前奏曲集第2巻より第9曲「ピックウィック卿を讃えて」
バスに何の前触れもなく、イギリス国歌が現れて始まるこの作品は、チャールズ・ディケンズの小説「ピックウィックペーパーズ」の主人公、ピックウィック卿のイメージを題材としています。ここでの音楽的描写は、とてもコミカルで気まぐれです。そういう意味では、この曲集の第6曲「風変わりなラヴィーヌ将軍」と通じるものがあります。しかも、偶然かどうかわかりませんが2曲ともヘ長調です。イギリスの、中途半端にスノッブな老紳士で、自分にとても自信があって、しかし、気分がすぐに変わってしまう、そういうイメージが根底にあると思います。だから、堂々として尊大な部分もあれば、やさしさに溢れた部分もあり、また、突然怒りだしたり、しかし、実は怒った自分が悪いと反省したり、そういう人物を風刺的に表現したものではないでしょうか。
中身の濃さという意味では、例えばこの曲集の第7曲「月光の降りそそぐ謁見のテラス」などには比較するまでもありませんが、ユーモラスさはドビュッシー特有のものです。
まず、各部分のキャラクターを明確にして、その差を表現しなければいけないでしょう。
冒頭のイギリス国歌の現れる部分から始まる11小節までをみてみましょう。
冒頭の4小節はヘ長調で、右手と左手はほぼ反行形で進行しています。ここまではとても元気で堂々として自信に満ちあふれているように演奏すれば良いでしょう。しかし、5小節で突然ニ短調になり、何かを思い出したかのように、急激に元気がなくなります。しかし、6~8小節では、ハ長調に変わり、また冒頭の堂々とした状態に戻ろうとします。しかし、9~11小節で、「愛想良く」優しい性格に変わり、ヘ長調の中で何かをうなずきながら確かめるような仕草をします。そして11小節の終わりから14小節まで、長いドミナントが続き、付点リズムとともに動きが増えてきます。そして15小節では、なんと、珍しいことに、トニックに解決します。このあたりの付点音符は、軽やかに、ちょっとスキップをしながら歩いているような感じです。この推移部が20小節まで続き、後半で大きなクレッシェンドをして、21小節でまた、冒頭の尊大な状態に戻ります。ここのハ長調の部分は、フォルテであって、 フォルティシモではありません。ダメを押すかのように、24小節からはフォルティシモで自信たっぷりに歌います。しかし、26小節からは、5、6小節のようにまた元気をなくします。この2小節はどちらも同じ音量の指示ですが、最初はニ短調、次はハ短調のように聞こえますから、2回目の方がより曇った感じにした方が効果的だと思います。
28小節の後半から、また徐々に元気を取り戻し、またスキップを表す付点リズムが始まります。そういえば、第6曲の「風変わりなラヴィーヌ将軍」でも付点リズムは盛り上がるときに用いられていましたね。前半部分の付点リズムの終点は、冒頭と同じ尊大な雰囲気でしたが、ここでは、37~40小節で、付点リズムの動機が金切り声のようになって、ドビュッシーとしては珍しく、40小節ではフォルティシモか らのクレッシェンドとアッチェレランドになってヒステリックになります。しかし、 突然、41小節で沈黙が訪れ、9~11小節と同様に「愛想良く」優しい人柄に戻り ます。9~11小節では悩みながら納得するような曲想ですが、41~43小節では深く納得するような曲想になっています。その違いが細かい強弱の指示に現れているように思います。
44小節からは、「遠くの方で」「軽やかに」無伴奏で、まるでフルートの独奏のような感じの楽しそうなメロディーがニ長調で流れます。ここはリズムも音型も、まったく前後と関係がないような感じで挿入されているように思います。それが46小節の後半で突如ヘ長調のドミナントになり、スフォルツァンドで打ち切られます。
48小節からはコーダですが、付点リズムは2倍に拡大され、しかもさらにゆっくりとなります。付点リズムの動機のもつ性格、そして26小節後半からの部分の性格 が、冒頭の堂々とした性格に歩み寄って融合し、最後は、冒頭と同じ、尊大な雰囲気で曲を終わります。