ピティナ調査・研究

第28回「強情」

音にはひとつひとつ色が見える、とか、調性にはそれぞれ独特の感触がある、などと言うことがある。私たちの多くはそれを実際に感じているわけではなくて、あいまいで比喩的な表現として使っているのだけれど、それらをありありと、現実のものとして感じられる人たちも世の中には存在します。共感覚者、と呼ばれる人々です。

共感覚とは五感が相互に混ざり合う現象で、脳ミソの配線の具合によって引き起こされるもの。通常、人の五感は脳が作られる過程できちんと整理され、刈り込まれて分類されます。しかし、共感覚を持つ人の脳は五感を司る部分同士がつながってしまっていて、感覚が分離されていない。障害、というのとはちょっと違いますが、そういう脳を持っている人にしか味わえない特殊な現象です。

共感覚はとても個人的なものなので、ひとくちに共感覚者と言ってもその体験は様々です。たとえば、味にそれぞれ手触りを感じる人もいる。ものを食べると、実際にその味を特定の形として捉えることができる。

「この味は、すべすべの素材で作られたドーナツ型をしていて、トゲが3つついている」

とかまあ、雰囲気的にはそんな感じの体験をするわけです。

五感が混ざる、と言いましたが、脳の中でももっと高次の処理をする領域の配線が錯綜してしまうこともある。すると、数字や文字にそれぞれ色がついて見える、などという知覚が生じたりします。実は、最もポピュラーな共感覚の例は、それら「書記素色覚」現象なのだそうです。

たとえば数字に色が見える人たちは、白黒で印刷された紙だろうと、アラビア数字があればそこに色がついているように感じてしまう。私たちは、一面に印刷された「5」の中にまぎれた「2」を探せ、と言われると苦労してしまいますが、数字ごとに色が見える人は、パッと見てすぐに「2」だけを見つけられるのです。そりゃあ、そこだけ色が違うんですから簡単ですよね。

......っと、話が随分と逸れてしまいました。音と色に話を戻しましょう。

音に色や模様が見える現象は「色聴」とも呼ばれ、比較的よくある共感覚のようです。作曲家の中にもそういう人がいたことはよく知られていて、スクリャービンメシアンは共感覚者でした。その感覚が作曲に活かされていたことも確かです。共感覚を持つ作曲家たちがそれぞれの音にどのような色を見ていたのか、私たちには追体験することはできない。しかし、それを知識として知ることは、演奏上大きな助けになるはずです。

さて、共感覚の持ち主とは思われていない作曲家でも、調性ごとに特殊な性格を感じていることは多い。どういう根拠があって特定の性格を感じるのかは難しい問題なのですが。古くはシューバルトの「調性格論」というのがあって、彼は24の調性それぞれに感情や人格を結びつけて紹介している。シューバルトは、当時の(完全な平均律ではない)調律法による調ごとの和音の響きの違いや、そのことに起因する調性ごとの楽曲の数の違いなどに影響されて、それぞれの調の性格を決めているように感じられます。

ピアノ弾きにとっては、やはり音階中の黒鍵の数が調のイメージに大きく関わってくる。数だけでなくて、演奏するときの和音ごとの手のポジションも印象に関係しているかもしれない。コンポーザー・ピアニストにとって、ハ長調は素朴な調で嬰ヘ長調はなんだか複雑な調です。当たり前といえば当たり前の話ですけれど。

というわけで、共感覚は持っていなくても、作曲家にとってそれぞれの音や調性は必ず特別な印象を伴うものだ、と考えて間違いない。その作曲家にとってこれこれの調性はこれこれの意味を持っていた、なんて話はなるべく集めておくに限ります。『エスキス』のように調性を網羅した曲集は、作曲家の調性へのイメージを知るには格好の材料になります。

『エスキス』の中でも際立っているのが、今回の曲の調性であるイ短調。第1巻に出てきた「小フーガ」といい、今回の「強情」といい、古臭く角張ったイメージがよく似ています。「きっぱりと」という指示も両者に共通のもの。アルカンにとってのイ短調は、頑固で四角四面なところのある調だったのかもしれません。

演奏するときには、確実な指さばきが必要となります。片手ずつ、しっかり指遣いを決めてから練習するのが良いでしょう。四分音符の和音は力強く、そして和音間の休符が短くならないようにリズムを正確に感じましょう。

それではまた。次回は「熱狂」です。


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