17 音楽学校の誕生―ライプツィヒ音楽院の誕生の意味 その1
19世紀はピアノの時代でした。上級市民とされた階級を中心にピアノ教育が良家の子女の重要な教養とみなされ、またピアノを所有することが高いステイタスを象徴するものとされたことから、ピアノ教育は特別な意味をもつようになります。それはフランスにおいてもドイツにおいても、イギリスにおいても同様でした。その意味において、ピアノは19世紀近代社会の縮図と言っても過言ではありません。
ピアノが普及してきますと求められてくるのが教育機関です。貴族の子女は高額なレッスンを料金を支払って個人教授を委嘱するのが一般的で、その個人教授はサロンに出入りする音楽家が担いました。そのもっとも有名な人物がショパンです。大富豪のロスチャイルド男爵家に見出されたショパンは、同男爵家を通して多くの個人レッスンの生徒を高額なレッスン料で教えました。しかし、中産階級の人々はむしろ音楽学校での教育を求めるようになります。
ドイツを例に取ると、音楽学校の開設は比較的早くから起こっており、1804年にヴュルツブルクにアカデミーが開設されております。1810年に起草された音楽学校の教育プランによりますと、男女別学で、しかも別カリキュラムによる指導が盛り込まれていました。19世紀前期の音楽学校では、女生徒の場合の音楽の指導は専攻実技のレッスンが主体で、その他の音楽科目や室内楽などの指導は含まれていません。
男子生徒
第1クラス(5―10歳)
音階、ソルフェージュ、簡単な歌唱 1~2声、音程や主要和音の詳しい知識
楽譜の知識、記譜法、リズム、音部記号(ソプラノ、ヴァイオリン、バス)
ピアノ 一日3時間。 ヴァイオリン 一日三時間。 その他の楽器 一日三時間
第2クラス(10―15歳)
その他の音部記号、その他の和音、4声の知識
ピアノ、ヴァイオリン、その他の楽器(ヴィオラ、フルート、ホルン)一日三時間
第3クラス(13―16歳)
複雑な合唱曲、音響学、音楽史の知識、スコアの読み方、ピアノを使った指揮の練習、指揮のために必要な楽器や記譜の知識、作曲、楽器の練習
女子生徒
歌唱とピアノに合計2時間
女子教育において音楽は数少ない教養の一つでしたが、それでも歌唱とピアノに限られ、しかも高度な教育は求められていません。それに対して男子生徒では楽典やソルフェージュなどの教育が行われており、楽器の練習時間も格段に求められています。しかし、このような総合的な教育はなかなか実施が困難で、現実には専攻楽器だけの指導に必要な楽典などの知識を与えるのが現状でした。
音楽学校は広い意味での職業訓練学校としての色彩をもっていました。というのは、音楽教育は、教会の付属学校で行われるか、「町楽師」のもとで徒弟の形で行われるのが通例でした。しかし、教会はもっぱら声楽教育さらにはオルガン教育ですし、「町楽師」のもとでは管楽器の指導が主で、学校でピアノ教育を施すのは、上記とは異なる教育環境を背景としています。というのは、伝統的にピアノ教育は、優れた教師のもとでの個人教授が主体であり、その原則は今日まで変わらないからです。この個人教授ではなく学校組織の中でピアノを学ぶ背景には、裕福な中産階級の子女の教養教育という側面が考えられます。
そしてその次の段階として、実技だけを教えるのではなく、楽典やソルフェージュを含めた多角的な音楽教育の必要性が求められるようになりました。上記の1810年の学校開設プランはそうした総合音楽教育の発想を背景にしています。