ピティナ調査・研究

19 ピアノ音楽風土記 ピアノと鉄の文化 その2

ピアノの19世紀

 ヨーロッパの伝統的なピアノメーカーと言えば、ベートーヴェン「熱情」を作曲し、リスト「超絶技巧練習曲」を作曲したエラール、そしてベートーヴェンが「ハンマークラヴィーア・ソナタ」を作曲したブロードウッドです。これらのメーカーは、鉄のフレームの採用だけではなく、交差張弦の採用に強く反発しました。早い音の減衰と、自然な倍音の美しさは、モーツァルトやベートーヴェン、シューベルトショパンの音楽を生み出したピアノの賜物です。これらの作曲家のピアノ作品のフレージングやペダリング、音域ごとの表現、そして音質は、当時の木製のピアノを範としていました。
 この伝統の音の美学に強くこだわったエラールやブロードウッドは、かたくなに木製のピアノにこだわります。19世紀後半のヨーロッパのメーカーにおいて、鉄のフレームと交差張弦は、いわば「踏み絵」でした。とくにブロードウッドは最後までこの二点を拒否して、伝統的なピアノを守ろうとしました。そしてその結果、栄光に包まれた会社の歴史を閉じることになりました。そのなかで、伝統的なメーカーも鉄のフレームを採用するようになっていきます。とくにウィーンのメーカーでは、もう一つの「踏み絵」がありました。それは、モーツァルトやベートーヴェンが愛した、ウィーン・アクションの放棄です。19世紀後半になると。ベートーヴェンの愛好したシュトライヒャーのピアノもイギリス・アクションを採用するようになります。
 その点、19世紀後半に登場したブリュートナーやベヒシュタインといったドイツのメーカーは、アメリカで生まれた鉄のフレームを積極的に導入していきました。アメリカのチッカリンクやスタインウェー、ドイツの上記の二社が19世紀後半から20世紀のピアノ製作をリードしていくことになります。これらのメーカーにおいて、ピアノ製作は楽器製作であると同時に、当時の最新式の科学技術を応用した近代産業でもありました。音響学的なデータに基づいて鋳鉄フレームを製作したスタインウェーは、鉄の共鳴と木の共鳴との関係や、鉄のフレームの形状や、リブの構造、フレームに空ける穴、そして穴の形状などについてこれまでとはまったく異なった製造方法を確立します。スタインウェーのこのピアノ製造の態度は、ピアノは近代産業技術を背景にして作り出されることをはっきりと物語っています。
 小さなことかもしれませんが、鉄のフレームに空いた丸い穴の大きさや、あたかも火山の噴火口のような形状にも、音響学的な試行錯誤が反映されています。19世紀後半の人々が求めていたのは、19世紀前半におけるような、木製のフレームのピアノの奏でる淡く詩情豊かな音ではなく、大ホールいっぱいに広がる、輝くような音であり、豊かな残響でした。鉄のフレームの登場は、演奏者の表現だけではなく、聞き手の美感をもおおきく変えていきました。今日、私たちは明快で、くっきりとした音質と、輝かしいばかりの色彩感、そして力強い大音量を求めますが、これはまさに鉄のフレームのもたらした変革でした。
 鉄のフレームは、初期のバブコックの時代に始まり、その後の発展の中で、その形状やリブの渡し方などは大きく変化しました。その過程で単に構造を支えるだけではなく、低音域の共鳴を、リブを通して高音域に伝えるという発想も生まれてきます。ピアノのメーカーによってこのリブの形が少しずつ異なっておりますが、それぞれにピアノの響きを作る工夫が込められています。フレームの形も19世紀後半から20世紀にかけてさまざまでした。ベーゼンドルファーでは、鉄のフレームの形状を鋸状にした形も取り入れています。
 もろい鋳鉄を均一の厚さで製造するだけではなく、弦をとめるねじ穴やリブの一体製造する技術は19世紀においては最新技術であったに違いありません。この技術を支えたのが、近代の製鉄技術です。皮肉なことに、ピアノという人々に平安とくつろぎと芸術を提供する楽器を生み出す技術を提供したのは、鉄道のレールと大砲と軍艦を製造する鉄の科学でした。一言で言うと、軍需産業の先進国が鉄のフレームのピアノを先導していったのです。
 鉄は近代文化のバロメーターと言われます。同じように、ピアノの製造技術も近代産業のバロメーターでした。万国博覧会にこぞって各国が新型ピアノを出品し、鉄のフレームを競いました。アメリカで生み出された鉄のフレームを次に発展させたのはドイツのメーカーです。ドイツに次いで、鉄のフレームのピアノで躍進したのは日本です。日本は、オートバイや自動車の生産ラインの方式をピアノ製造に取り入れるだけではなく、エンジンで用いる鋳鉄の技術をピアノ製造の技術に応用して、より強い張りのあるフレームを開発しました。鉄に関する最新の技術が今日のなおピアノの製造を支えています。