ピティナ調査・研究

30.コラム:現代も盛んな編曲〜特定の様式(スタイル)を超えて〜

30.コラム:現代も盛んな編曲~特定の様式(スタイル)を超えて~

この連載では主に歴史の中のさまざまな編曲を扱ってきましたが、広義にとると編曲Bearbeitungとは畢竟、「既存の楽曲に何らかの形で手を加えること」でした。
そうなると「変奏variation」と「編曲」の境界線はどこにあるのでしょう。「変奏」をいわゆる変奏曲形式(18世紀から19世紀に流行した型で、主題といくつかの変奏から成る楽曲形式)に限定せず、言葉通り既存の素材を変えるということで言えば、「変奏」も広義の「編曲」に含めることができます※注釈1
また、歴史上「編曲」と呼ばれた楽曲の中には、ベートーヴェンの自作編曲のように、オリジナルの輪郭を保ちながらもオリジナルを大胆に変えた編曲も存在しました。こうした編曲では、既存の音楽素材を使いながらもその元の姿に固執せず、自身の芸術的感性に従って自由な創意工夫が凝らされていると言えるでしょう。
そんな編曲のあり方から連想されるのは、音楽史の中で盛んに行われた即興演奏です。モーツァルトもベートーヴェンも、リストもショパンも、それこそ即興演奏の名手でした。彼らは流行のオペラの旋律や民謡など、誰でも知っている旋律を取り上げ、自身の創造的感性や演奏能力に従い、皆に馴染みある旋律から新たな形を紡ぎ出していきます。こうした即興演奏を語る際には「某主題を即興的に変奏した」と言われることが多いようです。
ちょっと考えを巡らせてみると、似たようなことは現代でも行われています。そしてこんにちそうした「変奏」を語る際には、一般的に「アレンジ」という言葉が使われているように思います※注釈2。そこでこのコラムでは、現代風の語用に倣って「アレンジ」という言葉を用い、「編曲≒変奏→アレンジ」と解いて、現代の「アレンジ」の例を考えてみましょう。

歴史の中の即興、こんにちのアレンジ

歴史の中で優れた即興演奏者が行ったように、こんにちでも優れた編曲者(アレンジャー)の手にかかれば、既存の音楽は凡人の想像を超えた変容を遂げます。アレンジを通してオリジナルとは別のジャンルの要素が加わると、オリジナルに元々備わる良さだけではなく、全く別のテイストで新たな煌めきを纏い、私たちを魅了するのは真実だと思うのです。そしてこんにちのアレンジでは、いわゆる「クラシック」に属する過去の楽曲も、現代ならではの素敵な形に変身しているのを見ることができます。
ピアノ曲に的を絞ると、例えばジャズ風のアレンジには耳を惹きつけられてしまいます。ジャズ風——絶対的定義は難しいですが、ここではブルー・ノートを使用した旋律や、機能和声では和声外音になる音の自由な使用、声部間でのリズムのずれや規則的拍節法から逸するオフ・ビートの技法(スウィングやラグタイムの特徴的なリズムなど)、そしてこれらの技法を織り交ぜた「即興」的な装飾などの特徴を有するアレンジとしておきましょう※注釈3
モーツァルトのピアノ・ソナタK. 331「トルコ行進曲つき」を例にとると、ファジル・サイによるジャズ・アレンジは有名ですね。他にもショパンのノクターンをジャズ風にしたり、ベートーヴェンのソナタ《悲愴》を使ったり……こんにちではYouTubeなどの動画サイトで、そうしたアレンジの例を探すのも簡単です。試しにYouTubeで検索をかけた中からいくつか再生してみたところ※注釈4、確かにクラシックがジャズ風に姿を変えた曲調にはどこか馴染みがあり、「ああ、こういうのカフェで聴いたなぁ」と記憶の蓋が開くようです。
YouTubeで見事なアレンジ動画をいくつもアップロードしているピアニストは何人もいますが、今回のコラムでは、伝統的クラシック・レパートリーのほか、多方面で活躍中の角野隼斗さんにフォーカスを当てましょう。「かてぃん(Cateen)」というユーザー名による動画チャンネルの登録者はなんと97.6万人!(2022年5月1日現在) この注目度の高さはやはり演奏の素晴らしさからでしょう。しかも扱っているジャンルの幅広いこと。J-Popあり、ミュージカルあり、童謡あり……(《猫ふんじゃった》や《きらきら星》など、子供から大人まで皆が知っているメロディも素敵に変身しています)。
また演奏もピアノ・ソロに限らず、他の演奏者の方との共演のほか、一人でピアノとピアニカまたはトイ・ピアノを操ったデュオまで! まさにこれは現代版ヴィルトゥオーゾと思ってしまいます。演奏媒体や原曲の題名の入った動画タイトルを見るだけでもわくわくしてくるのです。
実際どれを聴いても面白いのですが、この連載のテーマに沿って、オリジナルとアレンジの差がいくぶん大きい演奏に注目してみます。そうすると耳馴染みのある旋律が、記憶にある形を確かに保ちつつも、創意溢れる変容を成し遂げている様に抗いようもなく耳を奪われます。即興的に入りこむ装飾音やふとしたリズムの揺らし、合いの手のように入りこむ追加声部など……次はどんな音が聞こえてくるのか、どちらへ向かうのか、期待と興奮はいっときも途切れることがありません。
このようなアレンジを聞いていると、オリジナルをもとに作られる「編曲(=アレンジ)」にはオリジナル以下の価値しかない、などとは言えず、むしろ独立した価値を持つ創作物を生みだす大きな可能性を秘めたものだという考えが強くなります。これから先も次々に新しい編曲が生まれ、その中には唯一無二の意義を持ち、後世にも影響を与える「作品」と呼べるものも誕生していくのではないでしょうか(実際、あるアレンジに触発されて自分もアレンジをする方は少なくないのでは)。

