ピティナ調査・研究

高校生でピアノを始めアメリカ留学、指導者の道へ

ピアノとの出会いは17歳!?

七転び八起きの指導者への道

子どもにとって、世界一安心できる場でありたい

僕のレッスンの特徴は、どんなに幼い子どもでも一個人として認め、対等に向き合うところです。ある心理学に基づき、生徒自身に考えさせるコミュニケーションを意識しています。またどんなときにも自分の正しさを押し付けず、一切の否定批判を用いることなく、子供にとって世界一安心できる空間を目指しています。

例えばレッスンで出した課題をやってこない子には「やってきなさい!」と叱るのではなく、「先生は課題をやってほしいと思っている。なぜなら君にはできると思うから」などと話します。つまり「You should~」の言い方ではなく、「I」が主語である「I want~」のスタンスで接するようにしています。

こうした指導方針の背景には、アメリカのボストン音楽院で学んだ経験があります。17 歳でピアノを始めた僕の音楽を、恩師は常に尊重してくれました。上手い下手に拘らず、個性を認める教育のおかげで、自分はここまで来られたと思っています。

高校時代に出会ったピアノが、人生を変えた

幼い頃から武道ひとすじでした。柔道や空手、少林寺拳法など色々な武道を習い、柔道では黒帯まで持っています。中高一貫の進学校だったので高校生になると周りは猛勉強を始めましたが、自分は思春期や人間関係の悩みから精神的に鬱になってしまったのです。保健室に通いながら、生きる意味を見いだせない日々が続きました。

ピアノとの出会いは、そんなときでした。ふと思い立って実家に眠っていたピアノに触ってみたところ、感情を音で表現できることに深い感動を覚えました。自分で楽譜を買い、当時好きだったゲーム音楽やX JAPANの曲に挑戦しました。初めて弾いたクラシックは、当時観た映画で使われていたドビュッシーのアラベスク。先入観もなく、とにかく弾きたいという気持ちだけで弾けるまでひたすら没頭しました。こうしてピアノと向き合っているうちに進路を前向きに考えられるようになってきたんです。

アメリカに留学し、猛練習の末音大大学院に合格

高校卒業後は世界中の大学と提携している語学学校に入学し、建築を学ぶためサンフランシスコに留学しました。実はその頃には「本気でピアノをやる」と心に決めていたので、授業以外の時間は大学の音楽科にある練習室に籠っていました。ピアノの先生にも習い始めましたが、スケールやアルペジオなんか弾いたことがないし、楽典の知識も全然なく、完全にゼロからのスタート!

「どうしたら、今から音大に入れるだろう?」と本気で考えました。その結果「コンサートピアニストを目指す人たちって、3歳くらいから大学までの15 年間毎日3時間は練習しているんじゃないか」と思い、何としても彼らに追い付くために、3年間毎日 15 時間の練習をすると決意しました。それを実行した結果、奇跡的に1年半でボストン大学院に合格することができたんです。

周囲との実力差に打ちのめされる。続けられた理由は?

音大への切符をゲットできたものの、入学早々、周りとのレベル差を実感しました。何度も心折れながらもここで頑張ることができたのは、恩師や友人に「君の音楽はとても面白い!」と認めてもらえたことが大きかったですね。

入学して1年目、ドビュッシー/24 の練習曲を数名で全曲弾くことになりました。あてがわれた2曲が技術的には小2~4年レベルの簡単な曲だったので非常に落ち込んだのですが、必死で練習していきました。そうしたら、演奏後に先生や友達から「君が一番良かった」と褒めてもらえたんです!こうした経験は一度二度ではありませんでした。徹底的に「長所を褒め、個性を認める」というアメリカならではの開放的な価値観には、非常に大きな影響を受けました。

地元で教室をスタート。最初は「子ども」に接するだけで精一杯

大学卒業までには、プロに求められる「初見」や「即興」といったスキルが足りないことを自覚していました。そのため演奏家は諦めてボストンで就職活動をしたのですが、どこにも決まらず帰国後は、地元で音楽家支援の活動を行いながら、実家が所有していたマンションの一室でピアノ教室を始めました。最初は「演奏家を諦めた」というどこか負けたような意識がありましたが、指導をするうちにその素晴らしい価値と面白さに気付き、今ではこの職業に誇りを持っています。

現在は70名の生徒に恵まれており、辞める子はほとんどいません。ですが教え始めた頃は、自分自身が子どもの頃にピアノを習っていないので、何からどうやって教えたら良いのか全然分かりませんでした。最初の生徒は3歳のお子さんで、まずどうやって日本語でのコミュニケーションをとるべきかすごく悩みましたね...。現在の子どもへの接し方は、心理学のセミナーに通って確立したものです。ピアノの指導もほぼ手探りでの試行錯誤でしたが、福岡のバスティン研究会に参加させてもらうなど、必要そうなことは何でも学びました。

壁の教材はイラストレーターやフォトショップを駆使して自作したそう。
ウェブサイトを作成し、教室が一気に成長!

数年前、ウェブサイトをリニューアルしてから生徒が一気に 50 人くらい増えました。サイトの制作は知人に依頼したのですが、SEO 対策まで詳細に教えていただきました。例えば、ブログのタイトルに地名を入れることで近隣に住む人の検索に引っかかりやすくするとか、ブログの文章に音楽に関係ないワードを入れることで、音楽以外に興味を持っている人の検索にも引っ掛かるよう工夫するとか...。僕のウェブサイトには『体育会系』とか『柔道』みたいなワードをたくさん仕込んでいるんですけど(笑)、様々な人からアクセスがあります。

プロを目指す人にこそ、指導の現場に入ってほしい

ピアノ指導者を目指すということは、演奏家を諦めることではありません。他人に教えるという経験は必ず自分の演奏にも反映されますし、生徒こそが自分の最大のファンになり、演奏活動の土台にもなるからです。演奏家を目指し続けるだけの実力を持った人こそ、指導者として本物の音楽を伝えていってほしいなと思います。

自分の教室は安定してきたので、これからはそういった才能ある若者が、演奏家としても指導者としても活躍するための支援をしたいと考えています。今年から若手ピアニストである折居吉如さんのピアノ教室を提携教室としてオープンしました。お互いに生徒を交換し合い、複数の視点から指導できるのが利点です。

提携教室をオープンした折居吉如さんと。

ピアノを始めるのが人より遅かった自分は、文字通り一生をかけてピアノとその指導を学んでいかなければ、と思っています。今後もピアノの指導を通して、子どもたちが自ら考え、自信をつけながら成長できるようサポートしていきたいですね。

中村 孝治

1985 年生まれ、福岡出身。幼少期から 18 歳まで柔道(黒帯所有)、空手、少林寺拳法などの武道に没頭。19 歳でピアノの道を志し単身渡米後、奇跡的にボストン音楽院に合格。2011 年同院卒業後、2012 年福岡に帰国。現在は心理学の講師も務め、全国で親向けや指導者向けの公演活動も行っている。ボストン音楽院ピアノコンクール現代曲部門入賞、ル・ブリアンフランス音楽コンクール入選、北九州芸術祭ピアノ部門奨励賞受賞。