ピティナ調査・研究

前奏曲集第2巻より第8曲「水の精」

ドビュッシー探求
前奏曲集第2巻より第8曲「水の精」
4m04s/YouTube

 ピアノ曲の同名の作品として、フランス近代の大作曲家、ラヴェル「夜のガスパール」第1曲があります。演奏機会はラヴェルの方が多いように思われます。ラヴェルの方の「水の精」は、アロイジウス・ベルトランという詩人の書いた詩をラヴェル自身が曲の冒頭に載せています。物語的で、作品もソナタ形式で息の長いメロディーが綿々と歌われるものです。そこにラヴェルは詩に書かれた水の精のイメージを、ある程度安定した形のトレモロやアルペジオで表現しています。ドビュッシーは、これとは全く異なるスタイルで作曲しています。イメージとしては、前奏曲集第2巻第4曲「妖精はよい踊り子」前奏曲集第1巻第9曲「パックの踊り」などの世界と同じでArthur Rackhamという挿絵作家が書いた挿絵などから連想される、いたずら好きで、踊ったり、泳いだり、歌ったりしながら人間を誘惑する、そういったものです。つまり、気まぐれで可愛らしいところがあると同時に、不気味さももっている、そういうものから受ける動きや印象が音楽になったと考えるべきでしょう。従って、ラヴェルの「水の精」と異なり、堅固な構成をもった音楽ではありません。さまざまなイメージを持つことも大切ですが、やはり、音に対する理解が必要だと思います。

演奏上の問題について

冒頭の3小節はD-durのV13和音の響きですが、d-mollからの借用のV13の和音との交替が1小節ごとにおこっています。つまり、第1小節のbとfが、第2小節のhとfisに繋がります。短調系から長調系の和音へ変化しています。1小節目は非常に曇ったニュアンスですが、2、3小節は明るく暖かいニュアンスに変えます。この色合いの変化はとても大切だと思います。4小節ではD-durのI和音に解決するとみせかけますが、突如、まったく異質な調の3つの和音が並進行します。4小節の最初まではデリケートなタッチで演奏しますが、この並進行和音は多少粒の立った音質が良いでしょう。これらの和音は、増4度と完全4度の重ね合わせになっていて、気難しく不安げなニュアンスをもちますが、敢えて分析すれば、最初から順に、fis-moll 、dis-moll、d-mollのV9と考えても良いでしょう。いずれにしても調性的関連がない並進行によって不連続になっています。そういったニュアンスがmfと小さなクレッシェンドで表されています。5~7小節で同様のことが繰り返されます。しかし、7小節ではすぐに力を失い、柔らかなEs-durのV9のアルペジオが現れます。この部分の連結は滑らかにしたいところです。しかし、この部分は、本来d-mollのVI和音の形質と考えても良さそうです。つまり、大きくみて、11小節からの部分がd-mollのV系の響きで14小節でピカルディー終止しているととらえるのです。あまり連続性を考えにくいところですが、だからといって不連続なものだけを表現するとバラバラな感じになるので、多少、こういった連結を考えても良いと思います。11小節では、細かい前打音にあたるアルペジオには「きらめくように」という指示があり、一方、16分音符と8分音符の小さなモチーフは「柔らかく」という指示があり、このあたりの質の違いを表現すると良いでしょう。ただし、32分音符の12連符はどちらのニュアンスで演奏するかは判断が分かれると思います。いずれにしても、バスにあるaのオルゲルプンクトの上にニュアンスの異なるアルペジオを乗せ、14小節のI和音に解決します。14小節の10連符のアルペジオは意外に弾きにくいかもしれません。弾き方のコツは、最初のgisの響きの上にアルペジオを重ねること、そして、親指をくぐらせないで平行移動してアルペジオを演奏するようにすることではないかと思います。

14‐23小節の冒頭まで、dのオルゲルプンクトがずっと続きます。16、17小節はD-durのトニックですが、16分音符の順次進行によるメロディーはリディア調でしょうか。16分音符のgisが通常はgだからです。このgisが何ともいえないキラキラした感じを醸し出しています。18、19小節はIのオルゲルプンクトの上に借用のV13和音で第5音が下方変位したものになっています。20小節ではさりげなくトニックに解決した感じを出したいところです。

