舞曲(スティリー風タランテラ)
ドビュッシーの作品にはあまり精力的なエネルギーを感じさせる音楽がないと思われているかもしれませんが、この作品のように、素晴らしい推進力と静寂のコントラストをもった作品がいくつかあります。この作品は1890年に作曲されましたが、この14年後に、隠れた傑作「仮面」が作曲されます。これら2曲はスタイルがとても似ています。「仮面」に比べ、この舞曲は響きにおいてより親しみやすく、日本ではあまり演奏されていないように思いますが、ラヴェルがドビュッシーの死後にこの作品を管弦楽用に編曲していることを考えると、ヨーロッパでは結構有名な作品であるようです。演奏効果がとても高く、初期の作品の中ではもっと演奏されてもよい作品だと思います。
拍子は8分の6拍子と4分の3拍子が頻繁に交替します。これがシンコペーションの効果を生み出し、素晴らしい推進力につながります。そもそも、ドビュッシーの作 品の素晴らしさとして、和声や響きの美しさを語ることが多いですが、リズムの多様さもまた素晴らしいのです。また、中間部分は前後と同じテンポですが、音価が長くなることでとても滑らかで息の長い、静寂な音楽が生み出されます。
まず、テンポとリズムがとても正確であることが肝要です。跳躍したり弾きにくかったりすることでテンポを崩すことは絶対に避けなければいけません。もちろん、カデンツや転調があるときは、自然なルバートはかかりますが。
大きく見れば、急緩急の3部形式で、前半の急の部分は更にABAの3分形式になっていて、後半の急の部分は前半のBが省略されています。また、中間部分の緩の部分は、静寂なイントロのあとに息の長い美しい歌が歌われます。
前半の1‐61小節を見てみましょう。
最初の12小節はE-durで、旋律は左手で歌われます。途中、5‐7小節に、III、VI、借用のIII和音などがありますが、ほぼ普通の和声進行です。第1小節にもある通り、ピアニシモでとても軽く演奏されるべきです。「版画」の「雨の庭」と同様に、音量を落とすことはとても難しいですが、ニュアンスがピアニシモであるということを大切にしたいところです。理由は、大きく見ると、51小節まで、ほぼ単調増加で音楽が盛り上がり、それを効果的に表現する必要があるからです。12小節でIII和音になったあと、異名同音的転調で13小節ではAs-durに転調します。13‐20小節では、バスがV音のオルゲルプンクトで、13、14、17、18小節はソプラノにも同じオルゲルプンクトがあります。和声的にはとても単純です。この4小節の右手のメロディー、すなわち、c h ais h c h ais hのラインは、特に最初のcを響かせる ことがとても困難です。ソプラノのesにかき消されないようにさりげなく聞こえるように演奏したいところです。13‐16小節は、最初の2小節は1小節単位で冒頭にアクセントがあり、15、16小節では小さなカデンツで抑揚がありますから、これらの歌い方を区別するべきです。なお、ここはフラット系の響きですから、その後の盛り上がりを考えて、落ち着いた響きにするべきです。21小節からはその前の8小節と同様の繰り返しです。しかし、調は、異名同音的転調をしてH-durになっていますから、音量は同じピアノと書かれていますが、より明るい響きで演奏するべきです。 29‐35小節はソプラノとバスのラインが反行形になっていますから、これのニュ アンスを表現するために強弱の指示があると考えるべきです。一般に、両外声が広がるとクレッシェンドし、狭まるとディミヌエンドします。また、バスのラインは教会 旋法的です。32小節では借用のVI和音を使っていますから、そのためのsubito PP だと考えれば良いでしょう。ピアニシモの中でも左手の最後の4分音符は小さなアクセントを付けてリズムの面白さを出したいところです。33‐35小節では縮節にな っています。36‐42小節は借用のVI和音の調、すなわち一時的にG-durに転調して いますが、ここでも37小節の下段のcisを見ればわかるように教会旋法的です。39小節はsubitoでフォルテですが、これはあくまでもピアノのニュアンスの中であって、あまり大げさでない方が良いでしょう。