ピティナ調査・研究

25曲を斬る!第07回 Courant limpide 清い流れ/澄みきった流れ

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第七回 Courant limpide 清い流れ/澄みきった流れ

♪ 第7曲目 Courant limpide 清い流れ/澄みきった流れ:YouTube 演奏:友清祐子

抽象の中にある具象の「流れ」の意味とは?

今回は第7番です。昔ながらの邦題では「清い流れ」。非の打ち所のない綺麗な曲ですよ。

中間部の左手の旋律が綺麗ですよね。前半は左手はソレソレだけなのに、これがまったく投げやりな感じがしない!第5回で検証した「無邪気」の♭シド♭シドと比べると、大きく違いますよ。このソレソレは、けっこう勇気がある。8小節続くわけですから。そして後半で動き出す。ブルグって、よく左手がいいんですよ。で、左利きなんじゃないかっていう・・・。

おお。左利きねぇ。

左利きの作曲家、っていう系譜って、あります?

いや、わかんないっすね(笑)いや、ま、確かにブルグは、ピアノの中音域というか、テノールのラインを綺麗に歌わせることしますよね。

ええ。お決まりの「左手は伴奏」みたいなのは、意外と少ない。でも彼の左利き説は、どう検証したらいいの?

かなり難しいでしょう(笑)

左利き的感性というのが、あるのかどうか・・・

ところで(開き直る)、原題のフランス語limpideとはどんな意味でしょう?

まぁ、透き通った、という感じですか。新しい邦題は?

「澄みきった流れ」です。

ああ、それは確かにいいですね。

これ、小川な感じえすか?

ああ、そうでしょうね、Courantですから、そんなにでっかい川ではないでしょう。この曲はやっぱり、前の曲との対比というのが、すごく大きな特徴でしょうね。この曲自体としては特別変にひっかかるようなところはないし、本当にもう素直に書かれていますから。

前の曲の「進歩」は前回検証したとおり、驚くべきかなブルグが歌うのを止めてしまった曲でしたね。

そうです。その分この「澄みきった流れ」は、開放されたかのように非常によく歌っています。

ちなみにこの曲の前後をよく見ると、「無邪気」→「進歩」→「澄みきった流れ」→「優美」となっていて、前の2曲と後ろ1曲のタイトルは非常に抽象的。その中で「澄みきった流れ」だけは具象的な情景が見えますね。水の描写的なものが。

そうか。ページをめくるから、抽象の中の具象というこの曲のあり方に気付いていなかったけど、確かにそうですね。

ええ。無邪気、進歩、優美、この抽象3兄弟のなかに、「流れ」がぽこんと投げられているんです。この役割を考えると面白いですね。

まぁやはり、「進歩」でせき止められていた"歌"の流れが、もう一度流れ始める、というのが大きいのではないかと。

なるほど!

フランス語でね、マルグレ・モア malgré moiっていう表現があるのね。「私にもかかわらず」っていう意味なんだけど、「わが意に反して」なんて訳すんです。まさに前回の「進歩」は、歌をせき止めたことで、ブルグがブルグであるにも関わらずブルグであることを止めた曲なんですよ!その後に、もう一度"歌"を・・・みたいなのがこの第7番なんです!

自分に戻るとき、人は小声でつぶやき、出直す。

そうか!そうなったときに、つまり、ブルグにもう一度戻るときに、"小川"とか、そういう方向へ行く感じがいいですよね!メンタルなところに向かったりしないあたりが。

そう!すぐに「優美」には行ってしまわないあたりがね。

すぐには行けないんですよね・・・きっと。

曲の出だしを見ると、ピアニッシモから始まっています。わが意に反したところから、またもとの自分に戻るとき。これはやっぱり、ピアニッシモから入らないと!

そう(小声)。回復するにはね、やっぱりこう・・・下げて・・・

それでmormorendoなんですよ。まだモゴモゴいい始めるところから回復する。前の曲との関係性から、ここはどうしてもmormorendoなんです。

そうだよね。「進歩」はあんな乱暴なフォルテで終わっちゃったからさ!

ああそうか。すごい対比だ。

実はものすごく劇的な展開だよね、ほんとに。ベートーヴェンだったら、ここでハイリゲンシュタットの遺書ですよ!

なんとっ!!

今日から出直す!みたいな。

おお・・・

すごい・・・そんな深遠な心がこの「清い流れ」に込められていたなんて!今まで気付きませんでした。この曲集は25曲中21曲がピアノから始まるんですが、ピアニッシモから始まるのは、この曲とあと「舟歌」だけです。

"水"に関係する曲なんでしょうかね。

なるほど。今回も発見がありましたね。

第七回 Courant limpide 後記
malgré moi・・・せき止めてしまった"歌"を、もう一度歌い出そうとする時、その流れは静かでありながら、限りなく澄みきっている・・・。水の流れに見せかけて、それは本当は心の歌の流れだったのかもしれない。美しいト長調の流れを、静かに淡々と紡ぎ出したいものです。(広報)

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