ピティナ調査・研究

子どもの「なぜ?」を大切に、自立をサポートする音楽教室

スタート!ピアノ教室
子どもの「なぜ?」を大切に、

自立をサポートする音楽教室

音楽指導者の母の影響、舞台裏を支える経験から指導の道へ

私は小学生のころは作曲家になるのが夢でした。音楽教室の作曲クラスに入り、個人的に音大の先生にもついて、ピアノのレッスンも頑張っていたんです。しかし、成長期になっても体が小さく、手も小さいままだったので、中学に入ってからはピアノを歌に路線変更。大学も声楽で受験をしました。
私の母が音楽教室の先生だったこともあり、小さいころから発表会の手伝いをしたり、学生時代は母の生徒の第2指導者を務めていました。そのせいか、歌い手としてよりも裏方として舞台に関わることが多かったし、性に合っていたのだと思います。在学中は交響楽団でのバイトもしていたんですよ。ここで裏方の仕事がステージに立つ演奏者にとって欠かすことのできないものだと学びました。
大学卒業後は母校の音大で助手をしていましたが、年限のある仕事で、ゆくゆくは独立して指導を…と考えていたんですね。その意思を告げると、母からピティナへの入会を勧められたんです。はじめは知り合いから歌を習いたいと言われて、次に音大受験を目指す子を預かり、母のアドバイスで看板を出したところ地元の子供たちが来るようになりました。今はブログやインスタグラムを見て入られる方や、ピティナの教室紹介からも数名、中には受け入れをした生徒さんのお母さまがレッスンを見て「わたしも習いたい」という事もありました。

経験を活かした独自の指導、コロナ禍の子どもたちと向き合って

現在の生徒数の大部分は未就学児と小学生、そして高校生が数名います。使っている教材は、ハノン数種(キャラクターものや、プレハノン、黒河好子先生監修のスケール等)とチェルニーが中心です。既存の教材が合わない子には教材を自作します。例えば、既存の両手奏の楽譜を使って「右手だけ/左手だけでやって」と言うと両手奏が出来ないという事にパニックになってしまうお子さんもいます。そういう子には、はじめから片手奏の楽譜を作って渡しています。趣味で習っていて、好きな曲を弾きたがる子にはその曲の中で必要な技術がつくようにアレンジすることもあります。受験生もいますが、近所から通ってきて、先生のところに来るのが楽しい!という子も多いです。そういったお子さんにも寄り添える指導をしたいですね。
様々な事情から精神的に不安定になってしまうお子さんもいます。幼児返りしたような振る舞いをする子もいますが、無理に矯正はせず落ち着くまで向き合おうと思っています。コロナ禍で学校では自由におしゃべりできない分、話したいことが溜まっているのでしょう。レッスンの内容から話がそれたとしても最後まで聴くよう心がけています。大勢で集まることはできませんが、一人ひとり「粘土で楽器の要素を加えた新しいキャラクターを作る」とか、「ハロウィーンやクリスマスの飾りを作る」といった体験をしてもらうこともあります。レッスンの終わりに保護者や兄弟も参加できる「本気挑戦の射的ゲーム」をしたときは、スナイパー顔負けの実力を発揮する保護者に景品を攫われることも何度かあって(笑)。でもみんな夢中になって取り組んでくれましたよ。

お腹に太鼓を組み合わせたオリジナルキャラクターが誕生!
自分たちで作った飾りで迎えるクリスマス
ハイドンの生涯をまとめた「作曲家人生ゲーム」
「なんでドレミなの?」子どもの価値観を大切に感性を育む

