第37回 パリ音楽院のピアノ教育と「ヴィルトゥオーゾ」 その2
「ヴィルトゥオーゾ」という語は19世紀以前から用いられていた言葉で、「徳vertu」という言葉に由来する。この用語はもともと音楽に限らず「芸術Beaux-Artsの実践や知識によって、道徳的な人間、すなわち『誠実な人間』として振舞う人」※1というような意味合いで用いられていたが、19世紀になると次第に「自身の才能をひけらかしながら、自身の技術を徹底的に汲みつくす」人を指すようになっていった。その結果、「ヴィルトゥオーゾ」の概念は、音楽の「表現」、「感性」、「趣味」と相反する、ネガティヴなニュアンスを含む言葉として受容されるようになった。例えば、1860年代から70年代にかけて出版されたラルースの辞典では、「ヴィルトゥオーゾ」という言葉は、もっぱら演奏のテクニック的側面に重点の置かれた概念として、次のように説明されている。
ここで示されている「ヴィルトゥオーゾ」の定義は、「感性」、「趣味」、「表現」といった、内面的な事柄に関する要素が必要条件ではないという点に特徴がある。さらに、同じ事典項目には、次のような記述がみられる。
このように、巧みな技術と表現力を併せ持つマリブランのような音楽家には、「ヴィルトゥオーゾ」という言葉は相応しくないと考えられていたのである。こうした言葉の用法から判断すると、少なくとも19世紀後半までには、「ヴィルトゥオーゾ」という語は、もっぱら高度な演奏技術を追求するばかりで、内面的充実を欠く音楽家に対して適用される言葉として捉えられていたことがわかる。
さらにケルビーニ時代に近い時期の「ヴィルトゥオーゾ」観を示す言説として、リヒャルト・ヴァーグナーが1840年に、音楽雑誌『ルヴュ・エ・ガゼット・ミュジカル』に寄せた「ヴィルトゥオーゾの職務と作曲家の独立:ある芸術家の美学的気まぐれ」という記事をあげることができる。この記事において、当時パリに滞在していた彼は、ヴィルトゥオーゾに関して以下のような見解を提示している。
ヴァーグナーは、ラルースとは異なり「ヴィルトゥオーゾ」がテクニックを偏重するような演奏家を指すとは考えておらず、むしろ作品に即した演奏を行うことができるピアニストと考えている。しかし、この記述から読み取ることができるのは、それが彼の理想的とする「真のヴィルトゥオーゾ」像であって、現実に「ヴィルトゥオーゾ」と認識されていたのは、彼の理想に反する、作品の内面的表現に無頓着なピアニストであったことが分かる。ラルースが批判しているのは、ヴァーグナーの言う「偽の」ヴィルトゥオーゾに他ならない。「作曲家の思考」を無視するような「ヴィルトゥオーゾ」を批判するヴァーグナーの考えは、ケルビーニ時代の音楽院にも見受けられる。ヴァーグナーの記事が出たのと同じ1840年にヅィメルマンが出版した『ピアニスト兼作曲家の百科事典』の第2部第4章「様式について」という項目で、彼は次のように述べている。
さらに、彼は同じ項目で、演奏に関して、ラルースと類似した姿勢を示している。
このように「作曲家の精神」を重視し、演奏における「魂」、「感性」、「情熱」といった内面的要素を考慮に入れている点で、ヅィメルマンの態度は「反ヴィルトゥオーゾ」的である。ヅィメルマンは、『百科事典』において、「ヴィルトゥオーゾ」という言葉を殆ど使用していないが、彼が「ヴィルトゥオーゾ」という言葉を用いるとき、そこにはヴァーグナーが批判した「偽の」ヴィルトゥオーゾに対する皮肉が込められている。たとえば、第3部の「和声教程」序文には、次のような一節が認められる。
我々の生きる時代、ピアノを弾くことしかできないヴィルトゥオーゾは、いくらか巧みに演奏しはするが、小学生としか見做されえないということになるだろう―もし、彼がこの実践的能力に、音楽の文法たる和声の知識を結び付けていないのだとすれば※8。
ヅィメルマンはここで、当時「ヴィルトゥオーゾ」として罷り通っていた、メカニックにしか美点が認められないようなピアニストを暗に揶揄している。この偽の「ヴィルトゥオーゾ」は「音楽の文法」さえ理解していないゆえに、ヴァーグナーの言うように「音楽的着想を深く理解する」ことなどできないとヅィメルマンは考えている。
1840年頃に出版されたヴァーグナー、ヅィメルマンの「ヴィルトゥオーゾ」をめぐる言説からは、卓越した演奏技術を身に付けたピアニストたちの出現に対する作曲家、教育者の戸惑いを読み取ることができる。伝統的な音楽形式・書法を重んじるパリ音楽院は、生徒をいかに表層的なパフォーマンスから守ることができるか、新たな方策を打ち出すこととなる。
- Cécile Reynaud. "Une vertu contestée: l'idéal de virtuosité dans la formation des élèves des classes de piano au Conservatoire de Musique (l'époque Cherubini)" in Le Conservatoire de musique de Paris―Regards sur une institution et son histoire, ed. Emmanuel Hondré (Paris: Association du bureau des étudiants du CNSMDP, 1995), p.111.
- Pierre Larousse, "virtuose" in Grand dictionnaire universel du XIXe siècle, vol.15 (Paris : Administration du Grand dictionnaire universel), 1866-1879, p. 1107.
- マリア・フェリシア・マリブランMaria Felicia Malibran (1808-1836)、スペイン出身のソプラノ歌手で、パリのイタリア座でロッシーニやモーツァルトのオペラにおける主要な役を担った。当時最も名高く、フランスの伝説的な歌手の一人。
- Pierre Larousse, op.cit., p. 1107.
- Richard Wagner, "Du métier de virtuose et de l'indépendance des compositeurs: fantaisie esthétique d'un musician" in La Revue et Gazette Musicale, 18 October 1840, no.58, pp. 495-98.
- Zimmerman II, p. 59.
- Pierre-Joseph-Guillaume Zimmerman, 1ère partie de l'Encyclopédie du pianiste Compositeur, (Paris: chez l'auteur, 1840), pp. 58-59.
- Idem., 3e partie de l'op. cit., pp. 58-59.