16 ノクターンとピアノ文化 19世紀を映す鏡としてのノクターン その5
フィールドのノクターン全16曲の作品を見ますと、1812年出版の第1番から第3番までと、1814年から1817年にかけて出版された第4番から第6番、第9番と第10番、1822年出版の第7番と第8番、1833年以降に出版の第11番から第16番に区分できます。これらの作品の編曲を見ると明らかなように、1810年代に出版された作品はさまざまに編曲されていますが、1822年以降の出版譜では編曲譜が少ないことがわかります。さらに、歌曲編曲のほかに、室内楽作品やピアノ協奏曲との結びつきを持ち、ジャンルを超えた多様な表現がこのノクターンに集約されていることが理解できます。つまり、ノクターンの魅力は、純粋にピアノ作品に自足するのではなく、ある部分は、「無言歌」に、ある部分はピアノ協奏曲の緩徐楽章に、ある部分は室内楽作品と共通の土台をもち、甘美に流れる旋律は人々の多様な需要と欲求を満足させるものであったといえます。
フィールドのノクターンがショパンやリストに深い感銘を与えたのは、初期の作品群であったと思われます。ショパンは、初期の第1番から第3番(作品9)ではフィールドからの影響を強く示していますが、第4?6番(作品15)ではすでにフィールドから離れて自身の独自の作風を展開していくようになります。
フィールドの影響は広範囲に及んでいます。彼の重要な弟子にグリンカがいました。グリンカの作曲した、「ノクターン《別れ》」は彼のピアノ作品の代表作ですが、はっきりとフィールドの表現を受けついでいます。フィールドの甘美な表現の上に、グリンカの重い叙情性が濃厚に表現され、この重いリリシズムはやがて、バラキレフのメランコリックでノスタルジックな「ノクターン」や、リムスキー=コルサコフのニ短調の「ノクターン」、チャイコフスキーの「ノクターン」(「ハプサールの思い出」の第3曲、「6つの小品」作品19の第4曲)、そして、ラフマニノフの初期のノクターンや、スクリャービンの「ノクターン」(作品5)などの作品に受け継がれていきます。
フィールドのノクターンは、一方においては後述のように、ショパンを通してフランス近代音楽におけるノクターン創作へと受け継がれるとともに、グリンカを通してロシアのピアノ創作に継承されていったのです。