ピティナ調査・研究

第32回 ピアニスト兼作曲家の百科事典』第2部と練習曲 その2 ━超絶テクニックの体系化

ショパン時代のピアノ教育

 ショパンがまだ元気に活躍していた1840年前後、パリ音楽院ピアノ科のヅィメルマン教授は、パリで活躍していたピアノの名手たちの技巧を積極的に取り込もうとした。ヴィルトゥオーゾにとって、テクニックとは自分にしか成しえない一種の「秘技」であった。ヴァイオリンのパガニーニはそのテクニックゆえに悪魔に魂を売ったとされ、彼の死後、遺体は教会から教会へとたらい回しにされたという。誰にも明かされない、人の度肝を抜くようなテクニックは当時の観衆の目から見れば魔術でさえあったのだ。だが、楽器の性能、演奏者のテクニック水準が次第に上がっていくと、今度はさらにその上を行いってみせる者も現れはじめた。こうしてピアニスト兼作曲家たちは、日々しのぎを削りながら次々に新しいテクニックを編み出していった。
 この「秘技」はしかし、1840年代を過ぎるとショパンよりも若い世代のピアニストの間で知られるようになる。それとともに、超絶的なテクニックで観衆を沸かせるような華々しい曲は次第に流行らなくなり、ピアノ作曲家の関心は次第にそのような高度なテクニックを用いて如何に音楽のスタイルや形式を洗練させるかという方向に向かっていく。このプロセスのなかで、ヅィメルマンがパリ音楽院のために編纂した『百科事典』(1840)は、極めて重要な役目を果たしている。というのも、ヴィルトゥオーゾのあらゆる「秘儀」を体系化し、メソッドに還元することで、当時最前線にあった演奏技巧がその後次第に市民権を得ていく契機となったからである。
 さて、前回の連載で19世紀のパリ音楽院で使われたヅィメルマン教授のメソッド『百科事典』第2部には、ショパン世代の作曲家のテクニックが多く導入されていると述べたが、今回はその実例を紹介しよう。これから数回に亘って紹介するメソッド中のテクニックは、いずれも実際の曲を参考にしてヅィメルマンがまとめたものである。ここでは、彼が参照した実際の曲も見ながら、どのように彼が同時代の高度な演奏技法を教育に組み込んでいったのかを、いくつかのテクニックの種類ごとに紹介していこう。

1) モルデント

ヅィメルマンが参照を勧める作品(作曲者、タイトル、出版年)

M. クレメンティ 《パルナッソス山への階梯》 1826
H. ラヴィーナ 《12の演奏会用練習曲》作品1 1838

 以前、L. アダンのパリ音楽院公式メソッド(1805, c.1835改)を紹介したが、このより古いメソッドとヅィメルマンのメソッドの間で、モルデントの右手の運指は異なっている。まず、1830年頃に至るまでアダンがメソッドに載せ続けた運指はこうだ。

譜例1 アダンのモルデント運指(右手)※1
譜例2 ヅィメルマンの例(右手)

 譜例がやや見にくいが、ヅィメルマンの運指は1-4-3-2, 1-4-3-2...である。ヅィメルマンは、より敏捷なモルデントの連続をするためには1-2という親指と人差し指の交差を避け、2-1という運指を用いる方が合理的だと判断したのだ。
 彼が参照した2作品のうち、38年に出版されたラヴィーナの《12の演奏会用練習曲》(師ヅィメルマンに献呈)作品1-7には、1-4-3-2という運指のモルデントが見られる (譜例3)。♪=138という急速なテンポで連続的なモルデントを演奏するには1-4-3-2の運指がでなければ困難である。この点、ヅィメルマンは新しい作品を演奏するのに必要な実践的テクニックを導入しているといえる。

譜例3 ラヴィーナ 《12の演奏会用練習曲》作品1 - 7冒頭

2) 指の独立のための練習

ヅィメルマンが参照を勧める作品(作曲者、タイトル、出版年)

M. クレメンティ 《パルナッソス山への階梯》 1817
S. タールベルク 12の練習曲 作品26 (第2巻) 1837

「指の独立」の練習はアダンのメソッドの初版、第2版いずれにも含まれないものである。特定の指を固定し、他の指を動かすこの練習法は、すでにクレメンティの《パルナッソス山への階梯》第1番や、以前紹介したカルクブレンナーの『メソッド』(1831)において用いられていた (譜例4、5)。

譜例4 クレメンティ《パルナッソス山への階梯》第1番冒頭
譜例5 カルクブレンナー『メソッド』における指を独立させるための練習 ※2

 ヅィメルマンは、『百科事典』第2部第2章冒頭で、これらと同様の5指独立練習を116パターン提示した後、いっそう大きな手の伸張を伴う発展的な3種類の「指の独立」練習を提示している (譜例5)。

譜例6 ヅィメルマンの挙げる例

ここでは、第3指を固定した状態で、残りの指 (右手 [1-2, 4-5]、左手 [5-4, 1-2] ) が譜例のように交互に三度を担う。この練習は、[2-4] の間隔の伸張とこれら2指の独立が目的である。この技法はヅィメルマンが参照を勧めているタールベルクの《12の練習曲》第2巻、第1番から採られている。

譜例7 タールベルク《12の練習曲》作品26-1 (第2巻)

 ヅィメルマンはこのように、クレメンティの練習法を基礎としつつ、タールベルクの新しい素材を取り入れて最新の「指の独立」練習をまとめたのである。

3) 和音

参照曲の作曲者、タイトル、出版年、曲番号

I. モシェレス 24の性格的練習曲 作品70 1828
J. ヅィメルマン 24の練習曲 作品21 1831
J.-C. ケスラー 全調による24の練習曲 作品20 1835

 分厚い和音の連続は、19世紀のピアノ書法の主要な特徴の一つである。ヅィメルマンは、チェルニーの和音練習曲を引用し、和音による順次進行、三度進行、オクターヴの跳躍、半音階といった、さらに発展的な技法を提示している。しかも、チェルニーの例は、これらをアレグロ・ヴィーヴォという、急速なテンポで演奏することを要求している。以下にその例の一部を示す。

譜例8 ヅィメルマンが掲載したチェルニーの練習曲の一部(譜例は筆者編集)
譜例9 ヅィメルマン:《24の練習曲》作品21 (1831)、第12番

 和音の連続の練習曲は、このほかモシェレスやカルクブレンナーなど多くの作曲家によって書かれている。先に言及したヅィメルマンの高弟ラヴィーナは《演奏会用練習曲》作品1の第2番でこの技法を用いているが、これは『百科事典』が出版された時点でおそらく最先端に位置する過激なエチュードである。幸いこの曲は「ピアノ曲事典」で金澤氏の演奏を聴くことができる。1838年、二十歳の若者が一体なにをしようとしたのか、こうした背景を踏まえればこの曲の意味も分かってくるだろう。
 今後は数回に亘ってテクニックの紹介が続くが、19世紀のピアニズムの襞に入り込むことで、当時のパリのピアノ音楽界で何が起きていたのか、リアルに見えてくるだろう。譜例の羅列ばかりで退屈と思われる方もおられるかもしれないが、しばしお付き合いいただきたい。


  • L. Adam. Méthode de piano, (Paris : Imprimerie du Conservatoire Impériel de Musique, 1805). Reprint ed. Genève : Minkoff, 1974, p. 54. この譜例は初版から引用しているが、第2版においても変更はない。
  • Frédéric Kalkbrenner, Méthode pour apprendre le piano forte à l'aide du guide-mains, (Paris, I. Playel), 1831, p. 23.
調査・研究へのご支援