16 ノクターンとピアノ文化 フランス近代とノクターン その4
第9番以降が第3期の作品に当たり、20世紀には入ってからの作品です。第2期の第8番と第9番の間には6年の間があり、作風の変化が見られます。さらに第3期の5曲についても、第9番と第10番が1908年、第11番と第12番が1913-15年、第13番が1921年と、3つの時期に分かれて創作されています。
第9番と第10番では基本的に共通の創作傾向が見られる。その傾向の一つが、オルガンを思わせるバスのゆったりとした進行です。第10番では、第9番で見られたバスの重い動きがさらに強調され、このバスの進行に導かれるようにゆったりと作品は流れていきます。作品は第9番と同様、3部分から構成されていますが、これまでは長大であった中間部は短縮され、それに代わって主部の再現部が重きをなし、後ろ髪を引かれるように、たっぷりと主題の名残をかみ締めて締めくくります。再現部の分量は、作品全体の実に半分以上にも及びます。
第11番は第10番の5年後の作曲で、さらに作風は変化します。作品は4声体のコラールのような書法で書かれ、全体にメランコリックな雰囲気を強く漂わせています。この作品でも再現部がもっとも長いのが特徴です。第12番も第11番と同じような声部書法によっています。全体はABABAという5部分からなり、これまでの3部分形式とは異なる構成法を採っており、変ロ長調とホ短調が交代する構成です。
1921年、フォーレが亡くなる3年前に作曲された最後のノクターン、第13番もコラールを思わせる4声体の書法で書かれ、さらに書法は大きく変化し、オルガンの響きを思わせます。 第1番から第13番まで、フォーレのノクターンを見てきました。1875年頃に最初のノクターンを作曲してから、最後のノクターンを完成するまで、46年もの年月が経過しています。19世紀前期にフィールドが創始したノクターンは、ショパンを経て一つの様式化が完成されます。そして、ショパンの影響は多方面にフランスのピアノ音楽に及んでいきました。フォーレの一連の器楽作品は、誰の影響を土台にしているのかはなかなか難しい問題です。「ノクターン第1番」が作曲されたのは、「ヴァイオリン・ソナタ第1番」や「ピアノ四重奏曲第1番」と同じ1870年代後半ですが、ノクターンとヴァイオリン・ソナタ第1番の書法は必ずしも共通ではありません。フォーレがショパンのノクターンをそのまま継承したわけでもありません。フォーレのピアノ作品は、彼の恩師のサン=サーンスの表現とも異なっております。次に、フォーレとサン=サーンスとの往復書簡から、サン=サーンスによるフォーレのノクターン評を紹介します。
フォーレとサン=サーンスは数多くの手紙を交わしています。そのなかに少なからず、ノクターンについて触れています。そこからサン=サーンスがしばしばフォーレの和声や表現に戸惑っている様子もうかがえます。
「先日、君の熱狂的な支持者に出会いました。その人は君のすべての曲を買い行ったのです。それで今、彼から、君はショパンを超えている、という便りを受け取ったところです。・・・ロ長調の「夜想曲」にはこの上もなく魅了されました。そのうちレッスンをお願いしたいと思います。」
「『ヴァルス・カプリス第2番』、『舟歌第3番』、『舟歌第4番』、『即興曲第2番』、『夜想曲第4番』あなたがこれらの作品を演奏なさるとうかがってもう大喜びです。」
「夜想曲第6番」・・・を練習しているところです。とても下手なのですが、金曜日の午前中にあなたに聞いていただきたいと思っています。」
「『夜想曲第12番』についてですが、9ページのおしまいから2小節目の左手に間違いが一つあります。」
「『夜想曲』の9ページのおしまいから2小節目ではへ音の代わりに、実際は左手で嬰二音を続けなければならなかったのです。」