085.人に感動が伝わる喜び
音楽は世界共通語です。
言葉が通じなくても解り合えます。
美しい音は誰にでも分かり、すばらしい演奏には皆、感動します。
逆に言えば、言葉で説明することなく、伝えたい事が伝わらなくてはいけないということです。
理屈でなく、心に響くということが、感動を呼ぶことになります。
そして、音楽には他の芸術と比べても、年齢と関係なく人に感動を与えられる可能性があるように思います。絵や彫刻、書道といったものは、子供の作品は「子供のものなり」の評価になることが多いです。しかし音楽は、少なくともピアノは、幼い子が弾く曲でも、人の心を震わせることができます。
音そのものが純粋で美しく、感動を呼びます。
音の少ないメロディーのほうが分かり易いためか、単旋律などは、幼い子の方が「伝わる」演奏をする事があります。
もうひとつには、やはり子供の方が純粋に、本能で美しいものを感じとっているという部分もある気がします。伝える手段はまだまだ上手ではないけれども、想いは強く、感覚的だからこそ、伝わることもある気がします。
コンクールともなればなおさら、努力も見え隠れし、更にはそれを感じさせないような素晴らしい演奏にも出会います。そう簡単には「感動」する演奏に出会うわけではありませんが、やはり琴線に触れる演奏に出会うことがあります。純粋に感じとったままの心。そこに「心配のない仕上がり」があって、美しい音がでている時です。
上達の三本柱を「読譜・テクニック・音楽性」と言っていますが、感動の四本柱は「音、テクニック、音楽性、リズム」でしょうか?「テクニック」には音の質も、リズムも含まれますし、「音楽性」の中にもリズム感が入る、、とも思うのですが、敢えて独立させて、リズム感の重要性を強調してみました。
ともかく、子供でも大人の心を感動させうるのが、ピアノです。やり甲斐はあります。親は特に感動するでしょうね(親のような気分でいる指導者も(笑))。そこまでの苦労や努力がその感動によって吹き飛び、あとには経験と、進歩した技術。そして素晴らしい思い出までがプラスされます。 「本番」を経験している人だからわかる、演奏者としての感動です。
見ず知らずの人、特に外国の人に想いを伝えられた時には、音楽は、言葉によらず伝えられる素晴らしいものだと改めて感じます。感動を伝える方法を持っているのは、幸せな事だと思います。
また、聴衆として感動できる感性も必要です。ちょっとした、「心のあふれているところ」を感じとれる聴衆でありたいなと思います。特に子供たちの演奏では。それは日常のレッスンの中でも起こりうることです。そのつど、幸せになれるのになあと思います。
以前、ピティナが主催してくれる海外演奏会ツアーというものがありました。今は亡き福田靖子専務理事と何度もご一緒させていただき、そのたびに大きな感動を頂いたものです。連れていく子供たちは「外人外人!」などと言い、はしゃぐような時代でした。
ジュニア・ジーナ・バックアウワー(コンクール)の時は、見知らぬ「外人」が(大人も子供も)演奏が終わるたびに「すばらしかった!」と声をかけてくれ、握手を求められたりしました。私まで「先生ですか!?」と感激して頂いたり、私たち自身より、もっと感動してくれているような様子に驚きました。自分の演奏が伝わったことは、本当に嬉しかった思い出です(その時出場した子は第二位を頂きました)。
カナダでは、大学のホールで演奏しました。良い演奏だけに「ブラボー!」が飛び、たまたま辺りを散歩していたようなお爺さんに「キミの前奏は、水泳の上手い選手が飛び込むときのように、波が立たず、スーッと吸い込まれるようだった」などと、一生懸命、言って下さったことがあり、感動しました。演奏に対して受けた批評の中では最もステキで、分かり易いものでした。生涯の思い出です。今でも、そのシーンが目に浮かびます。
ロシアに行ったときは、当時幼稚園児だった久保山菜摘ちゃんが、日本の曲とカバレフスキーの曲を、プーシキン美術館のなかで演奏し、感動を呼びました。演奏もさることながら、着物を着たかわいらしい日本の女の子の一生懸命さも伝わったのでしょう。彼女はその時の感動が忘れられず、演奏活動を続けています。
ご一緒させていただいた福田先生が何度も「音楽の仕事について私は本当に幸せだと思う」と感動しておられ、それを共有できた喜びがわすれられません。
音楽は感動を人に伝え、自分も感動することができる素晴らしいものです。
生涯をかけてやり甲斐のある、幸せな仕事です。