ピティナ調査・研究

036.楽譜をそのまま音にするのではなく、自分の考えを加える

100のレッスンポイント

楽譜には、音、リズム、ハーモニー、楽語、スラーなど、さまざまなヒントが書かれていて、それによってどう弾くかが決まってきます。

でも、たとえばf(フォルテ)といっても、いろいろなfがあります。激しいf。感動のf。象のようなどっしりしたf、雷のような鋭いf。

その中のどのイメージがそのfに必要でしょうか?
そのfをどう表現するのがピッタリでしょうか?

音を出しながら、考え、探す。ただ音を並べているのと違い、「表す」ものには、魂が入っています。
しかし、考えたイメージどおりに、簡単に表現することはできません。だから練習をします!
書いてあるものを音に移すための練習ではなく、表現するための練習をしたいものです。

レッスンで、「どうしてそのように弾くの?」という質問をよくします。
答は、たいていかえってきません。自分が弾いていることに対して、想いはないのでしょうか!?

意味を考えずに弾いているので、自分がどう弾いたのかすらわかっていない場合もあります。

自分の意志がない演奏の大半は、日常生活の中で何となく読んでいる日本語のように、楽譜がそのまま指に移っていく感じなのかも知れません。
「頭が働かず、指が勝手に動いている!」「あなたの指なのに、勝手に動いてるよね!」と言うことがよくあります。
「ここをどうしたいか?」と考えて音を出しているでしょうか?

一方で、「こう弾きたい」という気持ち丸出しの演奏をする人もいます。「誰が何と言おうと、私はこう弾くんだ!」というような。作曲家や時代に合わない弾き方になってしまっている場合は困りますが、弾く人の想いがあれば「そう弾きたい」という考えが伝わってきます。それが面白いのです。
「私はこう思うのだけど、どう思われますか?」と、音で伝えてくる。
それが、レッスンでの理想的な、形ではないでしょうか?

とはいえ、初めから自分の想いを音に出せる人はごくわずかです。
皆、いろいろな経験とともに、自分の考えが音に出せるようになるようです。

ピアノという楽器は鍵盤を押せばある程度良い音がでます。
もしかしたら、それが心がなく指だけで弾いてしまう演奏が多い原因かもしれません。
しかし、そこに想いが伝わった音は全然違います。
また「自分の想いを加えること」こそが最も楽しいことだと思うのですが。
「想い」という、心の中の目に見えないものを、人に伝える手段が芸術だと思います。

ある彫刻家の先生が言われた「技術芸術家になるな!思想芸術家になれ!」という言葉が深く心に残っています。