ピティナ調査・研究

13 都市のピアノ音楽風土記  アメリカ  その3

ピアノの19世紀
1 マクダウェル  ヨーロッパ伝統の継承とアメリカ音楽のはざまで

ニューヨーク出身のマクダウェルは、その名前からも示唆されているようにイングランドの出身ではなく、父親はスコットランド系で、母親はアイルランド系です。彼は、ヨーロッパでの留学と演奏活動を通して、ヨーロッパの伝統をしっかりと継承しつつ、このアメリカの現実を作品に描き出しています。ピアノ作品の代表作、「森のスケッチ」(作品51)は、アメリカの東部地区の森の情景を描いた作品です。このタイトルにも示されているように、まさにマクダウェル版のシューマン「森の情景」です。「森のスケッチ」の第5曲は「インディアンの小屋から」と題された作品ですが、インディアンを題材にした作品としては、「組曲第2番 インディアン」(作品48)もあります。シューマンとの結びつきは、組曲「暖炉のお話」(作品61)にも見られます。
 彼はシューマンやメンデルスゾーンリストなどドイツロマン派及び、グリークを理想としていました。グリークに対する賛美は非常に強く、それは彼のピアノ協奏曲第1番に反映しています。ドイツロマン派への共感は、「ハイネの6つの詩」(作品31)にもっとも明瞭に示されています。彼はハイネの詩から6編を選んでピアノ小品集を作曲しました。初版では彼は原詩にちなんでドイツ語の題を掲載していました。今日の英語の題に改定したのは1901年の出版においてです。
 彼は、ニューヨーク出身ですが、東部地区のニュー・イングランドに対する強い親近性をもっていたと思われます。それは「ニュー・イングランドの牧歌」(作品62)と題された10曲の曲集に表現されています。古きヨーロッパの香りを伝えるこの地域は、長くヨーロッパに過ごした彼にとっては一種郷愁を覚えさせるものであったのでしょう。
この古きヨーロッパの伝統と香りはその後も継承されていきます。日本でも人気のある女性作曲家のエイミー・マーシー・チェニー・ビーチ(1867-1944)は、わずか4歳にして「作品1」を作曲するほどの神童です。ピアニストとしても比類ない才能を発揮しました。彼女はアメリカの古き良き倫理観を代表し、結婚後は演奏活動で報酬を得ることを断念を余儀なくされるが、作曲活動は続けている。彼女が音楽界でふたたび活動するのは、寡婦となってからである。ビーチは後期ドイツロマン派の表現を受け継ぎ、それは「ピアノ協奏曲」にも反映しています。ビーチの作曲したピアノ作品には、伝統的な19世紀ヨーロッパの表現を色濃く映し出しています。ビーチにおいては、アメリカ音楽という意識はあまりなかったと思います。アメリカ社会の上流階級はヨーロッパ以上にかたくなにヨーロッパの古い伝統を継承しようという意識が強く働いていました。それを支えたのは、地域性、出身国、経済格差、そして宗教でした。アメリカではカトリックは少数派です。ニュー・イングランドの地域性と、イギリス及びドイツの出身国、富裕階層、そしてプロテスタントが、アメリカの上流階層を形成し、そこでは20世紀に入っても19世紀ロマン主義音楽が脈々と営まれました。
その点、ユダヤ系ロシア人の移民で、貧困層が集まるニューヨークのハーレムに生まれ、大衆的な雑踏に育ったジョージ・ガーシュイン(1898-1937)は、ビーチ夫人とはまったく異なる社会環境にありました。ニューヨークの文化は、伝統的な古きイギリスの生活を継承しようとするニュー・イングランドとは別種です。ガーシュインの音楽は、ジャズを基調とし、20世紀前期のアメリカの大衆音楽の要素を融合した音楽で、豪華なシャンデリアのまたたく上流階級向けの演奏会場よりも、日々の聴衆の反応に最大の関心が払われました。彼の作品ではピアノ協奏曲である「ラプソディー・イン・ブルー」が有名ですが、ピアノ独奏曲も残しており、ピアノロールに録音した彼の演奏は目のさめるほどの躍動感にあふれた名演です。ガーシュインはアメリカの20世紀音楽の扉を開いた音楽家としてもっとも大きな存在です。