44小節からは冒頭のテーマが右手オク ターブで初めて元気よく歌われますしかし、フォルティシモは51小節からですので、この部分はあまり強く弾かないようにするべきです。そもそも、左手は厚い和音の連打ですから、これを押さえないと右のメロディーが消えてしまいます。また、全体に音が厚いので、強く弾こうとしなくても十分フォルテになります。この左手の和音の連打では、変化する声部、すなわち、gis→aのラインを浮き上がらせて表現すると良いでしょう。51‐54小節では、52小節の2拍目、54小節の2拍目が、それまでのgisの響きから借用のgの響きに変わるため、sfz がついていますが、これは強く弾くというよりはテヌートがかかっていると考えた方がいいでしょう。このgisとg のラインを意識すると左手の困難なパッセージが楽に弾けるようになると思います。 55‐58小節ではgisとaの響きがトニックとドミナントの交替で1拍ごとに交替さ れるべきです。ここはずっとフォルティシモで、dim. が始まるのは59小節からであることに注意したいところです。61小節の左手は、それまでのeの連打とは違ってフレーズを新しく始めるべきです。
62小節からは前半部分の中間部分と考えられます。62‐69小節はcis-mollでV音のオルゲルプンクトの連打が続きます。右手の和音は軽く、そして一番上の音をラインとしてつなげると良いでしょう。70‐77小節はgis-mollになり、その前に比べてラインがより滑らかになっていますから、そのコントラストをさりげなく出すと良いでしょう。また、バスのラインとソプラノのラインが反行形になっているので、それに応じて細かい強弱の揺らぎをつけると自然なフレーズ感が得られると思います。77小節の f は、そても乾いた、硬質な音で、その後のsubito p と明確なコントラストをつけたいところです。79‐95小節は、62‐78小節の5度上の繰り返しです。少し明るめに表現すると良いでしょう。なお、これら2つの部分を比較すると、アクセントや強弱が微妙に異なります。この違いを音楽的にすべて説明するのはとても難しく、また、どこまで正確に記譜されているのかわからない部分もあり、判断に苦しみます。これは「仮面」にも見受けられる問題です。ドビュッシーは晩年の作品については、とても記譜にこだわっていますが、それ以前の作品についてはわかりかねる部分が多いと思います。94小節の2拍目はsubito pp です。しかし、96小節で更にsubito ppp なのであまりここで弱くしすぎない方が良いでしょう。また、ここではdis-mollから異名同音的転調でes-moll、そしてEs-durに転調しています。これはフラット系なので、このPPP は音色が一気に曇ったと考えても良いでしょう。
96‐111小節は音楽的には前半の最も静かな部分です。和声的にははっきりとしたカデンツを避け、I、III、IIの和音の交替とメロディーのうねり、そしてバスのオルゲルプンクトが素材の中心です。104‐111小節では、上段のcesのオルゲルプンクトが加わりますが、その上の2声部が反進行しています。下のラインはes dの交替による揺らぎですから、これをソプラノのラインとあわせて微妙な強弱で表現すると美しくなります。
112小節ではA-durに転調します。ここで光が差し込んで暖かくなった感じを表現したいところです。音楽的にはその前の部分と同じですが、132小節に向かって徐々に盛り上げていきます。しかし、piu cresc. やmolto cresc. をしすぎないようにしないと頂点にいく前に強くなり過ぎてしまいます。120小節ではまだピアノ、124小節では一旦ピアノに落とし、128小節ではまだmf 程度でそれから一気にクレッシェンドすると良いかもしれません。