アレンジと創造性

そもそも芸術的創造とは虚無から何かを創造する神の創造ではありません。人間の創造性を説明するにあたり、佐々木健一は「制作」と「創造」の違いを引き合いに出して、創造とは「当初の設計図と定式化した処方箋に従うだけでなく、そのような見込みを超える何かを実現すること」と述べています※注釈5。これは「当初の設計図と定式化した処方箋」=オリジナルの楽曲、「そのような見込みを超える何か」=アレンジとしても納得のいく話ではないでしょうか(やや強引な感があるのも認めつつ)。
さらに言ってしまうと、音楽や演劇などの再現芸術には、もとより絶対的完成物は有り得ません。作品は楽譜や台本などを媒体とし、解釈者を通して実現されるわけですが、解釈に応じて(また演奏者や役者の能力に応じて)現出する形は千差万別です。演劇であれば演出の違いでオリジナルが作られた当時とは全く異なる舞台を見ることにもなります(例えば古代ローマを舞台にしたモーツァルトの《皇帝ティートの慈悲》が昨今の演出で現代世界に置き換えられたように)。既存の作品を出発点とした「創造」は、昔からずっと行われてきたことなのです※注釈6

「クラシック」とは?

ところで筆者は、音大ではない大学における音楽史の講義で、「いわゆるクラシック音楽を聞いたことがある方」という質問をしてみたことがあります。聞いたことがあるという学生さんにどの作品を聴いたのかお尋ねしたところ、「クラシックかわからないけれど……」と挙げてくださったのはファジル・サイによるトルコ行進曲のジャズ・アレンジ。意外な答えに、恥ずかしながら即答を躊躇ってしまいました。確かにこれは巷でいわゆる「クラシック」と呼ばれる伝統的な西洋芸術音楽のジャンルには素直に当てはまってくれないでしょう。オリジナルのモーツァルトのソナタは「クラシック」。しかし編曲のジャンルで言えば「ジャズ」。ですからクラシックを聴いたわけではなく、実際に聴いた音楽のジャンルは「ジャズ」……(?) 頭がこんがらがりそうですね。
「クラシック」の言葉には議論すべき問題が多いため別項に回すとして(補遺参照)、取り敢えずここでは大衆音楽に対する「西洋芸術音楽」と規定しておきましょう。あるジャンルを規定する一因がそのジャンルに共通する音楽的特徴、すなわち「様式」ですが、ここで話題になっているモーツァルトのトルコ行進曲は、一般的には「西洋芸術音楽」ジャンルのうち「古典派音楽」と呼ばれる18世紀末から19世紀初めの時代の様式特徴を持つ作品です(機能和声、均整の取れた旋律・楽節構造、規則的な拍節法など)。そしてアレンジは原曲の古典派音楽の様式的特徴を基盤にしながら、そこにジャズというジャンルの様式を織り交ぜて作られています。ということは、アレンジによって生み出された音楽には複数のジャンルのエッセンスが入り込んでいるということになります。
また「様式(スタイル)」とはジャンルや時代の特徴だけでなく、一人一人の作曲家個人の音楽的特徴を指す言葉でもあります。かてぃんさんによる《きらきら星》のアレンジに話を戻せば、ジャズ風だけではなくショパン風、リスト風など過去の作曲家の様式も組み込まれています。これと似たように他の作曲家の様式や作品に寄せた「変奏」は歴史上もありました。ベートーヴェンが書いた「主題と変奏」タイプの変奏曲である《ディアベッリ変奏曲》op. 120の第22変奏では「モーツァルトの『夜も昼もあくせくと』風に alla “Notte e giorno faticar” di Mozart」と指示されており、モーツァルトのオペラ《ドン・ジョヴァンニ》のテーマが使われているのです。モーツァルトとベートーヴェン、両者の音楽が掛け合わされた例ですね。

