28. チェルニー練習曲, その他のタイプ その1
前回は本連載に関連する演奏会の告知をさせて頂きました。ご来場の皆様、ありがとうございました。演奏会の様子については、音楽ライターの飯田有抄氏(ピティナ研究会員)による演奏会のレビューがピティナ・ピアノ曲事典Facebookでコンサートの様子を生き生きと伝えてくださいました。ありがとうございます。
https://www.facebook.com/ptna.enc/posts/737940616293966
さて、その告知で「次回からようやく『チェルニー30番』の話題に入ります」と書きましたが、その前に補足として、これまで扱ったチェルニーの3つのタイプのどれにも当てはまらない特殊な練習曲を紹介します。
(400) | (フーガ演奏と厳格様式の作品を演奏するための学習、12の前奏曲と12のフーガを含む)* |
765 | 流れる練習曲* |
779 | 不屈の人―敏捷さの練習曲* |
838 | 根音バスのあらゆる和音についての実践的な知識を得るための練習曲集 |
(-) | 練習曲の練習* |
最初の目に付くこれらの練習曲の特徴は、タイトルの「練習曲」が「s」なしの単数形「練習曲étude」で表されていることです。つまり「練習曲集」ではない。曲集ないし組曲として成立していた練習曲集(études)は1830年代以降ひとつのジャンルとして確立されていました(連載第3回参照)。
ところが、パリで出版されたチェルニーの練習曲には単数形の「練習曲」が少なくとも4点存在します。この4点のうち、一つは1837年に出版された『フーガ演奏と厳格様式による作品演奏の学習―12の前奏曲と12のフーガを含む』作品400という作品です。この曲集は19世紀の「平均律クラヴィーア曲集」とも言うべき大作で、メンデルスゾーンに献呈されました。これには同様の前奏曲とフーガ集作品856があり、こちらはリストに献呈されています。この二つの曲集は19世紀に書かれた前奏曲とフーガ集の双璧と言えるほどの厳しさと集中度を備えています。今回はこの曲集について簡単に触れておきます。
1837年にパリで出版されたこの曲集タイトル、上で「学習」と訳した言葉が“étude”にあたります。「エチュードétude」は本来音楽に限らず学問的な研究や勉学、練習という意味があります。12の前奏曲と12のフーガがまとめられているのに、これを「練習曲」と訳すわけには行きません。
ウィーンで出版された楽譜にはドイツ語のタイトルが付いています。それと比べると、「エチュード」(étude)がドイツ語の「シューレ」(Schule)に対応していることがわかります。「シューレ」は英語の「スクール」で、学校、訓練、教則本などを意味します。つまりフランス語はこの「シューレ」を「エチュード」(étude)と訳したことになります。ですからこの曲集のメインタイトルは「練習曲」ではなく「学習」や「教本」と理解するのがよいでしょう。
しかしこれが「練習曲集」ではないかというと、実はそうでもないのです。事実、ドイツ語のタイトルはフランス語のタイトルと微妙に内容が異なっており、次のように訳されます。『フーガ演奏教本, 及び多声楽曲とそれらの特別な難しさの講義―24の大練習曲の形式による』。そう、つまりこの曲集は「大練習曲集grossen Übungen」なのです。たとえば〈前奏曲〉第5番 ニ長調はオルガン風の前奏に続いて内声の半音階を特徴とするパッセージが始まります(譜例1)。
それぞれの手で複数パートを演奏することは当時すでに練習曲の主要眼目のひとつでした。例えば半音階に別のパートを組み合わせることは1827年に出版されたモシェレスの『ピアノのための練習曲集、あるいは様々な調性による一連の24曲を含む向上のレッスン』作品70の第3番に現れています。
おそらくはモシェレスの例に倣いつつ、ショパンが《12の練習曲》作品10の第2番で半音階を最上声部において3,4,5の指が交差する複雑なパターンに書き換えたことはよく知られています。
さて、このようにチェルニーのこの前奏曲とフーガ集は明らかに練習曲としての身振りを統合していることがわかりました。チェルニーはつまり、単に厳格でポリフォニックな作品の演奏の訓練と同時に、同時代のピアノに固有の複雑なピアノ演奏技法もこの曲集の目標としているのです。新しい技法によって体現された古典的な厳格様式―これがこの「エチュード」の本質と言えるでしょう。