ピティナ調査・研究

16 ノクターンとピアノ文化 19世紀を映す鏡としてのノクターン その4

ピアノの19世紀
2  ピアノ文化とノクターン
(2) フィールドのノクターンと、ピアノ協奏曲の第2楽章のピアノ独奏版(承前)

フィールドのこれらのピアノ協奏曲とピアノ独奏版との関連において、ピアノ独奏版が必ずしも編曲とは言い切れない側面もあります。つまり、協奏曲を作曲する際に、まずピアノ譜の形で作曲して、それにオーケストレーションを施すことは一般に行なわれていた作曲手法ですので、協奏曲の作曲に先立って、ピアノ独奏の形が先に成立していた可能性は考えられます。しかし、ピアノ独奏版の出版はオーケストラ版のセパレート・エディションとして行なわれていることから、ピアノ独奏版はオーケストラ版をもとに行なわれたと考えるのがふさわしいでしょう。
フィールドの開拓した協奏曲のこの書法、つまり、ピアノ独奏部分とオーケストラ・トゥッティ部分とを区分し、ピアノ独奏部分ではオーケストラは独奏の背景に退くという書法は、ショパンの二曲のピアノ協奏曲の書法とも共通です。また、未完に終わったピアノ協奏曲である「コンセール・アレグロ」(作品46)は、ショパンのピアノ協奏曲がどのような形で創作されているのかをよく示してくれます。この「コンセール・アレグロ」は、ピアノ協奏曲のために構想された作品で、現在出版されているピアノ独奏曲は、協奏曲にする以前のピアノ譜です。また同時に、この作品はいわばピアノ独奏用のセパレート・エディションとみなすこともできます。現在、この独奏曲をもとに、ピアノ協奏曲第3番の形に編曲された版も作られています。
フィールドのノクターンの創作において、ピアノ独奏曲とピアノ協奏曲が共通の土台をもっていることは、ショパンのピアノ作品の表現様式を考える上で示唆的です。ピアノ伴奏の部分には、オーケストラ的な深い音響性が意図されていたとすると、想像力が掻きたてられます。そのことを考えると、1829年秋から1830年初旬にかけて作曲されたショパンのピアノ協奏曲第2番の第3楽章の第2主題が、ショパンの「ノクターン第20番 嬰ハ短調」(KK.1Va-16、1830年作曲)に用いられていることも偶然ではないのです。

3 フィールドのノクターン全16曲
(1)フィールドのノクターン概観

さまざまな意味で、フィールドのノクターンはその後のこのジャンルを考える上で興味深い点が多々見られます。そこで、フィールドのノクターン全曲の作曲と出版年を列記し、併せて、各種の編曲も示します。

  • 第1番 Es dur Hp24 1812年出版(ノクターン第2番、パストラーレとともに「3つのロマンス」として)  歌曲編曲版 
  • 第2番 c moll Hp25 1812年出版(ノクターン第1番、パストラーレとともに「3つのロマンス」として)
  • 第3番 As dur Hp26 1812年出版
  • 第4番 A dur Hp36 1817年出版
  • 第5番 B dur Hp37  1817年出版 自筆譜には「セレナーデSeredande」と記載。歌曲編曲版、ギター、フルート、オーボエ、ホルン又はバスのための編曲版
  • 第6番 F dur Hp40 1817年出版 ピアノ協奏曲第2番第2楽章に使用
  • 第7番 C dur Hp45 1822年出版
  • 第8番 e moll Hp46 1822年出版 
  • 第9番 A dur Hp14 1814年出版 「パストラーレ」の題で出版。元来はピアノ五重奏曲「ディヴェルティメント第2番」の第1楽章で、この第1楽章のタイトルが「パストラーレ」。その後、「3つのロマンス」で独奏曲として出版
  • 第10番 Es dur Hp30 1815年出版 1835年刊行の楽譜で「ノクターン第10番」と命名。フィールドの与えた題ではない。原題は「ロマンス」 
  • 第11番 Es dur Hp56 1833年
  • 第12番 c moll  Hp58D  1834年出版 ピアノ協奏曲第7番第2楽章のセパレート・エディション
  • 第13番 d moll Hp59 1834年出版
  • 第14番  c moll Hp60 1836年出版
  • 第15番  c moll Hp61 1836年出版
  • 第16番  F dur Hp62 1836年出版 初版はピアノ五重奏版として刊行、1869年に「ノクターン第18番」として独奏版が出版