こう見ていくと、アレンジ(ここでは広義の編曲≒変奏)とは、オリジナルの様式に他の様々な様式を融合させていく技だと捉えられます。ある一つの楽曲それ自体も、「時代様式」「ジャンル様式」「個人様式」など複数の視点から見た「様式」が共在して出来上がっているものです※注釈7。そして、そうした楽曲がアレンジされたとき、かてぃんさんのアレンジのように、さらに複数の様式が掛け合わされることもあります。その結果、もはやその楽曲は時代の区切りを越え、ジャンルの垣根を越え……既に認められている「ジャンル」や「様式」の限界には収まらず、既存の音楽の多彩な特徴を取り入れながら新しい魅力を持った作品へと生まれ変わっていくのではないでしょうか。

補遺:そもそもいわゆる「クラシック」の範囲は……?

「古典的Classical」には種々の意味がありますが、こんにち広く用いられる語義では「優れた模範」を指し、言葉そのものに時代を規定する意味はありません※注釈8。英英辞典Oxford Advanced Lerner’s Dictionaryで名詞の「classic」という言葉を引いてみますと、確かにここには文学を含む芸術作品を指す意味も書かれているものの、それは「有名で質の高いもの」であり、他の作品の「基準を打ち立てる」とされています※注釈9。ここには古典古代の作品が時代を超えて生き残る優れた手本とされた見解があったことも関わってきます※注釈10

そして、例えば上に挙げたようなアレンジで用いられているジャズを考えてみると、このジャンルはもはや21世紀のいま、すでに新しいものではありません。ジャズというジャンルは多彩では有りますが、それでもやはり、先述の通りジャズと認識されるに当たって指標となるような作曲法も認められています。

  • 本連載第11回の記事を参照。
  • 素材の借用であれば「サンプリング」もあります。
  • アメリカのニューオーリンズ発祥とされるジャズには、時代の流れの中で黒人音楽や宗教音楽など様々な種類の音楽の特徴が入っていき、その様式は多彩に展開しました。歴史的な展開は以下に詳しく説明されています。Mark Tucker and Travis A. Jackson. "Jazz." Grove Music Online. 30 Jun. 2020; Accessed 7 May. 2022. https://www.oxfordmusiconline.com. またジャズの特徴についての端的な説明はウルリヒ・ミヒャエルス『カラー図解音楽事典』角倉一朗監訳、東京:白水社、1989年、pp. 502–505にあります。
  • 「jazz arrange classic」で検索すると、複数のジャズ・アレンジを集めたいわゆる「作業用」音楽の動画が多くヒットします(2022年5月1日)。
  • 佐々木健一『美学辞典』東京:東京大学出版会、1995年、pp. 101~102.
  • 佐々木は解釈を通じて新たな意味・価値を持つという意味で、作品も創造性を有するということも指摘しています(前掲書, p. 153~154)。
  • 様式については佐々木、前掲書、pp. 128~138を参照。
  • Heartz, Daniel, and Bruce Alan Brown. "Classical." Grove Music Online. 2001; Accessed 2 May. 2022. https://www.oxfordmusiconline.com.
  • “classic”, in Oxford Advanced Learners’ Dictionary, Accessed May 2, 2022. https://japanknowledge.com.,
  • ドイツの美術史家、ヨハン・ヨアヒム・ヴィンケルマン(1717~1768)が『ギリシア芸術模倣論』において、古代美術を規範とする思想の先鞭をつけました。