ピティナ調査・研究

ボヘミア舞曲

ドビュッシー探求
ボヘミア舞曲
2m27s/YouTube

 この作品は、ドビュッシー(1862-1918)が18歳のとき、パリ音楽院の学生であった頃の作品で、生前は出版されなかった作品です。ドビュッシーの作品としては、現存する最も若い頃の作品です。ドビュッシーは、より成熟した1890年頃までに多くのピアノ作品を書いていますが、出版社に出版の差し止めを頼んだりしている作品はとても多いのです。例えば、あの美しい「夢想」ですら。従って、この作品が日の目を見ることに、天国のドビュッシーはとてもいらついているかもしれません。

 確かに、この作品を聴いて、ドビュッシーの作品であると認識することは困難です。ロマン派後期の、「タイスの瞑想曲」で有名なマスネーなどの影響を受けていると言われています。また、この頃、ドビュッシーはナジェダ・フォン・メック夫人という、チャイコフスキーへの有名なパトロンに援助されていましたが、そのチャイコフスキーにその未熟さを酷評された作品です。ここまで書くと、とてもひどい作品に思われるかもしれませんが、私はチャーミングでとても好きな作品です。もちろん、 晩年のドビュッシーの、森羅万象のすべてを音で表現している世界とはかけ離れていますが、初期のドビュッシーの作品には、みずみずしく、ワーグナーのような重さのない、水菓子のようなロマンティシズムがあります。初期の作品群では、1990年頃に書かれた「2つのアラベスク」や「夢想」などがとても有名ですが、他の初期の作品も魅力的で、もっと演奏されても良いのではないかと思います。

 
演奏上の問題について

 この作品はh-mollで書かれています。最初の4小節をみてみましょう。この間、ずっとI音のオルゲルプンクトがリズムを舞曲的なリズムと同期して鳴り続けています。第1小節はトニックですが、第2小節は、ドミナントとしての性格がとても薄められています。それは、この和音をV9の根音省略形と考えると、導音aisが欠落しているからです。また、オルゲルプンクトのhを和声音として加えると、II7和音やIV6和音と考えることもできるでしょう。つまり、ドミナントとサブドミナントの間の子のような和音ですからはっきりしないわけです。ドビュッシーが後に、ドミナントモー ションをことごとく避けて作曲していくことを考えると、この部分ですら、既にその価値観が芽生えていると思うのは私だけでしょうか。3、4小節は1、2小節の繰り返しです。こういう、単純な繰り返しは、晩年のドビュッシーにはほとんどありませ ん。演奏としては、1、3小節を強い踊りのリズムで、2、4小節を滑らかな質感にして1小節ごとを対比すると良いでしょう。5~8小節はfis-mollに転調しますが、7、8小節でFis-durになることで、1~8小節のフレーズの終わりに暖かさと明るさをもたせています。また、5~8小節では、5小節目上段の1拍目ウラから始まるリズム動機d e fisが6小節では下段、7小節では上段と下段、8小節では下段に現れ、対位法的に扱われていますから、バッハの作品を弾くのと同様の表現にするべきです。

 このように、1~8小節だけでも、結構凝った作品であることがわかります。

 9~12小節は1~4小節の繰り返しですが、強弱の指示が異なります。より活発に演奏するべきです。13、14小節はII7和音で少しピアニスティックです。ここの 16分音符はきれいにdim.をかけなければいけません。私は14小節の2拍目とその ウラの8分音符はフレーズとしては切ります。そのためにmf の指定があると考えています。この16分音符のパッセージを滑らかに演奏するには、なるべくポジション移動がない方が良いでしょう。指使いは、たとえば、上段なら、cis gis、h e、gis cis、e h、gis cisの和音の順に、2 5、2 4、1 3、1 2、1 3とし、下段はe hの和音から順に、2 1、3 1、4 2、5 3、2 1とするのが一案です。14小節2拍目ウラから16 小節にかけては、第1主題の楽節の終わりではっきりしたカデンツがありますから、しっかりとフレーズを閉じます。しかし、ここでも、ドビュッシーは後年がそうであるように、過度なロマンティシズムを嫌っているように見えます。スタッカートで和音を切ることで和音の連結を弱め、しかも、dim. をつけていないからです。

