前奏曲集第2巻より第10曲 「カノープ」
これまで何度となく述べてきたことですが、ドビュッシーは風景画としての音楽を考えていなかったことが、この作品の表す音楽とその名前でよくわかります。カノー プは、カノープスとも呼びます。カノープスは、天文が好きな人は必ず知っている、竜骨座のα星です。全天で、おおいぬ座のシリウスの次に明るい星です。日本では南のとても低い空にしか現れないのでそれほど有名ではありません。このカノープは、神話の世界では、水先案内人を表していましたが、その埋葬先の町にで崇拝されていたオシリス神の像が、古代エジプトのミーラ用のつぼの形と似ていたために、このミーラ用のつぼをカノープと言うようになったようです。このミーラ用のつぼは、インターネットで検索すれば結構簡単に見ることができます。つぼは、ミーラを作る際、心臓を除く臓器をすべて取り除くのですが、それをしまい、ミーラとともに埋葬するために用いられました。
このつぼを曲名にしたドビュッシーは、当然のことながら、つぼ自体を音楽にしたのではありません。つぼから喚起される様々な印象を音楽にしたのだと思います。例えば、死の静かな世界、深い悲しみ、ピラミッドなどの人の気配のない墓の静けさ、 葬儀の厳かな雰囲気、夜の静寂、霊の復活などでしょうか。
とても深い音楽で、第9曲の雰囲気とは正反対のものです。
冒頭に「非常に静かに、そして、穏やかで哀しげに」とあります。最初の4小節は、厳かな雰囲気で祈りと葬儀の行進を感じさせます。どこか教会音楽の平行オルガヌム的です。冒頭はニ短調ですが、教会旋法(エオリア旋法)のようにも感じます。 また、さまざまな調を感じることができます。例えば、最初の2つの和音でイ短調を感じることもあるでしょう。和音は、カデンツを感じさせる部分はありません。2つ目から4つ目までの和音は3度ずつ上行し、5つ目から7つ目までは4度ずつ上行し ています。これによって2小節目の後半はより一層高揚した感じを与えますが、ドビュッシーはクレッシェンドを書いていません。これは27小節と区別するべきです。 何しろ、押さえた表現が必要なのでしょう。葬儀に力強い歌は必要ないからかもしれません。3小節の上段は相変わらずニ短調のままですが、下段のg→cは、ヘ長調のII→Vの根音で、これがヘ長調のカデンツを感じさせ、一瞬救いというか、明るさを感じさせます。それがsubito Pで表現されていて、しかも、下段の音にテヌートがつけられている理由の一つでしょうか。4小節2拍目から4拍目までは下に半ずれして変ニ短調になっていて、ドッペルドミナント、V、+IVと進行し、5小節で元のニ短調に戻ります。この一瞬のフラット系の転調はとてもコントラストがあります。前後の部分と明確に音色を曇らせて演奏するべきだと思います。その指示がpiu Pとcedezで表 現されていると思います。いずれにしても、4小節目4拍目と5小節目の最初は、一種のサブドミナント進行のようです。
ただの単純な和音の進行で、初見で弾けてしまいそうですが、この4小節の意味はとても深く、複雑です。5、6小節は、ニ短調のI和音の響きの中に、低音部で冒頭の モチーフがユニゾンで現れます。当然、この全音符で書かれた和音の響きと低音部分 のユニゾンは多声的に響くべきです。ここまでの部分は、最初の4小節が葬儀の行進をする女性達の合唱、5、6小節が弔う僧侶達の合唱のように聞こえることもあるでしょう。1~4小節の部分のうち、3小節目の冒頭までの部分を繰り返した後、、突如ト短調のドミナント和音が出てくるのが7小節1拍目ウラです。
