ピティナ調査・研究

<第17回>プロコフィエフの墓

演奏とコンクール
金澤 攝
<第17回>プロコフィエフの墓

一次を弾き終えた後、結果発表にはまだ数日あるので、とりあえず次に向けての練習にかからなくてはなりません。不本意な点の多かった一次の演奏に私は苛立っており、もし二次に出場できたら、この鬱憤を晴らさずにおくものか、と固く心に誓っていました。

そのためには冒頭のプロコフィエフを圧倒的なものにする必要があり、私はその決意表明と作曲家の助言を得べく、プロコフィエフの墓参りを希望しました。場所がどこなのか、山口さん、カパルキナさんに調べてもらうよう頼みました。

カパルキナさんのご主人は、どうやら軍関係者らしく、幸い翌日、場所が分かったので兵士に案内させる、との知らせを受けました。但し写真撮影はできないとのこと。

軍事上の理由から、ソ連では空港や橋などの撮影が禁止されており、何で墓までが、と行くまではその理由が分かりませんでした。

しかし、兵士に先導されて訪れたプロコフィエフの墓はショッキングな状態で、あたかも無縁墓の如く、雑草に囲まれた墓石は傾き、その上に干からびた小さな花束が一つ置かれています。これが国を代表する作曲家の墓なのか、と愍然たる思いで持参した花束を供え、手を合わせたのでした。

この地区はいづれ改修するので、とのことでしたが、今はどうなっているのか。コンクールの参加者は全員、プロコフィエフの作品を用意してきているのですから、関係者一同で墓参りに来たらどうかと思う反面、この状況からすると、私が入れたのはかなり特例的な措置だった気がします。

私は過去の作曲家たちの意識にこの世の人間がアクセスすることは可能だという前提のもと、演奏家にしろ指導者にしろ、自分の生業・生活を支えてくれている作曲家に謝意を述べるのは当然の礼儀だと考えています。

因みにショパンを弾くピアニスト中、墓参り経験者は何%くらいいるのか。一度調査したらいいかもしれません。恐らくその経験の有無は演奏上、何らかの差異となっている可能性があります。ショパンを教えている指導者の場合はどうでしょうか。私にとってショパンを教えるというのは相当なことで、それは彼のように弾いて示せることを意味します。

ついでに触れておきたいのは、昨今の異常なまでのショパン消費現象です。2010年のショパン・イヤーの折、私はこの一年くらい、世界中のピアノ関係者が申し合わせて、彼の作品を休ませてあげられないものかと痛感しました。余りにも度が過ぎています。

本来、生誕・没後何年というのは、日頃馴染みのない作曲家を顕彰するためにあるべきで、連日のようにさんざん弾かれている音楽を、さらにてんこ盛りにする必要などない訳です。

自らの営利と名誉のためにショパンを利用し尽し、口先では称賛しつつ、墓参りはしない。そんな人間に作曲家の精神が伝えられるとは、到底思えません。
(2019.3.5 プロコフィエフの命日に)

この連載について

金澤攝氏の連載記事「音楽と九星」第一部では、たびたびピアノ演奏のあり方に関わる提言がなされていました。このたび開始する連載「演奏とコンクール」は元々、同連載の第二部に入る前の「コラム」として構想していましたが、短期連載へと拡大して、掲載することになったものです。金澤氏は音楽家として長年にわたり、千人以上におよぶ作曲家と、その作曲家たちが遺した作品を研究し続けています。ピティナ・ピアノ曲事典は、氏が音楽史を通観する「ビジョン」を大いに頼ってきました。その金澤氏がコンクールに関わっていたのは約40年前、コンテスタントとしてでした。現在はピアノ指導には携わっておらず、続く本文でも言及されているように、昨今の音楽コンクールの隆盛ぶりに驚かれています。その金澤氏による「コンクール」論は、コンペティションにピティナ会員の方々には新鮮に感じられるかもしれません。共感されるかもしれませんし、あるいは異論・反論を述べたくなるかもしれません。この連載では、まずは氏の提言を連載しますが、「演奏とコンクール」は多くの音楽家にとって切実なテーマであるはずです。ゆくゆくは様々なコンクール関係者、ご利用される方々にも寄稿をお願いし、21世紀における「コンクール」ひいては「ピアノ演奏」のあり方を考えていく契機にしたいと考えています。(ピティナ「読み物・連載」編集部 実方 康介)