ピティナ調査・研究

Vol. 1 新島の森

ピアノのある場所
新島の森

RINAさんのジャズピアノが光の海の中に響いた。崩れすぎず、しかし自由に。 ピアノ線が空気を響かせ聴衆を魅了した。スピーカーは使わない。スピーカーは生音に敵わない。 ピアノとフォルテが入れ替わり立ち替わり波の畝りとなる。圧巻。

「ピアノの森」 という漫画がある。主人公は森に打ち捨てられていたピアノと共に育ち、ピアニストとして大成する物語である。話に出てきるピアノは月日と共に雨に晒されて痛み、最後は雷でもえてしまう。当たり前である。ピアノは湿度に弱い。ピアノという楽器は大きくて重いのに繊細で気難しい楽器である。すぐ風邪をひいてしまう。ピアノという名前の由来の通り小さな音を出すために生まれた楽器であるから囁く(ささやく)ことが得意である。風邪を引くと声が掠れる。掠れると囁けなくなる。だから調律師というホームドクターがかかせない。体が弱いのである。しかし「ピアノの森」 というストーリーに人々は魅了された。
ピアニストからすればあり得ない設定なのであるが、この矛盾に魅力がある。風邪を引かせまい引かせまいとピアノを過保護にするうちに、ピアノはオタクになってしまった。値段の高いピアノほどホールの奥に仕舞い込まれている。当然のことながらホールには窓がない。だからそういうピアノは森を見ることも街を感じることもなく一生を過ごすのだ。可哀想な気がする。ここのピアノは森に住んでいる。

ザルツブルクのサマーフェスティバルにて素晴らしいストリートピアノを聴いたことがある。ザルツブルクの五叉路の石畳にスタインウェイが引き出されて人だかりができていた。演者はショパンコンクールの優勝者である。曲はクラシックであったが、その色はジャズあるいはロックンロールというジャンルを超え、観衆を巻き込み歓喜の渦を巻いていた。石畳の面を音が滑り、人々の足を釘付けにしていた。街角の窓という窓が開き、懸命に音を集めていた。あの時のピアノは確かに生きていた。ピアノだって外出したいのだ。

このホールには自然光がある。ただしいわゆる窓から差し込む自然光ではない。一面の木漏れ日である。木は本物ではない。エデンの園を描いた透かし彫りである。聖書に描かれているエデンの園は悲劇と始まりという二つの意味合いを含んでいる。アダムとイブは知恵の実を食べた罪を追い、楽園から追放されてしまう。アダムとイブは永遠の命を失ってしまう悲劇である。一方、それは人間社会の始まりでもある。新島学園短期大学の光は、そのストーリーに重ねられている。学園は生徒達を守り育てる場であり知恵を与える場である。その生徒達は卒業して厳しい実社会へと旅立ってゆく。新島襄は同志社大学や国際キリスト教大学の創立者として知られている。新島学園が創立された時に、新島襄本人はすでに他界している。新島襄が蒔いた種が後に芽を吹き木となり、その木が森へと育ったというのがこの学園創立のストーリーである。その森を表している。

光と音が共演する。自然光は太陽である。太陽であるから動く。音楽は動く芸術である。一瞬で消えてしまう。だから美しい。移ろいゆく光はその時間を現している。楽譜は要らない。光の粒が音符となる。小さな6ミリの穴を抜けた光は回折する。回折した光はパネルから離れる程に柔らかく滲み柔らかく空間を包む。ピアノも人も大きな網に絡め取られ一つとなる。

ホールは全体が楽器として設計されている。大きな木箱である。板は一枚一枚が傾きエコーを防ぎ、無数の穴が音を吸収する。森のように響きすぎずしかし微かな木霊を残しつつ。大きな木箱は20センチのガラス遮音壁に収められている。夜は中の光が漏れて宝石箱と なる。

文 手塚貴晴
音響設計(永田音響)

新島の森 - 新島学園短期大学講堂
〒370-0068 群馬県高崎市昭和町53番地

手塚貴晴

OECD(世界経済協力機構)とUNESCOにより世界で最も優れた学校に選ばれた「ふじようちえん」を始めとして、子供の為の空間設計を多く手がける。 近年ではUNESCOより世界環境建築賞(Global Award for Sustainable Architecture)を受ける。手塚貴晴が行ったTEDトークの再生回数は2015年の世界7位を記録。 国内では日本建築学会賞、日本建築家協会賞、グッドデザイン金賞、子供環境学会賞などを受けている。手塚由比は文部科学省国立教育政策研究所において幼稚園の設計基準の制定に関わった。 現在は建築設計活動に軸足を置きながら、OECDより依頼を受け国内外各地にて子供環境に関する講演会を行なっている。その子供環境に関する理論はハーバード大学によりyellowbookとして出版されている。
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Enjoy Piano!Vol.3