7~8小節の上段は、dの半音階的刺繍音のようで、一種のレチタチーヴォのように感じられます。同音反復によって作られる自然な推進力と、一種の倚音である、8小 節2拍目の2分音符によって流れがせき止められる、そういったフレーズの繊細な表現が求められます。ここでも中段、下段の和音の響きの中で上段のレチタティーヴォは歌われるべきです。しかし、8小節目の2拍目からは和音の響きを消した方が良いでしょう。同様の繰り返しが9、10小節で現れますが、11小節でト短調のトニックに向かうために、7、8小節とは異なる強弱の指示があります。また、レチタティーヴォはユニゾンに変化しています。普通に演奏しても音が増えたわけですから、 7、8小節目に比べて、不必要に大きくなりすぎないようにしなければいけないと思います。
11小節ではト短調、12小節ではト長調の響きになっています。この和音の明暗をはっきりと表現しなければいけないでしょう。11小節では、メロディーは表面的にはト短調のI和音のbに向かうように見えますが、bはあまり響かず、つまり、bに上って安定することなく、揺れるように力なく落ちて12小節のdに収束します。そこからまた上昇しようとしますが、13小節では突然、変ホ長調の柔らかく曇った響きに なって14小節ではハ長調に落ち着くように感じます。しかし、ここからは変ロ長調 でドッペルドミナントとドミナントの交替のようにも思われます。ここの部分は、下段の和音の響きと上段の和音の響きの中に中段のモチーフの断片が響くようにしなければならず、とても多声的に演奏することが要求されます。また2拍ごとに色の違いも明確に出す必要があると思います。
17小節では変ロ長調のトニックのようですが、付加音と4度和音の重ね合わせによってそのニュアンスは希薄です。ここでも、4分音符が4つあるのではなく、2分音符の和音の響きの中に4分音符があることに注意して、多層的に響くように心がけるべきです。18小節は偶成和音のようですが、一種の揺れなので少しテヌートをかけたしっかりした響きで全音符を弾き、その響きの中に下段のaと上段のaを配置するようにしたいところです。19小節ではsubitoでppになって同じ繰り返しがおこるように見せかけて20小節ではハ短調の響きになり、18小節に比べ、一層暗い影を感じさせ、その響きの中で前に出てきたレチタティーヴォが23小節まで繰り返されます。ここも同じ繰り返しにはなっていませんから弾き分ける必要があります。24、25小節ではハ短調のVI的な和音ですが、これは26小節から始まるニ短調のV和音の下半ずれだと考えられます。軽やかな32分音符と遠くの方で鳴っているような4拍目のオクターブ和音を綺麗に引き分けたいところです。この32分音符は、楽譜に書かれている通りの手の配分でディミヌエンドが表現しにくければ、最初の5音を右手、最後の3音を左手で演奏するなど、最適の配分にしなおしても良いかもしれません。
26小節からは冒頭のテーマの再現です。音が厚くなり、音域が高いところにあります。今度は、半ずれが3つ目の小節、すなわち28小節に起こりますから、そのコントラストとして27小節にクレッシェンドの指示があると考えられます。冒頭とは異なる表現にするべきです。29小節の終わりでは、結局、ハ長調に収束して静かに終わるように書かれています。30小節からはハ長調を感じさせますが、中段が5度重ねの和音になっていることなどから、とても神秘的で深遠なニュアンスになっています。前奏曲集第1巻の第10曲「沈める寺」も同様の和音が随所に見られます。その響きの中で、「とても柔らかく、とても表情豊かに」そしてとても細く繊細な響き で11小節からの部分と同じフレーズを2回歌います。当然、2回目は音量というよ りも音色をさらに柔らかく変えて演奏するべきです。「表情豊かに」と書いてありますが、過度にロマンティックに弾くことは避けるべきでしょう。32~33小節にかけては、上段のeの音が34小節のdに収束するように、33小節で中段の和音を、音を鳴らさずに押さえ直し、ペダルをゆっくりと上げて上段の響きを中段の響きに収束させると良いかもしれません。
どんなに指を速く動かす練習をしても、この作品を演奏するのにはほとんど役に立ちません。可能な限り鋭敏な耳と感性、そして脱力した腕が要求されます。