ピティナ調査・研究

第10回 鎮魂の鐘:ペレボールと音楽 ②

第10回 鎮魂の鐘:ペレボールと音楽 ②

前回は葬儀の際に鳴らされる、鎮魂の鐘についてお話しいたしました。今回もまた、ペレボールと関連する作品についてとり上げたいと思います。小・中・大の順にゆっくりと鳴らされるペレボールの音は、それを耳にする者に、様々なイメージを与えました。訃報の鐘の音ですから、この音は告別や悲しみ、鎮魂、死のイメージと結びつき、そこからさまざまな音楽が生み出されました。第7回で引用した通り、ラフマニノフはノヴゴロドで過ごした少年時代、聖ソフィア寺院から聞こえてくる鐘の音についてこのように語っています。
「鐘つきは芸術家でした。4つの音は何度も繰り返されるテーマであり、銀色の泣き声のような4つの音が、刻々と変化する伴奏に包まれていました。私はこの4つの音から「涙」を連想しました」
この鐘の音についてラフマニノフは、葬儀の際に聞こえていた鐘の音、つまりペレボールであったと、従姉ソフィア・サーチナに述べています※1
果たして、ラフマニノフはこの4つの音からいかなる音楽を生み出したのでしょうか。今回はラフマニノフの作品とペレボールについてお話します。

1)ラフマニノフ《組曲》第1番「幻想的絵画」Op. 5-3<涙>におけるペレボール

《組曲》第1番の作曲の詳しい経緯につきましては、第7回をご覧ください。1893年に作曲されたこの作品は、ラフマニノフと正教会の鐘との結びつきが最も強く示された作品です。二台のピアノのために書かれた作品であり、二つのパートがそれぞれ鐘の音を表出することによって、深々しい鐘の音響が再現されます。
冒頭の6小節でパートⅠのピアノがペレボールを思わせる下行する4つの音を単調にゆっくりと奏でます(この旋律を仮にここでは「涙の旋律」と呼びましょう)。パートⅡのピアノが「涙の旋律」の4番目の音にかぶさるようにゆっくりと半音階を奏で、鐘の音の独特な不協和音を描き出します。
ラフマニノフの記憶に残るソフィア寺院の鐘の音は、このように単調に再現されます。4つの音は絶え間なく流れ落ちる涙を連想させると同時に、敬虔な鎮魂の鐘の音を想起させます。
7小節目から大きな展開が見られ、16分音符の三連符が連なる華麗な楽想が示されます。この三連符は先の序奏の変奏であり、16分音符の連続に織り込まれるかのように「涙の旋律」が淡々と奏でられます[譜例 1]。この旋律は、ときおり長調へと転じ、色調を変化させながら、全篇を通じて繰り返されます[譜例 2]。

譜例1:
ペレボールを想起させる下行音型。ショパンの《前奏曲》Op. 24-15のように水滴の滴る様を思わせる表現の見られる作品は多く存在しますが、ラフマニノフの《涙》の特徴は正教会の葬儀の鐘の音型をベースにしていることにあります。この作品では、鎮魂の鐘と切り離せない悲しみの感情が、涙となってラフマニノフの音楽に昇華しています。
譜例2:
17小節目から曲想ががらりと変わり、劇的な展開を見せます。三連符がメゾフォルテで「涙の旋律」を奏でる中でcis音が警告を発するかのように繰り返されます。これに加え、パートⅡが奏でる低音のオクターヴが感情の高ぶりをしめすかのようにゆっくりと上行し、緊張感を高揚させていきます。 シンプルに示された「涙の旋律」はこのように、様々に変化を遂げながら、音楽性豊かに表現され、ラフマニノフ独自の語法を編み出しています。
2)オペラ《吝嗇な騎士》における「涙の旋律」

