ピティナ調査・研究

034.表現力を高めるには国語力が必要

100のレッスンポイント

 ピアノを弾く事は「自分の想いを音にする事」だとすると、自分の想いを知るためには、自分の思いを最も伝えやすい、日常使っている言葉が大切になると思います。

 日常使っている日本語が、多彩だと良いですね。
 たとえば花をみたときに、「きれいな花が咲いていたのよ」と言っても、「ふーん?そう?」で終わってしまいそうですが、「きれいな黄色い小さな花が、緑の芝生の中に宝石みたいに散らばっていたのよ!」というと、心の中でイメージが膨らむのではないでしょうか。実はその花は雑草なのですが、見に行きたくなりませんか?

 それが表現力と言うものでは?

 ピアノの表現を豊かにしようと思う時、「感じる力」とそれを「表現する力」の両方が必要です。「表現する力」をアップするために、国語能力を磨く事が大事だと思います。
 シューマンも「せっせと詩人の本を読んで、音楽の勉強の疲れを癒しなさい。また、時々戸外に出て散歩をするように!」と言っています。
 伝えたいことを、現実的に、具体的にすると、より説得力がある演奏になると思います。

 一つのものを伝えるのに、たくさんのステキな形容詞を付けられると良いでしょう。

 音符やリズム、スラーやさまざまな楽語をたよりとして、その音楽を表現するのですが、例えば「p」と書いてあっても、ただ「小さい音」と感じるか、あるいは「やさしい風の音」と感じるか、「かわいい妖精が踊っている音」と感じるのでは音が違ってきます。
 その曲、その場面にぴったりのニュアンスを感じには高度なセンスも必要になってきますが。まずは、ひらめきの無い「ただ弾くだけ」の演奏にはならないようにしたいものです。

 小さい子は、初めのうち、タイトルや絵や歌詞がついていることによって、はっきりとしたイメージを持って弾くことができます。いっぽう、ソナチネアルバムに載っている曲はタイトルがついておらず、「第1番」とか「第1楽章」といった番号です。小さい子が初めてソナチネアルバムで最初に弾くのは7番ですが(一番簡単なので)、伝統的に、メロディーの下にお話しを作って来てもらいます。

 皆、展開部で事件が起こり、ちゃんと再現部で解決するお話を作ってきます。
 なぜか、必ず食べ物の話が登場します(人間らしいですね)。

 そういった経験を経て、心の中でその曲がより膨らみ、弾きたいと思うようになります。ピアノを弾くことより、その曲の話がしたくてたまらないという生徒もいます(全部は聞いてあげられませんが)。当然、その子の音楽はとてもおもしろいです。彼の「ソナチネ作文」は、絵もプラスされて漫画になっていました。

 弾きたいイメージがはっきりしていれば、自分の弾いているものがそれに至ってない時に、それはなぜかと考え、その部分を練習するようになります。

 一音も間違えませんが、まったく面白くない音楽を演奏している人もいます。音の羅列とはいえ、大作曲家が残したものですからそれなりに美しいのですが、何がおもしろくて弾いているのかな?と感じてしまいます。一方その逆の演奏もあります。私の場合は、どちらかというと「間違えてもいいから、こう弾きたい!」という気持ちが伝わる演奏が良いと思っています。それにはまず、伝えたいものを身近な日本語で表現してみることを、お勧めします。

エピソード

エピソード1

 今日(7月23日)、ある子のレッスンをしていましたが、その子のコンクール課題曲、ベートーヴェンのソナチネが急に上手くなりました。今日彼はソナチネの「お話」がしたくてレッスンにやってきたのです。
 
 それは4匹の猫の話でした。ちびた(彼が飼っている猫)、ミーちゃん(彼が飼っている年をとったメス猫)、ピー助(田舎の猫)、クロタ(死んだ猫)が登場します。私は「クロタ」がコーダのメロディだということを、真っ先に言い当てました。曲の初めでは、3匹の猫がそれぞれの性格に合わせて登場して踊っています。展開部の終わりでは、3匹の猫が、一匹づつ、ニャーオ!とおねだりして加わってきます。そして、再現部でまた踊りだします。
そんなお話ですが、性格の違う3匹も死んだ猫も曲にぴったりのイメージでした。表現したいものがよりはっきりしたので、俄然、彼の想いが伝わってくるようになりました。

エピソード2

 ある生徒が芸高を受験する前の日のエピソードです。地方から出てきたのでホテルに泊まっていたのですが、ピアノの練習時間も終わってしまいました。明日に向けて何もする事はないのか?と考えたとき、小さいころはよくその曲にお話を作っていたのに、受験に関してはその余裕もないまま、前日に至ってしまっていた事に気づきました。

 明日弾くのはウエーバーソナタ第一番第一楽章です。この曲はどんな感じかな?とお話を作り始めたら、オペラのように、スケールが大きなイメージができ、どんどん話は膨らんですてきな話にまとまりました。

 しかし既に受験前日、ホテルにいるのでそれを音に出すことはできません。イメージを胸に本番に臨みました。

 彼女の心の中には、これまでの練習にはっきりとしたイメージが加わり、入試ではなく、まさに、表現の場になったようです。「私のためのピアノだったワ!」と、すがすがしく校門を出てきました。