 17小節からは2つ目の主題が17~24小節は中声部、25~32小節は上声部に現れます。和声はとても単純です。歌として注意するべきことは、古典派までの様式感に則り、これら2回の歌い回しを同じようにすることです。具体的には、17~18小節のh gの連結と、21~22小節のh hの連結は、前者より後者の方が音程が広いので少したっぷり歌うことなどです。この部分はとても演奏が難しいところです。たとえば、17小節のバスのfis、hよりも、上声部の拍ウラの後打和音の方が弱く弾かれなければいけませんし、それぞれの部分で和声の変化を表現しなければいけないからです。演奏上、拍をしっかりと守ってメロディーを演奏するために、いくつ か提案があります。20小節の最初のdを右手でとることは悪いことではありません。 同様に、23小節2拍目のais hのトリルと24小節下段最初のhは右で、23小節上 段最後の和音と24小節上段最初の和音は左でとることもアイデアとしてあって良いと思います。25から29小節の右手のメロディーを音楽的に滑らかに演奏するために、上段ウラ拍の和音はすべて左でとってもよいでしょう。これによって、過度なペダルの使用が必要なくなります。30小節の右のウラ拍の和音h cisは、hを左、cisを右でとると良いでしょう。ここでも、17小節からの部分はpで、25小節からの部分はmf になっていますから、しっかりと音量の段差をつけるべきです。それを守りつつ、この2回のフレーズの繰り返しでは、メロディーとバスラインと和音の響きのバランスが同じように交換するべきです。こういう部分にはバッハの作品などを演奏するときに必要な表現が要求されています。

 32小節2拍目からはG-durに転調します。h-mollのVI度調ですから、それまでよりも少し落ち着いたニュアンスで演奏するべきです。私は37小節のmf と整合性をもたせるためにも、この部分の音量をsubitoでp にしています。ここから中間部が始まります。より活発な音楽になるために、33~44小節では、それまで拍ごとにあったバスラインが消滅し、後打の和音だけになることで不安定さを表し、音楽が盛り上がっていきます。33~40小節では、メロディーだけにならず、上段の和音の変化も表現するべきです。41~45小節では、初めて縮節が用いられていることと、2小節ごとにG-dur→A-dur→H-durと2つずつシャープを増やして転調していくことから、クレッシェンドとアッチェレランドに加え、音色も徐々に明るくしていくべきです。45~60小節では、33~40小節の変奏です。8小節ごとに同じように繰り返される楽節ですが、前半がmf、後半がf となっていますから、違いをしっかりと出すべきです。これまで同様に、メロディー、バスライン、和音の響きのバランスに注意をはらい、和音の変化のなかにある隠れたラインも表現するとよいでしょう。例えば50~52小節の下段の和音の中には、cis ais h his cis eのラインがあり、これが上段とほぼ反行して収束していくことでdim. が効果的に表現できます。56~58小節のバスに現れるリズム動機も大切に表現するべきです。40~60小節は、バスにhのオルゲルプンクトがあることにも気を配りましょう。

 さて、60小節までの部分で面白い特徴があります。それは、同じような楽節を2回繰り返すとき、普通は2回目がエコーとなり、2回目をより弱く演奏するべきです が、1~16小節、17~32小節、45~60小節ではいずれも逆で、2回目の方が強く演奏するようになっています。しかし、61小節からは、同じ繰り返しでは2回目をエコーとして弱く演奏するようになっています。こういう部分にも工夫がみられます。

 61~70小節は再現部への橋渡しです。61~64小節はfisを主音とした教会旋法で少ししまらない感じを表現します。キーになるのはaの響きでしょうか。また、今述べた初めてのエコーをしっかりと表現します。65~70小節は分散和音で上行したあと、3和音の第1展開形が半音ずつおりてきています。和音のずれとして表現したい部分です。

 71小節のアウフタクトから冒頭と同じh-mollで再現部ですが、ここははっきりとf で表現する指示になっています。指示がなければmpで表現してしまいそうですが、これは、最後に弱奏で効果的に終わるための措置でしょう。71~78小節は音量の指示を除けば1~8小節とまったく同じです。

 79小節からコーダになります。79~85小節は、II7和音とVI和音の揺れで解決を延引しています。強弱、速度指示など、ドビュッシーが書いてある通りに演奏すると滑らかに減衰するニュアンスが表現できます。85小節後半から87小節では、カデンツをていねいに表現するべきです。面白いことに、87小節からはIV和音とI和音の交替で、しかも最後はhとfisを連結しているだけで和音がありません。つまり、曲の最後に明白なカデンツをもってきていないのです。消えるように終わりたいから でしょうか。こういう部分にも、後年のドビュッシーの趣味が垣間見れます。