意報の話※6、生きるべきか死ぬるべきかの話※7、バルト海にたゆたう幽霊船の話……」
「デザートの話もね」
と、珈琲の薫りとともに、シェフがデザートの皿を運んで来た。
鍵一の目に艶やかな紅色が飛び込んで、フランスの苺は宝石のように美しい。
「旬の苺を盛り込んで、ミルフィーユを作ってみたよ。通称ナポレオン・パイ※8
1807年に『食通年鑑※9』にも載せられた、伝統のフランス銘菓なんだぜ。
俺の師匠、偉大なるアントナン・カレーム先生直伝のレシピで召し上がれ※10
「待ってました!」「パリの初夏の風物詩だね」
苺を噛むと、甘酸っぱい果汁がひんやりと目にしみる。生クリームのとろりとろける中に、パイが何層にもサクサクほどけて、
「口の中がお花畑や♪」
(ですね♪)
と、鍵一も心からうなづいた。

(それにしても、なんて華やかで、なんて厳しいんだろう、サロンという場所は……!)
笑い興じながらデザートを食べる音楽家たちの隣で、鍵一はそっとフォークを置いた。
いま聞いたばかりの情報が、苺と生クリームに溶け混ざりながら頭の中を巡っている。
(サロンに出入りできる音楽家は一流の方ばかり。
ハイレベルな演奏技術や、文化芸術への幅広い知見を持っていることは最低条件……!
さらに、場を読む力やコミュニケーションスキル、人としての奥行きが必要なんだ。
そのどれもが、今のぼくには欠けている……)
「ケンイチ君。このお菓子をよう見てみ」
言われて鍵一がハッと顔を上げると、リスト、アルカン、ヒラーの3人が、微笑んで鍵一を見まもっている。鍵一は耳を熱くしながら、こっくりとうなづいた。
「これはフランス語で『千枚の葉(mille-feuille)』という名前のお菓子や。
パイを何十枚も重ねて焼き上げてある。このように1枚ずつ修行を重ねてゆけば、あんたも必ず、高みに到達できるやろ」
(気が遠くなるような工程!……だけれど、だからこそ美味しい……)
「修行期間は約1年♪その間、ウチの出す課題をひとつずつクリアしてもらうで。
充分に実力がついたなら、あんたをサロンへ連れて行って、皆に紹介したる。
どや、チャレンジしてみいひんか?」
(B先生、どう思われますか?ぼくは大丈夫でしょうか……?)
鍵一は深く頭を垂れながら、心の中で師に呼びかけた。ふわりと幻影が浮かぶ。幻のB先生はうなづいて、
『今日がおまえの、Twinkle Twinkle Little Start(きらきら光る小さなスタート)じゃ♪』
ピースサインを出して消えた。
(B先生!……わかりました!)
「リストさん、ヒラーさん、アルカンさん。アドバイスをありがとうございます。
ぼく、サロン・デビューを目指します!これからお世話になります」
「よう言うた! それでこそ、ウチの拾った子猫♪」
リストは嬉しそうに手を打って、自分のミルフィーユの苺を鍵一の皿に載せる。ヒラーとアルカンは笑顔でうなづいて、「ケンイチ君のチャレンジに乾杯♪」と、珈琲カップを掲げてみせた。
「そうと決まれば、さっそく課題の1つ目や♪ケンイチ君はこれから約1年、サロン・デビュー修業のためにパリに留まるわけやけど、宿泊先や世話人は未定やんな?」
(しまった!そうだった……)
「はい……泊まるところもお金も、仕事のあても無いです……」
「そこでや。『1文無しで1年間パリに居座る方法』、まずは自力で考えてみ♪」
「!」
柱時計がボーンと鳴った。ニコッと笑ってリストは珈琲を飲み終えると、
「ほな、そろそろウチらは帰るわ。
シェフ、すまんけどケンイチ君のこと、一晩泊めたって。明日また来るし」
「オーケイ。例の部屋、いま空いてるからさ」
立ち上がって帰り支度を始める。ヒラー、アルカンも続いて立ち上がると、
「楽しかったよケンイチ君。また近いうち会おうな♪」
「きみの愛読書の『吾輩は猫である』、フランス語の翻訳版が出たら読んでみるよ」
連れ立って店を出て行く。急いで鍵一も見送りに出ると、
「皆さん、今夜は本当にありがとうございました、ごちそうさまでした……!」
深く頭を下げた。音楽家たちは気楽に手を振って、角を曲がって行く。彼らの影が夜に溶けると、辺りはしんと闇に包まれた。
仰げば猫の目のような三日月に、ゆるやかな薄雲が掛かっている。