20、21小節は中段にデリケートなメロディーが歌われます。アーティキュレーションと強弱を丁寧に守って、しかしリズミカルに演奏したいところです。22、23小節はIV度上のV和音の響きですから、柔らかく暖かいニュアンスが必要です。右手の重音トリルはちょっとずつ変奏されますから、響きの違いを揺れとして感じながら演奏すると良さそうです。揺れは、当然のことながら、左手の並進行している和音と響きを揃えるために起こっています。23、24小節は、やはり異なる調のドミナントが並進行して下降しながら、D-durのドミナントに落ち着き、26小節でまたD-durのトニックに解決します。27‐29小節は11小節からの部分の繰り返しです。全く同じ繰り返しなので、表現を揃える必要があります。30、31小節は32小節から始まる展開部への移行で、半音階と全音階の組み合わせで、不安げなメロディーになっています。特に最後のdes→gの部分は大切に表現したい増音程です。

32‐37小節は全音階和音で下段がトレモロのオルゲルプンクトになっています。30、31小節で出てきた不安げなメロディーが上段で歌われます。このあたりは、映画ハリー・ポッターに使われそうな雰囲気のところです。3段の音が常に同時に響きが認識できるようにしたいところです。特に中段の音は失われやすいので、中段の和音は、大きな音で演奏するのではなく、中段の響きに他の声部の音量を揃えるバランス感覚が必要です。

38‐41小節は16小節からの部分と同様ですが、調がフラット系のEs-durですから、前出に比べ、曇った響きにするべきでしょう。もちろん、ここも教会旋法が用いられていますから、16小節からの部分と同様に、aの響きを大切にしたいところです。

42、43小節は、30、31小節と同様ですが、アーティキュレーションと速度が異なっています。違いをはっきりと区別したいところです。ここは、44小節からの部分にどうつなげるかをよく工夫しなければいけません。

44小節からの部分が曲中で最も核になるところで音楽的なクライマックスです。49小節の前半まで和音は変化なくH-durのV13ですが、第9音のgが下方変位しています。シャープ系なので明るめの色合いですが、とてもデリケートなスタッカートが必要です。また、47小節の後半にあるアルペジオはビロードのような滑らかさをもって弾かれるべきです。ほんの少しの強弱の変化ですが、当然48小節はsubito ppです。49小節後半から53小節までは、異なる調のV13の並進行です。シャープ系の和音、フラット系の和音などの区別を、音の明るさで調整しながら表現します。また、和音全体が揺らいでいるように表現するべきで、楽譜にあるように、ソプラノだけをテヌートで出すだけではまずいと思います。このテヌートは、あくまでも和音全体をバランスよく響かせた中に、さりげなく高音域が浮かび上がる、そういったニュアンスだと思います。51小節の最初もsubito ppですからこの前後でフラットとシャープの響きの違いをあわせて表現できるととても美しいところです。

54‐61小節は、30、31小節の部分の展開です。ここの左手はなかなか困難です。16分音符は8分の6拍子、8分音符は4分の3拍子で弾かれるべきです。片手で異なる拍子を表現するのはとても大変ですが、54小節の4拍目のcを少し響かせると多少表現しやすくなります。強弱は、クレッシェンドとsubito ppを中心に緊迫感を表現したいところです。

そして、62小節で突然11小節からの部分が再現されます。しかし、オルゲルプンクトが半ずれしてbになっています。65小節でD-durのトニックに解決しますが、アルペジオの部分をみるとD-durのI和音とFis-durのIとの和音が交替しています。これを複調的ととらえても良いでしょうが、「霧」「妖精はよい踊り子」「風変わりなラヴィーヌ将軍」などで見受けられるような、和音の揺らぎととらえた方が自然かもしれません。また、この和音交替が、結局、「交替する3度」や練習曲集の「8本の指のための」に引き継がれていると思います。ここの部分もsubitoの表現がありますから注意が必要です。また、アルペジオは極めて軽く、明るく暖かい音色で演奏し、同じ和音ですが、66小節の後半の付点4分音符のテヌートは柔らかい響きにするべきです。

全体に、異なる性格のものははっきりと区別を付けること、旋法の違いや調の違いを認識すること、多層的な響きにこだわること、決して大きな音量を用いないこと、軽やかであること、大げさすぎないこと、これら、ドビュッシーのピアノ曲に必要なすべての要素がこの作品には含まれています。