ピティナ調査・研究

山あり谷あり!理想のピアノ教室実現への道のり

スタート!ピアノ教室
山あり谷あり!

理想のピアノ教室実現への道のり

自分の意思を貫いた青春時代、憧れのピアニストを追って

 6歳の頃から厳しいレッスンを受けていた私は、中学に入ったらスポーツ系の部活に入りたい!と思っていました。大反対の親を説得し、毎日最低1時間は必ずピアノを練習するという条件で剣道部に入部。朝練に遠征にと多忙ながらピアノにも部活にも打ち込む充実した日々を過ごし、気づけば中学3年生に。進路に悩み、思い至ったのが音高受験でした。これなら昔から続けているピアノで高校に行ける!という安易な考えゆえか、ピアノの先生から反対されてしまいました…。しかし、あるとき横山幸雄先生の演奏を聴いて衝撃を受けました。「こんな風に弾けるようになりたい!」と練習に打ち込む姿を見て、先生も応援してくれるようになり、無事に私立開智高校の音楽コース(※現在は募集停止)に進学することができました。
高校入学後、二度目の衝撃と出会います。ある日のレッスンで、「最も優れたピアニストは誰だと思いますか?」と尋ねると、アルフレッド・コルトーと返されたのです。すぐにCDを聴いて、限界までピアノを歌わせる詩情豊かな演奏に衝撃を受けたのを今でも覚えています。そして「高校を卒業したらコルトーが創立したエコール・ノルマルで学ぶんだ!」と決意。周囲の反対を押し切って、高校卒業後に渡仏しました。

最初にお世話になったのはエコール・ノルマル音楽院教授のパトリック・ジグマノフスキー先生。レッスンは門下生全員が集まっての公開形式で、生徒は各国の大学院を修了した優秀な留学生ばかり。レベルの高さに圧倒され、それからはひたすら練習の日々でした。先生は日本語に堪能で、フランスに着いたばかりの私は公私ともにお世話になりました。その後はコルトーの弟子であるジャック・ラギャルド先生に師事しました。「マカロニみたいに芯のない指だから」と、授業外にもレッスンをしてくださり、徹底的に指を鍛えられました。さらに学びを広げるため、パリ地方音楽院でジャン=マリー・コテ先生に師事。楽譜の読み方から実際の演奏までを系統だてて丁寧に教えてくださいました。音楽院卒業後はヴェルサイユ地方音楽院に進み、フランソワ・シャプラン先生の下で勉強を続けました。単にピアノを上手く弾くということだけでなく、どのようにピアノを歌わせるか、心で感じたことや自分の感情をどう音楽に表現するかを熱心に指導していただきました。
コンチェルトのソリストなど、貴重な経験を多くさせていただく中で、楽曲を深く掘り下げ演奏を仕上げていくことは好きでも、人前で弾くのはそれほど得意でない自分に気づき、演奏家ではなく教える道に進もうという思いも芽生えてきました。そして約8年の留学を終え2015年に帰国します。

試行錯誤を重ねた教室運営…課題ひとつひとつと向き合って

 でも、いざ戻ってくると、燃え尽き症候群のような状況に陥ってしまいました。半年ほどピアノから離れて、音楽と関係のないアルバイトをして過ごしているうちに「さすがにそろそろピアノを再開しないと…」と地元川口に戻り教室を開いたのが教室運営の始まりでした。
最初の問い合わせが入ったのは2016年4月。ピティナの教室紹介経由でも5,6人受け入れることになり、HPを開設するとさらに問い合わせが増加。2017年の3月頃には、閉講になった近所のピアノ教室の生徒さん15人を引き取ったことで一気に生徒数が増えました。
しかし1年で生徒数が増えたといっても、スマートに運営できていたわけではありませんでした。当時は経験不足で、異なる指導方針で教わってきた生徒さんとの溝を埋めることができなかったのです。結局、引き取った15人の大半が1年以内に辞めてしまいます。自分はピアノ指導者に向いていないのでは、と悩んだ時期でもありました。
それでも頭を切り替え、更に本腰を入れて指導に取り組みます。まずは、どんぶり勘定だったレッスン規約を見直しました。今思えば自分でも信じられませんが、当時はレッスン時間が30分でも1時間でも同じレッスン料金にしていたのです。その後も問題にぶつかるたびに改善案を検討し、ここ1、2年でやっと運営が安定したと実感しています。
2018年~19年にかけてのことです。生徒数が一気に増えました。平日土日を問わず朝から晩までレッスンの枠が埋まり、大晦日もレッスンしていたほどです!HP経由で来た生徒が知人を紹介してくれる…という経験を何度かするうちに、「知人を紹介したいと思う心の動きにはタイミングがある」と気づきました。そのタイミングは、入会してすぐの時期です。入会したばかりの高揚感も手伝って「お友達で習いたい方がいたらお声がけくださいね」とお話すると、ほぼ100%紹介に繋がりました。特に、自分のレッスンのやり方に満足してもらえた生徒さんからの紹介だと、新しい方にも同じように満足してもらえることが多いと感じますね。

