ピティナ調査・研究

第33回 『ピアニスト兼作曲家の百科事典』第2部 その3―1830年代の最新テクニック

ショパン時代のピアノ教育

 パリ音楽院に限らず、19世紀の音楽院には、「保守的」というイメージが付きまとっている。確かに、音楽教育機関は既に確立された既存のテクニックや作曲技法をシステマティックに教えることを目的とするので、そこに革新的なもの、突飛なものは入り込む余地がないように思える。

ヅィメルマンの高弟アンリ・ラヴィーナ

それゆえ、青年時代にパリ音楽院に通っていた多くの作曲家たちは、新しい演奏技法に触れる機会が少なく、保守的な作品しか書かなかったと考えられがちで、今日まで「ピアノ音楽史」の表舞台に立つ機会を与えられてこなかった。だが、ショパン時代の音楽院のピアノ教育を調べてみると、音楽院=保守的という図式が単なる思い込みによって作られていることがわかる。Ch.V.アルカン(1813~1888)やアンリ・ラヴィーナ(1818~1906、左図は彼の肖像)のようなパリ音楽院に学んだピアニスト兼作曲家たちは教授ヅィメルマンを通して最先端のピアノ演奏技法を学ぶことができた。ヅィメルマンが最新の練習曲を参照しながら新しい奏法を体系化した1840年の音楽院用メソッド『百科事典』は、リアルタイムでヴィルトゥオーゾの奥義を知らせる野心的で革新的な教材として、生徒たちに多大な刺戟を与えたはずである。今回は、前回に引き続き『百科事典』に掲載されている当時の最新テクニックを見ていこう。当時のピアノ科の学生たちは、これから見ていくような技法を習得するためにしのぎを削っていたのである。

4) 急速な手の移動

ヅィメルマンが参照を勧める曲の作曲者、タイトル、出版年、曲番号

ケスラー 全調による24の練習曲 Op.20 1835 7, 19
ラヴィーナ 12の演奏会用練習曲 Op.1 1838 11
アルカン 3つのロマンティックなアンダンテ Op.13 1837 2

急速な手の交差、急速な和音の跳躍は、演奏者の敏捷な身体の動きによって観衆を引きつけるためにはうってつけのテクニックであると同時に、一度に広い鍵盤の音域を鳴らすために効果的なテクニックである。まず、ラヴィーナの練習曲から一例を引こう。

譜例1 ラヴィーナ《12の演奏会用練習曲》作品1-11冒頭

 ここでは、左 (楽譜中ではGと表示)‐右 (楽譜中ではDと表示) ─ 左 ─ 右の順で手が頻繁に交差を繰り返す。この動作によって、僅か1拍の間に3オクターヴ以上に及ぶ和音と旋律の同時的な演奏が可能となっている。
 また、和音の急速な跳躍の例として、ヅィメルマンは次のような練習課題を提示している。

譜例2 ヅィメルマンの例

 ヅィメルマンが参照を勧めているアルカンの《3つのロマンティックなアンダンテ》作品13の第2曲には、これと同様の技法が用いられている。

譜例3 アルカン《3つのロマンティックなアンダンテ》作品13 - 2、m. 57 - m. 59

 ヅィメルマンは、『百科事典』出版の数年前に生徒アルカンやラヴィーナが出版した練習曲を早速取り入れているのである。

5) 音程の大跳躍

 手を大きく伸張させたり跳躍させたりして幅広い音域をカヴァーすることもまた、ピアノの新しい音響を実現するために重視されたテクニックである。たとえば、ヅィメルマンが挙げている課題は、親指を軸にして5-1-2という指使いで急速に2オクターヴを上行/下降する練習である。

譜例4 ヅィメルマンの例

 この種のテクニックは、ヅィメルマンが参照を勧めているタールベルク《12の練習曲》作品26、第3番などからとられたものであろう。

譜例5 タールベルクの《12の練習曲》作品26 - 3 (第1巻) 冒頭

 冒頭の跳躍は、上の譜例の指番号が示すように、5-1-2という指使いであり、ヅィメルマンの示すパターン(譜例4)と同じである※1

6) 一つの指で歌い、他の指で伴奏する技法

参照曲の作曲者、タイトル、出版年、曲番号

タールベルク 12の練習曲 Op.26  第2巻 1837 3
ヘンゼルト 12の演奏会用性格的練習曲 Op.2 1837 2,3

 この技法は、ピアノの中声部に旋律を配置し、その周囲を分散和音で伴奏付けするためのテクニックである。ヅィメルマンは、参照を勧めているタールベルクの第3番をそのまま実例として挙げている。

譜例6 ヅィメルマンが引用するタールベルクの練習曲集 Op.26 第2巻、第3番冒頭

ここでは、右手の内声に付点二分音符の旋律が置かれ、これを取り巻くように、右手と左手が交互に分散和音を奏でる。
 このように、中声部に旋律を置き、それを取り巻くように伴奏づけする手法は、ピアノの改良と共に生まれた技法だった。ヅィメルマンは、この点について、以下のように述べている。

 ピアノ製造の進歩は、タッチの方法に進歩をもたらした。かつて弱々しかった中声部は、今日では(とりわけグランド・ピアノでは)、旋律が最もよく展開される声部となっている。[...] 歌唱的旋律は、はじめは高音声部に置かれていたが、[弦の]振動に欠陥があったり、力強い音、しかも乾いておらず甲高くない音を出すことが難しいことから、今では歌唱風の旋律を奏でるにはピアノの中声部が好まれている。このような旋律の扱い方のおかげで、ピアノは高貴さを帯び、様式は気高いものとなった。※2
タールベルクの風刺画

 タールベルクは、このピアノの特性を生かし、親指に旋律パートを配し、その周囲に低音と広い音域にわたる分散和音を配置するという書法を探究した。この新しい奏法によって、まるで3本の手で演奏しているかのように聴かせることができると評判になったのは有名な話である。音楽院に紹介されたこの演奏スタイルは、ヅィメルマンの高弟エミール・プリューダン(1817~1863)によってさらに探究されることとなる。


  • ヅィメルマンが他の箇所で参照しているラヴィーナの《12の演奏会用練習曲》 作品1の第5番も、ヅィメルマンの示す音型と類似している。以下にその最後の数小節を示す。テンポはアレグレット・コン・グラツィア、♩=144であり、タールベルク以上に急速である。
  • Zimmerman, Encycropédie du pianist compositeur, 2d part, p. 27.
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