3. 練習曲の定義の変遷(1820年代~30年代)
ふつう、ある音楽ジャンルは、時を経るにつれてその内実や意味合いが変化していきます。鍵盤楽器のソナタでさえ、スカルラッティの時代から大バッハの息子C. P. E. バッハ、ベートーヴェン、リストへと進むにつれてどんどんと規模が拡大され複雑な構造を持つようになりました。演奏される場所も、社会の変化とともに、宮廷から公開の演奏会へと変わっています。練習曲も同じです。
「練習(étude)のための曲」という素朴な名称は、次第に様々な意味を含むようになります。
ここで練習曲の起源や発展について詳述することはしませんが、ヨハン=バプティスト・クラーマー(1771~1858)の二巻からなる練習曲集が、このジャンルとしては最初期の典型例がであることは押さえておきましょう。 みなさんは、「クラマー=ビューロー」による『60の練習曲』という教材をご存知でしょう。「クラマー=ビューロー」は、一人の音楽家の名前ではなく、このクラーマーの84の練習曲からハンス・フォン・ビューロー(1834~94)というF.リストの弟子が60曲を抜粋してまとめた曲集です。19世紀から現代に至るまで、この曲集はずっと受け継がれてきているわけです。
下に示すのは、パリで出版されたクラーマーの練習曲集(初版)のタイトル(フランス語原題)と初版年です。
巻 | タイトル | 刊年 |
---|---|---|
1 | 42の様々な調性による訓練課題としての練習曲 Étude pour le piano en 42 exercices dans les différents tons |
1804 |
2 | 42の訓練課題形式としての一連の練習曲 Suite des études pour le piano-forté en 42 exercices |
1809 |
まだ「エチュード(練習曲)」というジャンルが一般的ではなかった19世紀初期、表記の一貫性はありませんでした。この2冊は、いずれも42曲からなる曲集ですが、第1巻は「練習曲étude」が語尾に複数を表す「s」なしの単数形で書かれています。さらに、これは第2巻とも共通しますが、タイトルは単なる「練習曲」ではなく「42の練習課題としてのen 42 exercices」という語句を伴っています。つまり、単数形で表される「s」なしの「練習(曲)étude」は、特定の一曲を指すのではなく、42曲全体に与えられた名称で、「練習曲」というよりは「ピアノの練習」というほどの一般的な意味として捉えられます。
一方、第2巻は「一連の練習曲Suite des études」という、語尾に「s」つきの複数形による表記です。この場合、 《études》は単体の《étude》(sなしの単数形)の集合体を指すわけですから、42曲の一曲一曲が《étude》であって、「練習曲」という意味を持っていると考えられます。
以後、カルクブレンナーやベルティーニ、ショパンなど、多くの作曲家たちは、「一連の練習曲Suite des études」という意味で複数形の「練習曲études」という語をタイトルに用いるようになり、様々な表現上の要素を取り込んでいくことになります。