幼児の頃から母親が教えている側でレッスンを待つ年下の子の面倒を見ていたので、子どもと接することには慣れていました。それでも、子どもの成長段階など、知識が足りない部分は、子育てブログを読み漁って補完。教職の単位を取るために使った教科書を引っ張り出したり、またブログを読みこんで発達障害の子への対応についても学んだりしました。その過程で、教材も一時期かなり研究したんです。同じ本でも、縦刷りと横刷り、モノクロとカラーで集中力が変わったり、子どもの性格によって教材との相性はかなり変わることが分かってきて、今は「かわいい」「普通」「難しい」3種類のテキストを示して、その子の琴線に一番触れるものを選ぶようにしています。一般的な年齢と進度に押し込めないという事が大切だと思います。
ピティナではたくさんの著名な先生が講座を開かれていて、その中から自分に合っていると思った先生の講座を見てひたすら勉強しています。得た知識をもとに多様なアプローチを「引き出し」として選択肢を提示したうえで、生徒に「あなたはどれがいいと思う?」と考えさせるような指導がしたい、と改めて感じる機会になりました。音楽を専門に学んでいるが故に自分が当たり前だと思っていることでも、子どもたちは疑問を抱きます。「こういうものだから」で終わらせない、きちんと理解できる説明が必要です。なぜ「ドレミ…」なのか、なぜ「ト音記号」なのかということもかみ砕いて話すことを心掛けています。
普段のレッスンの他に、音大に進む生徒には浜松への研修旅行を、それ以外の子には芸術鑑賞の引率をしています。きっかけは、ある大河ドラマの舞台である浜松に一人旅をして、「音楽を仕事にしているのに、今までどうして来なかったんだろう!」と後悔するほどハマったこと。歴史が好きだったのに大学入学前に音楽史を十分学んでいなかったという自身の反省から、そして音楽家として(また社会人として)生きていくなら時間を守れないとダメ!ということを「旅行」を通して教えたくて企画しました。楽器博物館でピアノの歴史を学び、楽器工場見学や新幹線コンコースピアノで試弾をして(弾いた生徒は注目されて照れながらもご満悦)、史跡や遊園地で買った楽器で大合奏…といったプログラムです。芸術鑑賞のほうは、私が小さいころ、親に観劇やコンサートに連れて行ってもらった良い思い出から。でも、保護者の方って忙しくて、芸術に触れる機会を作ることがなかなか難しいと思うんです。だったら時間のある私が代わりにやろう、と思って続けてきました。

ずらりと並んだピアノを試弾
リストの手と大きさを比べてみました
私だからこそ伝えられること―「わからない」はダメじゃない!

入会する子と保護者にはまず最初に「私は練習をさぼっても怒らないけど、マナーはきっちりします。おかしいと思うことは厳しく指導します」と伝えています。もちろん厳しくしたぶんそのあとのフォローも大切にしています。
自分だけでできないことは人に頼るとか、「長い人生、ときにはサボることも大事!」とか…親からは言いにくいような、他人だからこそ伝えられることってあると思います。こういうことを話せる大人の存在って結構大切だと思うんですよね。だから20歳になった生徒にはお酒のマナーや断り方、断ってもいいということを教えるし、もうすぐ社会に出る子に年金と保険についてお話しすることもあります。それから「わからない」と言うのは恥ずかしい事じゃない、「なぜ?」と言う事は悪い事じゃないということは私のような立場だからこそ時間をかけて伝えられると思っています。これらは直接音楽に関わりのあることではありません。もちろん、より良い音楽を突き詰めていくことも良いことですが、人と音楽のかかわり方はそれだけじゃないと思います。音楽教室の場を通して色々なことを教えられる先生になりたいですし、いつか生徒さんが何かの分野を極めた時に『ピアノの先生がいろんなことを教えてくれたので、今の道に進んだ』と言われるのが目標です(笑)
今後は、お母さんのお腹の中にいるころから知っている生徒を専門の道に進まで教えきって、初級~上級の下見まで一通り教えられるようになること。この一連を経験したら自分の指導の幅が広がると思っています。大学で教えるような先生たちに習う前に、テクニックの基礎はもちろん、理論や歴史も身に着け、自分で考えられる生徒を育てられるようになるのが夢です。教えた自分の個性ではなく、生徒本人の個性がにじみ出るような指導者になりたいですね。

加納彩

ヤマハ音楽教室ジュニア専門コース研究科修了。東京音楽大学声楽専攻(声楽演奏家コース)卒業。ウィーン夏季音楽セミナーにてディプロマ取得。現在は演奏活動と並行し、ミュージカル団体での歌唱指導やコンクール審査員を務めるほか、主宰するあやニャンコのAYAピアノ音楽教室で後進の指導にあたっている。