「疲れたろ。2階の部屋、自由に使っていいぞ。階段はこっち……足元に気を付けてな」
シェフの案内に付いて、鍵一がレストランの奥の急階段を上って行くと、油らしき匂いが鼻をついた。
(この匂い……料理の油じゃないような……?)
「以前どなたか、住んでいらしたんですか?さっき、『例の部屋』って」
「ハハハ、いずれ紹介してやるよ。そいつもお前みたいに無鉄砲で、目がキラキラしてる奴だった」
階段を上りきると、小さな部屋に月灯りが射している。
「シェフさん、ありがとうございます。急に押し掛けたのにすみま……ヘクショイ!」
「パリの夜は冷えるからな。これ貸してやるよ」
と、シェフが投げて寄越した麻袋を受け止めるや鍵一は「おうふ!」仰向けにひっくり返った。
「ハハハ、重いだろ。中に厨房で焼いた砂が詰まってる。約230年前のセーヌ川の砂だぜ」
「17世紀の砂ですか……!」
シェフは笑って鍵一を助け起こすと、その古式ゆかしい暖房具をベッドのなかへ入れた。
「俺のご先祖様は大工でさ、ポン・ヌフ(『新しい橋』)の建設メンバーだったんだ。
橋の完成の記念に川底の砂を掬っておいて、家宝として子孫に残したってわけ。
時の流れってのは不思議だよなあ。
今でこそ、パリの最新の橋といえば鉄製のポン・デ・ザール(芸術橋※11)だけど、1607年当時は、石造りのポン・ヌフが一番『新しい橋(※12)』だったわけで。
この200年の間に、パリの景色も随分変わったもんだよ」
(本当に、なんて不思議なんだろう!2019年の日本の街並みも、200年後にはがらりと変わるのかしら……)
「ま、今度探検してみな、面白いから。おやすみ」
「おやすみなさい。ありがとうございました」
ドアが閉まった途端に全身のちからがぬけて、鍵一はベッドへ倒れ込んだ。
(ふわ、眠い……でも、楽しい1日だったな……)
うつぶせのまま長い溜息を吹くと、窓の外には星々が煌めいている。
(19世紀パリは星がよく見えるなあ……今日お会いした方々みたいに、遠くて眩しい。※13
そういえば、B先生のところで一番最初に習ったのも、『きらきら星変奏曲』だったっけ♪
初めての発表会でこの曲を弾くことになって……
舞台裏で緊張するぼくに、B先生がとっておきのジョークを言ってくれたんだ。
『きらきら星』の英語タイトルをもじって、
『今日がおまえの、ピアニストとしてのTwinkle Twinkle Little Start(きらきら光る小さなスタート)じゃ♪』って。
ふふっ、お母さんもそのジョークを気に入っちゃって、事あるごとにそれを言ってたっけ……)

