11.「変奏曲」の「編曲」性
「ある音楽に手を加えること」、これが編曲の重要な要素でした。では、主題に手を加える「変奏」は編曲といえるでしょうか?この場合、主題を「オリジナル」と考えれば、「変奏曲」はオリジナルを別の形に仕立てていく楽種の代表格です。まず、用語のレベルから見ていきましょう。変奏曲は英語でヴァリエーションズvariations(伊variazione、仏variations、独VariationenもしくはVeränderungen)であり、一般的に編曲(arrangement)とは呼ばれません。とりわけ、「編曲」を狭い意味、すなわちオリジナルの演奏媒体を別の媒体(楽器編成)に置き換えるという意味で捉えるなら、「変奏曲」では基本的には演奏 媒体の変化は問題にならず、主題が装飾や伴奏などその他の要素に手を加えられながら繰り返される点がジャンルを規定しますので、「編曲」とは呼べません。
しかし、例えばベートーヴェンの「自作主題による6つの変奏曲」作品34のように、主題が作品専用にわざわざ作られた変奏曲ではなく、既存の作品から取られていたとしたらどうでしょうか?当時の変奏曲主題は、大半が人気のオペラ・アリアの旋律などから選ばれています。よく知られた主題ならば、オリジナルの姿が変奏を通して様々に変えられていくのが当時の人々にとって解りやすく、また面白く感じられたのでしょう。
こうした既存の主題による「変奏曲」を狭義の「変奏曲」に当てはめて考えてみましょう。モーツァルトのオペラ《ドン・ジョヴァンニ》の二重唱「お手をどうぞ」を例に取れば、この曲はショパンがピアノ独奏とオーケストラのための変奏曲を、ベートーヴェンが木管楽器のための変奏曲を書いています。この場合、もともと歌唱用だった主題は、変奏曲に仕立てられるに当たって演奏媒体が変えられています。つまり変奏主題に選ばれた段階で、オリジナルの旋律は狭義の「編曲」と同じ処理を施されているわけです。
さらに変奏曲が独奏ではなく、オーケストラなど多声の器楽アンサンブルだった場合を考えてみましょう。そうすると、場合によっては変奏ごとに楽器編成が変わることもあり得ます。第2変奏は木管楽器中心に、第3変奏は弦楽器中心に、などと変奏に参加する楽器を足し引きしていくのは、アンサンブル編成の変奏曲では珍しくない技法です。オリジナル(ここでは主題)の編成を変えながら楽曲に手を加えていくというのは、「編曲」で行われていることに通じます註1。このように見ると、「変奏曲」にも十分に「編曲」の性質があることが解ります。編曲の中にも、原曲の音楽内容にかなりの変更を加えるものがありますが(例えばベートーヴェンの自作編曲、ピアノ・ソナタ第9番の弦楽四重奏編曲Hess 34)、そうした創造的編曲とでも呼ぶべき編曲の存在を考えると、「変奏曲」も創造的編曲に近いのではないか、という思いが頭を過ぎります。
註1:ベートーヴェンはヘンデルのオラトリオ《ユダス・マカベウス》の合唱「見よ、勇者は帰る」を主題としたピアノとチェロの変奏曲を書いています。オリジナルの合唱も、歌唱声部やオーケストラ伴奏を変えながら同じ旋律が繰り返されており、狭義の編曲の要素があると言えます。とすればベートーヴェンの変奏曲は「メタ編曲」とでも言えましょうか。
「オリジナルに手を加える」行為を全て「編曲」とするのは確かに憚られます。というのも、これが適用されると、例えばソナタ形式の展開部で主題が加工される「動機操作」も編曲か、というような極論にいきかねないからです。しかし、上のように「編成が変わる」という限定付きで考えたときに、「変奏曲」の中にも狭義の「編曲」と共通する要素、「創造的編曲」と共通の側面が確かに存在することが解ります。そうだとすれば「編曲」の線引きはどこにあるのでしょうか。語用のレベルを超えて、音楽の実態を考えると、これはそうそう簡単に答えを得られそうもない難しい問題のようです。
註1:ベートーヴェンはヘンデルのオラトリオ《ユダス・マカベウス》の合唱「見よ、勇者は帰る」を主題としたピアノとチェロの変奏曲を書いています。オリジナルの合唱も、歌唱声部やオーケストラ伴奏を変えながら同じ旋律が繰り返されており、狭義の編曲の要素があると言えます。とすればベートーヴェンの変奏曲は「メタ編曲」とでも言えましょうか。