自分からはどんな生徒も断らないと決めたことも、生徒が増えた一因だと思います。2歳の子を教えたこともありましたし、未就学児が15人以上いる時期もありました。当初はある程度までレベルの達した方を教えるのが理想でしたが、そういう方は経験豊かな指導者を選びますから、駆け出しの自分のところには来ないですよね。まずは教室を盛り上げ、実績を作るため、そして指導者としての経験を積むため、年齢、進度を問わず常に100パーセントの力でレッスンに臨みました。すぐにピアノから離れようとする未就学児のレッスンでは、注意を引き付けるためにぬいぐるみを活用することもありました(笑)子どもの教材についての知識も全くなかったので、楽器店で片っ端から購入しては手当たり次第に試していました当時は一歩ずつ着実に、というより、建物を先につくっていって、問題のあるところを修繕工事していく感じでしたね。あまり褒められた運営方法では無かったと思いますが、反面教師としてはいい例かもしれません(笑)小さかった子どもたちも今では小学校の中学年や高学年。教室に通い続けてくれていることに感謝の気持ちしかありません。

日々のレッスン、指導において特に力を入れているのが「脱力奏法」です。私自身、幼少期に発表会やコンクールでしっかりした音を出すために、無意識のうちに体に力を入れて弾いていたので、その癖を直すのに非常に苦労しました。生徒には私と同じ轍を踏まないように、「脱力奏法」を早期から徹底して指導しています。ピアノというのは本来とても楽に弾くことができる楽器です。子ども達が体に力を入れて弾くようになるのは、無理に強く、速く弾こうとすることがきっかけになりがちなので、普段の選曲からコンクールへの参加、発表会の会場に至るまで細心の注意を払うようにしています。
その観点から特に力を入れたのが発表会です。2019年には、小さな発表会を年に6,7回やりました。日本では、1~2年に1回、大きなホールでフルコンサートの立派なピアノで華々しく発表会をするのが一般的ですが、個人的には、体が仕上がっていないうちから自分のキャパシティを越えた楽器・会場で無理やり演奏することで、悪い癖がついてしまう恐れがあると感じていました。フランスでのピアノの発表会は、先生の自宅や音楽院や市役所の一室など小さな会場を使うことが多いんです。子どもたちも無理なく体に合った弾き方で音を届けていて、わたしもその形に沿ってやりたいと思いました。でも、保護者の方が我が子に華やかなステージに立ってほしいと思う気持ちも分かります。何年かに1度は大規模な発表会も必要だと思いますが、うまく折り合いをつけてやっていきたいですね。

指を広げたときに腕に力が入らないようにするトレーニング
親指と小指を使い、1オクターブ幅の棒をできるだけ少ない力で挟みます

 コンペに生徒を出し始めたのは3年前。生徒から申し出があって取り組んでみましたが、予選の会場はコンパクトなところが多く、また課題曲も学年相応で、良い学びの場だと思いました。これからはより本格的にピティナのコンペを活用していきたいです。教室の年間スケジュールやコース設定、使用する教材も、コンペを活かし、補完する形にシフトしていく必要があると感じています。今は過去の課題曲を研究して、学習効果が上がる組合せの教材を模索しているところです。
また先日のコンクール相談会でベテランの先生の経験談を聴けたことも勉強になりました!ピアノの先生は孤独な闘いに慣れているせいか、一人で抱え込みがちですよね!わたしもかつては異業種交流会や地域の集まりなどに顔を出して情報収集をしていたのですが、他の業種のノウハウをピアノ教室に置き換える作業が必要で、そのまま導入するのは難しいことも多かったんです。
「ピアノ教室」は日本独自の文化とも言えます。教室を運営している先生にしか聞けないことがある、という事を最近強く感じています。一人で悩むのではなく、人の助けを借りる、話を聞いてみることが何よりも大切だな、と。今後は、積極的にピティナの交流会に参加して同じ立場の方から知恵を得ていきたいです。

清水信守

私立開智高等学校卒業後、フランスへ留学。フランスのパリにて8年間過ごす。パリ・エコール・ノルマル音楽院で高等演奏ディプロム、パリ市立音楽院でコンサーティストディプロムを取得した後に、ヴェルサイユ市立音楽院に入学、在学中にヴェルサイユ音楽院管弦楽団と共演。その後同校の最上級ディプロムを取得。現在は埼玉県川口市にて清水ピアノスクール主宰として後進の指導にあたる。

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