♪モーツァルト作曲・(きらきら星変奏曲)
フランスの歌「ああ、お母さん聞いて」による12の変奏曲 K.265 K6.300e ハ長調

(今日はぼくの人生の、第2の『Twinkle Twinkle Little Start』だな♪)
ほほえむ鍵一の背中に、
「ニャン」
いきなり何かが着地した!「ヒャッ」跳ね起きざま鍵一が振り向くと、金色の瞳。ふさふさのしっぽがふわりと揺れている。
「ねこ!白黒ねこ。探したんだぞ。ショパンさんがくれたメモ、返しておくれ」
鍵一が手を差し出すと、白黒ねこは口にくわえていた紙片を「ニャ」と鍵一に返した。
慌てて星灯りに透かせば、
『Le pont du rêve(夢の浮橋)』
の文字。
「……?」
(ショパンさんは『手袋の秘密について話す気になったら、この場所へ来たまえ』と言って、ぼくにこのメモをくれた。※14
『夢の浮橋』というのは、いったい……?)
「ニャーン」
「ねこねこ。『夢の浮橋』って何処のこと?おまえはこのメモを持って、きっともうその場所に行ってきたんだろう?」
「ウニャ」
鍵一がねこの頭を撫でてやると、ねこは金色の目をほそめて、ゴロゴロと喉を鳴らしている。
(このねこの目……何かに似ていると思ったら、音楽記号のフェルマータに似てるんだな)
ふと可笑しみがこみあげて、鍵一はねこを抱き上げた。
「よし、今日からおまえの名前を『フェルマータ』にしよう♪
『夢の浮橋』の謎が解けるまで、ぼくのそばにいてもらうよ。旅は道連れ、世は情け」
「ニャ♪」
そのままベッドにもぐりこむと、とても温かい。
(B先生、ぼくのパリ初日はとても充実していましたよ。
でも、『1文無しで1年間パリに暮らす方法』、いったいどうすればいいのかしら……)
思うままに、鍵一は夢のなかへ漕ぎ出して行った。

つづく

◆ 注釈
  • 未来という無限の王国に向けて、できるだけ遠く槍を投げる事や♪
    リストがカロリーネ・サイン=ヴィトゲンシュタイン伯爵夫人へ贈った言葉。
  • subito forte(スビト フォルテ)
    音楽用語で『ただちに強く』の意。
  • unison(ユニゾン)
    音楽用語で『同じ高さの2音。複数の声部が同じ旋律を演奏すること』の意。
  • ヴィルトゥオーゾ
    演奏技術のみならず、徳においても優れた音楽家。
    解釈は、上田泰史 著『パリのサロンと音楽家たち -19世紀の社交界への誘い-』に拠る。
  • ショパン愛用のピアノメーカー・プレイエル社の新作ピアノ
    第3話『ねこのワルツ♪』をご参照ください。
    モデルとなったピアノの実物は、浜松市楽器博物館にございます。
  • 黒犬注意報
    ゲーテの戯曲『ファウスト』より。
    悪魔メフィストフェレスが黒犬に姿を変えて、ファウスト博士の書斎に現れたことから。
    同作品は、日本漫画の神様・手塚治虫により漫画化されている。
  • 生きるべきか死ぬるべきか(To Be or Not to Be)
    シェイクスピアの戯曲『ハムレット』より、主人公ハムレットの名台詞。
    日本では明治初期に翻訳版が発表され、夏目漱石など当時の教養人に大きなインパクトを与えた。
  • 苺のミルフィーユ(通称ナポレオン・パイ)
    フランスでは、苺の旬は4~5月。
    苺のミルフィーユ(通称ナポレオン・パイ)は日本でも人気のフランス銘菓である。
    参考1参考2
  • フランスの『食通年鑑』
    フランスの美食家、グリモー・ド・ラ・レニエール(1758-1837)が発刊した、現在のミシュランガイドのような料理評論誌。
  • アントナン・カレーム(1784-1833)
    19世紀に活躍した偉大なるシェフ、パティシエ、料理研究家。
    フランス料理を大きく発展させ、『国王のシェフ、かつ、シェフの帝王』と呼ばれた。
    ナポレオンのウエディングケーキを創作した事でも有名。
    料理研究家として創作料理にも打ち込み、料理の百科事典を編纂したほか、数多のオリジナルレシピを残した。
  • ポン・デ・ザール
    パリ・セーヌ川に架かる橋。フランス語では『Pont des Arts(芸術橋)』。
    なお、同じ名を冠したワイン・ブランドも存在する。
    参考:シャトーマルゴーの新星が手がけるアートとワインの融合『ポン・デ・ザール」
  • ポン・ヌフ
    パリ・セーヌ川に架かる橋。現存するパリの橋の中では最も歴史が古い。
    フランス語では『Pont Neuf(新しい橋)』。 7
  • 星に喩えられる音楽家たち
  • ショパンの謎めいた言葉
    第2話 『令和(Beautiful Harmony)♪』をご参照ください。

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