ラフマニノフが証言している通り、ラフマニノフはこの4つの音型をオペラ《吝嗇な騎士》など他の作品においても用いています。
《吝嗇な騎士》(The Misery Knight)はプーシキンの原作によるオペラです。1903年からおよそ2年をかけて作曲され、1906年にボリショイ劇場で初演されました。
「涙の旋律」は序曲において呈示されます。序曲では、物悲しい情景描写が行われ、力強く厳然とした楽想によって、強欲な主人公のキャラクターが示されます。その狭間に挿入される4つの音型は「涙の旋律」の再現であり、騎士の傍らで涙する妻子の苦悩をシンボリックに表現し、同時に、この物語の悲劇性を聴者に予感させます。[譜例 3]

譜例3:
オペラ《吝嗇な騎士》序曲より。バイオリン、チェロが「涙の旋律」を奏で、序曲は一転して寂寥とした物悲しい場に移ります。
3)《ピアノ三重奏曲》(悲しみの三重奏曲)第2番 Op. 9 における悲嘆

ラフマニノフは尊敬するチャイコフスキーに《組曲》第1番を聴いてもらいたいと望んでいました。しかし、チャイコフスキーは初演の日の直前に他界し、ラフマニノフの望みがかなえられることはありませんでした。チャイコフスキーの訃報を受けたラフマニノフは悲痛な感情をぶつけるかのように新たな作曲に着手し、<悲しみの三重奏曲>と呼ばれる《ピアノ三重奏曲》第2番を短期間のうちに完成させました。この作品の1楽章は「涙の旋律」と類似の音型を中心に構成されています。[譜例 4][譜例 5]

譜例4:
冒頭から、ピアノが陰鬱に下行する4つの音を重々しく繰り返す中、チェロが朗唱風の旋律を奏でます。この4つの音は「悲しみの旋律」を繰り返す《組曲》第1番Op. 5-3の冒頭を想起させます。
譜例5:
86小節目で呈示される下行するAs-G-Fによる旋律は、B-A-G-Esを繰り返す「涙の旋律」との関連を思わせます。
このような主題(音型)が全編にわたって散りばめられたこの作品は、タイトルに依らずとも、悲しみの感情に由来するものであることが容易に想像できます。
このような感情描写の豊富なラフマニノフの作品を前にすると、ラフマニノフもまたロマン主義の創造の理念を継承した作曲家であったことを思わされます。美をいかに表現するかということは、作家や作曲家、画家ら19世紀の多くの創作家たちが共有した創作理念の一つでした。それはまた、人の感情をいかに自由に表現するかということに結びつきます。多くの創作家たちが新しい表現を求めて試行錯誤する中で、ラフマニノフは正教会の鐘という素材に表現の可能性を見出しました。
ラフマニノフの作品における鐘の模倣はロシア的な音を聴者にシンボリックに伝えるだけではなく、作曲家自身の感情に直結するより深い意味を有するものであったと言っていいでしょう。それゆえ、ラフマニノフは鐘を楽器として用いることはなく、あくまで独自に鐘の音を表現し、そこから自由に音楽を発展させることにこだわりました。
ラフマニノフが作曲家としての初期に示した鐘の模倣は、その後、様々な形で楽曲に再現されています。技巧的にも表現においても深化したこれらの旋律は、ラフマニノフが楽曲全体に込めた意味を探る手掛かりを与えてくれます。鑑賞される際、あるいは演奏される際、ラフマニノフが散りばめた鐘の表現を探し、その意味について一考されることをお勧めします。
注釈
  • Bertenson, Sergei & Leyda, Jay, Sergei Rachmaninoff: A Lifetime in Music, New York: New York University Press. 1956, p. 58.

ラフマニノフ《組曲》第1番 Op.5 第3曲<涙>
参考

主要参考文献
  • Rachmaninoff, Sergei, Misery Knights, Moscow: Muzyka, 1972.
  • Rachmaninoff, Sergei, Suite No. 1, Op. 5, Moscow: A. Gutheil, n.d.[1894].
  • Rachmaninoff, Sergei, Trio élégiaque No.2 in D minor, Op.9, Moscow: A. Gutheil, n.d.[1907].
  • Bertenson, Sergei & Leyda, Jay, Sergei Rachmaninoff: A Lifetime in Music, New York: New York University Press. 1956.
  • Threlfall, Robert & Norris, Geoffrey, A Catalogue of the Compositions of S. Rachmaninoff, London: Scolar Press, 1982.