132‐142小節は冒頭の再現ですが、ここではffでとても精力的に演奏するべきです。ただし、140小節では、一度mf 程度に音量を落とし頂点の151小節に至るまで、先ほどの部分と同様に音量を計画的に増やすべきでしょう。特に140小節ではバスがオクターブになるので、とても押さえた感じにしてちょうど良いくらいだと思います。147小節からは51小節からの部分とほぼ同じです。151小節からは同じ繰り返しが続きますが、単調に弱くするのではなく、トニックとドミナントの揺らぎを表現しながら弱くすると良いでしょう。
159小節からは中間部分です。速度は変わりませんが、音価が長くなるためにとてもゆっくりした楽想になり、コントラストが明白です。こういう部分ではテンポを揺らすと長い音符がどういう長さかわからなくなるので、テンポを変えずに揺らぎと立体感をもって表現すると良いでしょう。1小節を1拍と数えた4拍子と考えても良いでしょう。163‐166小節のように、長い音符の保続に分散和音と短い和音が高音部分で同時に鳴っている部分ですが、ここは長い音符が常に響いていて、その響きの上に細かい音符が鳴っているように演奏するべきです。159‐170小節はfis-mollで、トニックには解決せずに171‐178小節でE-durに転調します。ここでは突然明るくなったように音色を変えるべきですが、175小節では借用のドミナ ントなのでまた曇った響きにするべきです。ここでもトニックに解決せずに179‐182小節はG-durのドミナント、183‐186小節はh-mollのドミナントというように、ここでは異なる調のドミナントが連結されて、その度に音色を変えていきます。同じ繰り返しが194小節まで起こり、195‐202小節ではG-durで中間部分としては初めてトニックに解決します。それにあわせて強弱の変化の指示があります。しかし、227‐234小節の方ではH-durで、ここの部分よりもより響きが明るいですから、頂点の200小節はmf 程度にしておいた方が良いでしょう。203‐206小節はe-mollでII和音とドミナントの揺れがあり、偽終止しながらG-durに転調して179小節からの部分が再現されます。今度は伴奏部分がトレモロからアルペジオに変わっています。ここでもメロディーのラインを消さないようにアルペジオを多層的に響かせるべきです。215小節はh-mollのV9和音(根音省略)で183小節より 強い和音ですから、バスのgはその前のfisからの流れをつけて強調するべきでしょう。同様の繰り返しが起こった後、227小節からは195小節からの部分の同主調、H-durですから、とても明るく表現します。内声部分のタイの有無など、違いをよく考えて表現したいところです。235小節からはG-durに転調しますが、ここではsubito p でニュアンスを突然変えると効果的です。239小節は再現部へ向かうス タートなので、十分音量を落とすべきです。ここからの部分も、D-dur、fis-moll、 E-durなどのドミナントが交替してトニックに解決せずに再現部へのエネルギーをためていきます。また、中間部分ではずっと8分の6拍子だったのですが、前半部分の拍子交替、すなわち、4分の3拍子が251~254小節、259‐266小節の部分に突然現れます。テヌートがついているのは当然です。また、拍子の交替ではスラーがかかっている部分とそうでない部分が交替しますから、そのニュアンスの差もしっ かりとつけたいところです。なお、263小節からはさらに盛り上がりを見せるためにテヌートがアクセントに書き換えられています。通常はこのまま盛り上がって271小節の再現部になだれ込むのですが、それをあえて避けてrit. をかけ、しかも271小節ではpp で再現しています。こういう部分はドイツ音楽的な表現と全く異なります。271小節からは1~53小節とほぼ同じ再現ですが、一部302小節にアクセントが抜けていたりするなど、微妙に異なる部分があります。ここをどうするかは奏者にゆだねられると思います。最後への盛り上がりを考えると、314小節はmp 程度の意識でちょうどよいかもしれません。325小節からは指示通りに弾くとアラルガンドの効果が現れますから、ここではリタルダンドはしない方が良いでしょう。
329小節からの部分は、ペダルを短く使って歯切れよく終わると良いと思います。
とてもドライブ感のある傑作だと思います。