第06曲「小フーガ」
作曲なんて、自分の思いついたとおりになんとなく音を並べれば良いはずなんですが、なんの勉強もしないで適当にやったって、そうそううまくいくものではない。それに、他人にとっては何の根拠もない思いつきだけで書かれた曲なんて、赤ん坊の喃語みたいなもの。そりゃあ親にとっては特別に可愛らしい声には違いありませんが、どうも深みやありがたみが足りない気がします。
西洋のクラシック音楽が芸術として大きく発展できた理由のひとつとして、複雑な「言語体系」の確立があげられる。つまり、互いに関係しあう2つのルール、「対位法」と「和声法」です。これはもともと、「こういう風に音を並べればどうも聴いていてしっくりくる響きになるらしい」、という試行錯誤の結果の手引き書みたいなものなのだけど、ともかく作曲家にとって、これらをマスターすることは必須となりました。
いま現在、調性音楽を理屈づける手法はいくつもあるけれど、クラシックの理論にはとりわけ「禁則」というのが多い。2つの声部が連続5度で進行しちゃいけません、とか、旋律は増音程の進行をしてはいけません、とか、そんなのは序の口だ。これこれの場合はこれこれの例外を除いてここの声部とここの声部の関係がこうなっちゃいけません、みたいな、複雑怪奇なものがたっぷりとある。つまり、正しい音楽を作るために覚えなくてはいけないことが多い。そして、きちんと覚えた人からすれば、覚え切れていない人の作品の稚拙さはそれはもうハッキリクッキリ見えてしまうわけです。
そんなややこしいルールが支配する中で、最も複雑かつ洗練された音楽形式のひとつと言われるのが、対位法の極致であるフーガです(カノンの方が本当の意味では極致かもしれませんけど)。生まれは随分と古いのに、現在に至るまで、フーガは常に作曲家の力量を示すひとつの基準のように扱われ、また特別に深遠なものを表現する手段として用いられてきた。音大作曲科の課程には必ず「フーガ」の授業があるほどです。
しかし、そんな特別な存在であるだけに、皆がみなフーガや対位法に堪能だったわけではない。豊かな和声とロマンチシズムが重視されるようになったロマン派の時代にあっては、主な評価の基準は古臭い対位法技術とは別のところに求められたのだし。
たとえばショパン。ショパンは「フーガ」という名前で、なんだかナサケナイ2声部の曲をひとつだけ残している。率直に言ってフーガとは呼びづらいくらいの代物で、いちおう対位法の勉強としてやりました、程度の習作なのだろう。他の曲の中に見られる対位法的な工夫も、聴いていて違和感がなければそれで良いのだ、という割り切り方がはっきり見て取れます。「対位法の技術は知っていればいろいろ役に立つし、フーガも書ければそれに越したことはないよね」、といった認識だった。そんな風に捉えるとちょうど良いのかもしれない。
それでも、対位法やフーガをきちんと勉強していない場合、作曲家にとって何となく後ろめたさが残っただろうことは間違いない。少し時代を遡りますが、たとえばシューベルトは、それまでは独学で頑張っていたのを31歳にして一念発起、対位法の大家とされた作曲家の門を叩いています。何かしらの力量不足を感じてしまったのでしょう。残念ながら、そのすぐ後に世を去ってしまいましたけれど。
さて、アルカンの対位法的な能力は実際のところどうだったのか。私の見たところ、ショパンよりはいくらか上かなあ、という感じ。シューマンには明らかに負ける。タイプとしてはベートーヴェンに似ています。対位法的に複雑なことも頑張ればできるんだけど、そうするとどうしても力ずくで、無理やり感が漂いまくり。バッハのような数学的とすら思える美しさには程遠くて、逆にその分どこか人間的なのかな、と。
そんなわけで今回の曲は「小フーガ」なんですが、見ての通り変なフーガです。まず主題がどう見ても単旋律として美しくなくて、声部同士の交差もまるで気にしません。最後なんて声部の数に関係なく分厚い和音がバシバシ出てきて、「対位法の大家」が見たら泣いてしまいそう。でもちゃんと変応はしてますよ、みたいな言い訳がましい感じが面白い。ちなみに変応というのはフーガのルールのひとつで、先ほど出てきたショパンのフーガでは守られてません。
しかし、オルガンを思わせる響きの豊かさと、ハキハキしたリズムの力で、充分に複数声部の重なり合う快感を味わうことができる。ルールに則るとかそういうこと関係なしに、響きは常に魅力的、というのがアルカンの持ち味だと思うし、ある意味で本当の芸術家としての力量を如実に示しているのではないか。
演奏の上では、とにかく冒頭の「非常にキッパリと」という指示をよく意識することが大切です。指さばきがけっこう大変なので刻みがおろそかになりがちですが、リズムは決して流れないように。主題の裏打ちはとにもかくにも際立たせましょう。
ではでは、次回は「戦慄」です。
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